「とりあえず、椅子から降りような。危ないから」
凪未ちゃんの目的が分かった僕は、ひとまず凪未ちゃんの両脇を持って少し持ち上げ、床へと降ろしてやった。なかなか重かったのだが、そこは男子のプライドで平静を装う。
それと同時に、脚の間から凪未ちゃんがいなくなったことで身動きがとりやすくなった僕は立ち上がった。
いざ、このアクティブな幼女と遊ぶことにする。
……とはいえ、五歳児が何をして遊ぶのか分からなかったので素直に尋ねてみることにした。
「何して遊ぶ?」
すると凪未ちゃんは、僕の問いに答える代わりに、椅子の上に置きっぱなしにしていた自分の鞄から何かを取り出した。
その何かは、四角くてピンク色をしており、キラキラな装飾が施され、中央は大きなハート形の鏡になっている。具体的に何なのかは分からなかったが、女の子向けのおもちゃであることは理解できた。ただ、五歳児の小さな手には少々大きく見える。
凪未ちゃんが横についているスイッチを入れると、シャラランラン、と起動音なのか音声が流れ、キャラクターの声らしいものが続いた。
『ハピネスキャッチレスキュート!』
それで全てが理解できた。あれは十中八九、大人気アニメ『レスキュート』の変身アイテムだろう。
『レスキュート』とは、僕が子どもの頃から日曜の朝にやっていた、魔法少女的女の子たちが活躍するアニメである。昔は那都葉が見ているのにつられて一緒になって見ていたが、最近は見ていない。
ただ、その人気はすさまじいらしく、近年は大きいお友達、つまり大人のファンも多くいるらしかった。そのおかげもあってかシリーズ化しているようで、僕が見ていたときは『ふたりはレスキュート』だったが、さっきの台詞からして、今は『ハピネスキャッチレスキュート』なんだな。
凪未ちゃんはその『レスキュート』の変身アイテムに、何やらカードを差し込むと、
「レスキュート! くるくるミラーチェンジ!」
そう叫んでくるりと一回転した。手にしている変身アイテムからは音楽が流れ、そして、止む。
推測だが、どうやら変身したらしいな、凪未ちゃんは。
「出たわね、怪人おにいちゃん!」
そして有無を言わさず、僕は怪人にされた。
すなわちこれは、『レスキュートごっこ』をやれってことだな。
「ふ……ふははは! 出たなレスキュート!」
とりあえず僕は悪役っぽい台詞を吐いて凪未ちゃんの前に立ちふさがった。
「みんなのしあわせを返しなさい!」
凪未ちゃんは身振り手振りと共にそんなことを言って僕に立ち向かってきた。この幼女、ノリノリである。
そんな姿に内心微笑ましさを覚えつつ、怪人のふりをすることに若干の恥ずかしさを感じながら、僕は凪未ちゃんの攻撃に応じた。
パンチとキックをそのちっこくて短い手足で繰り出してくる凪未ちゃん。
当然僕としては反撃するわけにはいかないものの、案外当たり所によっては痛いのでちゃんと防御をする。
五歳児は常に全力、というより、加減というものを知らないので、無防備でいると結構危険だった。
事実、
「とおーっ!」
そんな掛け声とともに浴びせられたキックは僕のすねを直撃。
「いたっ!」
思わず素の声が出てしまう程度にはダメージを受けた。
――そうして僕の体に地味にダメージが蓄積されてきた頃……
「とどめよ!」
驚異的な体力で攻撃を繰り出し続けてきた凪未ちゃんが、攻撃の終わりを宣言した。すなわち、必殺技を出してくる合図だ。
凪未ちゃんは変身したときのようにくるくると回ると、手を突き出すようなポーズをとって叫んだ。
「ウルトラスーパーなっちゃんアターック!」
――レスキュート関係ねぇ!
