迷ってへたれて抱きしめて #12

 思わず名前が口に出た。
 まさか……まさかとらメイトの前で彼女と出会うことになろうとは。
「あれ? 秋本君?」
 向こうもまた、僕に気付いたようだ。
「やっぱり秋本君だ。びっくりした、まさかこんなところで会うなんて」
 お腹に紙袋を抱えた彼女は、僕と全く同じことを思ったようだった。その私服姿に、制服を見慣れた僕は新鮮さを覚える。
 シャツの上からイエローのパーカーを羽織り、デニムのショートパンツにタイツといういでたち。少し寒そうにも思えるが、今日はまさに雲ひとつない文句なしの快晴で、陽射しがすでにかなり降り注いでいるので丁度良いかもしれない。春らしくて、可愛かった。
「何だ、美海。少年と知り合いか?」
 僕の後ろから、イケメンお兄さんが兎束さんに近寄ってきた。
「え、うん。クラスメートの秋本遥君」
「遥? 女みたいな名前だな。ふーん……」
 兎束さんから僕の情報を得た彼は、顎に手をあてて僕のことを興味深そうに見つめてくる。何気ない動作だが、それすらも絵になってしまうので、僕は少し神様を恨んだ。
  
 そして、それよりも何よりも僕が気になっているのは、
「あ、そうだ。はいこれ。言われたやつ」
「お、サンキュー美海。悪いな、わざわざ」
「女性限定のおまけでしょ? なんで男なのに欲しいの?」
「はっは、好きなものを集めたいのは当然だろ? マジで助かったよ」
「いいもん。その代わり、好きな服一着だからね」
「おう。男に二言はねぇ。値段がいくらしようと買ってやるよ」
 ――この、普通ではない二人の親しさである。
  
 さっきから何度も兎束さんを名前で呼んでいるし、今、お礼を言いながら頭を撫でたりなんかしていたし、それに、「好きな服一着」なんて要求、よほど仲が良くなければしないはずだ。
  
 彼のほうは見るからに年上なのに、あの真面目な兎束さんが敬語を使うこともなく普通に話してるしな。
  
 そう、それはまるで、彼氏と彼女のようだった。
  
 ――絶望しかない。
  
 こんなとんでもないイケメンが彼氏なんて、どんなに頑張っても勝てるはずがない。身長、顔、足の長さ、ファッションセンス……外見で勝てる要素なんてこれっぽっちもないし、中身のイケメンっぷりもまた、さっき自分で身を持って体験してしまっている。気配りができて、年上だから頼りがいもあって、大人で……。
  
 無理だ。
「よし、じゃあとりあえずいっちょ買ってくる。美海、お前も来るか? ここで待ってるか?」
 そんな僕の気持ちなど知る由もなく、テンションの上がったらしい彼のほうは、とらメイトの店内に行こうとしているようだった。今までの会話から察するに、兎束さんはただの付き添いというか、その女性限定のおまけとやらを入手するための要因だったらしい。デートにしてはあんまりな気もするが、表情を見るに彼女のほうも、別に不満があるようには見えない。
  
 好きな人と一緒ならどこでも楽しいってことか、くそ……。
「あー、お店のなかはちょっと……何か居づらいから。そんなに長くはかからないでしょ?」
 ……あれ?
「まあな。買うものは決まってるし。じゃあ、待ってるか? 大丈夫か?」
「あはは、大丈夫だよ。私もうそこまで子供じゃないもん。それに、いざとなったら秋本君もいるし! なーんてね」
 ……あれれ?
  
 ついていかないんですか?
  