「う……ぐ、ぐわあああああ!」
僕は内心つっこんでしまいつつ、戸惑いと共にやられたのだった。
どこまでも自由だね、凪未ちゃん……。
レスキュートごっこの後も、凪未ちゃんは疲れを知らなかった。
「おにいちゃんはなっちゃんにやられたから、なっちゃんの家来ね!」
そんな、おそらく本家レスキュートにはないだろう「家来システム」を発動し、僕に色々なことを命令してきたのだ。
特にお気に入りだったのは、肩車。
どうやら、自分の目線が高くなるのが楽しかったらしい。
「いけいけー!」
僕の頭をぺしぺし叩きながら、頭上ではしゃいでいた。僕の身長と凪未ちゃんの座高を合わせると、普段の凪未ちゃんの目線よりも倍くらい高くなっているはずなんだが、怖がるそぶりが全くないのはさすがだった。
むしろ、ひやひやしていたのは僕のほうである。
何しろ、慣れていないのでただでさえバランスがとりにくいのに、その上にいる張本人が暴れるものだから、結構ふらふらしたのだ。
凪未ちゃんに怪我をさせやしないかと恐ろしかったぜ。
……だが、そんな無限にも思えた凪未ちゃんの体力も、やがて、尽きるときが来た。
それは、遊び始めて四時間が経過し、日も暮れた頃。
すでに近年稀に見る疲労困憊ぶりを見せていた僕が、凪未ちゃんに頼み込んで休憩をもらっている間の出来事だった。
「あら?」
とっくに買い物から帰ってきていた母さんがそれに気づいた。
「凪未ちゃん、寝ちゃってるわよ」
「え?」
言われて、飲んでいた麦茶を置き、凪未ちゃんのいるソファーのほうを見ると、
「ほんとだ」
さっきまで、持参したおもちゃを使ってまだまだ元気に遊んでいたはずの凪未ちゃんは、確かに眠ってしまっていた。ソファーをベッド、レスキュートの変身アイテムを枕のようにして静かに寝息を立てている。あの枕、寝心地悪そうだな。
「ハルに遊んでもらって満足したんじゃない?」
寝顔を眺めながら微笑みつつ言う母さんに、
「……あれで満足してもらえなかったら身がもたないよ」
僕は本心からそう答えながら、頭をかくのだった。
さて、そんなわけで、我が家に静かな夕方がやってきた。
「じゃあそろそろ夕飯の支度でもしようかな」
母さんはそう言ってキッチンに向かい、
「あっ、お手伝いを……!」
夕飯の準備を手伝うと約束していた杏子ちゃんが、あわててそれについていく。
「何を作るんですか?」
「今日はね、ハンバーグにしたわ」
そんな会話を耳にしながら、僕はさすがに疲れたので、一度二階に避難することにした。
麦茶のコップをさげて、リビングを出ようとドアに手をかける。
すると、
「ん?」
ふと、ズボンを引っ張られる感覚がした。
「琉未ちゃん……?」
それは、今の今まで椅子でじっとしていた琉未ちゃんだった。俯いているので表情は見えないが、確かに僕の服をつかんでいる。
僕は、この子が突然自分の傍にやってきたことに戸惑った。今まで凪未ちゃんと遊んでいたときも加わってこなかったし、怖がられてでもいるのだろうと思っていたのだ。
「えっと……琉未ちゃん?」
僕は、凪未ちゃんの意図が分からなかったときもそうしたように、今一度彼女の名を呼んだ。
だが、琉未ちゃんは答えない。代わりに、顔を上げて僕の目を見た。
じっと、ただ、無言で僕の目を見つめてくる。その顔はありありと、不安げな様子を示していた。
僕は理解する。
一人にされてしまいそうになって、咄嗟に僕にすがってきたことを。
考えてみれば、お姉ちゃんは母さんと料理をしに行ってしまうし、双子の片割れは寝てしまうしで、琉未ちゃんの相手をしてくれる人は僕以外いない状況だった。
そんななかで、僕が部屋を出ていこうとしたから、きっとこの子は怖くなったのだ。
頼れる人が誰もいなくなってしまう気がして。
「ごめんな、気づかなくて」
僕は謝罪の意味をこめて、琉未ちゃんの頭をなでてやった。
凪未ちゃんが自分でどんどん進んでいける子だから思い至らなかったが、五歳といったら普通、まだまだ大人についていくことが基本な年頃だ。
もちろん、それまでに比べたら自分で色々考えるようにはなるだろうが、それでもさすがに、一人放っておくわけにはいかない。
大人が見守ってやり、見本になってやりながら、色々教えなければならないのだ。
まあ、僕は大人ではないのだが……それでも琉未ちゃんに比べたら、「大きな人」であるのは間違いなかった。
ならば、見守ってやる他はない。
「一緒に来るか? 僕の部屋」
琉未ちゃんは僕の問いに、こくり、と頷いた。
(#7へ続く)
―――――
この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。
コメント