 好きな人と一緒ならどこでも、じゃないんですか?
「でも、少年も買い物しにきたんだろ? ここに。じゃあむしろ俺と一緒に中に行くんじゃねぇの?」
「あ、そっか。そうだよね。じゃあ一人で待ってるよ、お兄ちゃん」
 ……は?
「はぁああぁあっ!?」
 お兄ちゃん? え、お兄ちゃん? お兄ちゃんって言うと、妹の兄? 那都葉にとっての僕?
「ど、どうしたの秋本君」
「いきなり大きな声を出したらびっくりするだろ……それにな、喉にも悪いぞ?」
「あ、い、いや……」
 しまった、つい大きな声を出してしまった。いや、だってびっくりするだろ。兎束さんに兄妹がいたなんて初耳だぞ。それもこんなイケメンの。
  
 それにさ、彼氏かと思いきや兄貴でしたー、なんて創作ではわりとありきたりな話だが、実際に体験することになろうなんて思わないじゃないか。
「きょ、兄妹、だったんですね……」
 僕にはそれしか言うことができなかった。まだ脳みそは驚きのあまり処理能力が低下したままで、思ったことをそのまま言うしか術がなかったのだ。
 兎束兄妹は顔を見合わせた。そして一秒、吹き出す。
「はっはっは、面白い奴だなお前! いや、遥君だったか」
「そうだよ! 兄妹じゃないなら何に見えたの?」
「い、いやあ……はは」
 恥ずかしい。恥ずかしいミスをしてしまった。振り返ると恥ずかしい。勝手に勘違いして、勝手に絶望していたのだから。
  
 帰っていいですかね……?
「俺は兎束空雅(うづかくうが)だ、遥君。美海とは五つ離れた兄妹だよ」
「そ、そうでしたか、はは」
 五歳か。ということは、今二十歳だろうか。道理で大人びてるわけだぜ。成人してるんだもんな。法律上大人なんだから。
「いやー、にしても俺は何だか君が気に入ったよ。良かったら、美海ともども仲良くしてくれ。どうやら……似たような趣味みたいだしな」
「え……あー、はい。こちらこそ。こんなイケメンさんと友達になれるなんて光栄ですし」
「はっは、口も上手いな遥君は!」
「いや、お世辞じゃないですし」
 あなたがイケメンじゃなかったら世でイケメンと言われている芸能人すらイケメンじゃなくなりますから。
  
 何にせよ、空雅さんはやたら上機嫌のようだった。まあ僕としても、好きな人のお兄さんに好かれるというのは悪いことじゃない気がする。嫌われるよりはずっと良い。
「ところでお兄ちゃん、買い物は?」
「あっ! やっべ、せっかく開店前から待機してたのに!」
 兎束さんに言われ、自分の目的を思い出したらしい空雅さんは、慌てて身を翻した。
  
 と、振り返って僕を見る。
「そうだ遥君、君は何を買いに来た?」
「え、僕ですか?」
 とっさに目的のタイトルと巻数を答えると、
「おし、じゃあこうしよう。それは俺が買ってくる。気に入ったから特別な! その代わり、俺が戻ってくるまで美海の傍にいてやってくれ。それじゃ!」
「え? あ、ちょっと空雅さん!?」
 何も言う間を与えず空雅さんは店内に入っていってしまった。ぐいぐいいくな、あの人。
  
 でも、できる男は時に周りを引っ張っていくことも必要だという。それもまた、彼の強みなのかもしれない。
  
 イケメン補正かかりすぎだろうか。
「――何かごめんね、秋本君。お兄ちゃんが」
 兎束さんが申し訳なさそうな顔をした。
  
 あわてて僕は、別に気にしていないことを告げる。
「そう? ごめんね、ありがと。お兄ちゃん、自分で何でも決めちゃうところあるんだ」
 困っちゃうよ、と笑う彼女は、それでいて、どこか嬉しそうに見えた。
「……良いお兄ちゃんだと僕は思うよ。イケメンだし」
「あははっ、そうだね。お兄ちゃん見た目は良いから。実はちょっと自慢なの。それに――」
「それに?」
「……ううん、なんでもない! 気にしないで」
 兎束さんは、何を言いかけたのか、教えてはくれなかった。
「もうすぐ、卒業だね」
 話題は学校のものへと切り替わった。僕と兎束さんの共通の話題といえば学校の話しかない。
「ねぇ秋本君、卒業までにやっておきたいこととか、ある?」
 晴れ渡った空を眺めながら、彼女は僕に訊いた。
  
 僕の答えはもちろん、ある、だ。
  
 卒業までに、兎束さんに想いを告げたいと思っている。……できるなら、だが。
  
 でも、あると言ったら「何?」などと訊かれそうな気がして、僕はとっさには返事ができなかった。
「私は、あるんだ。やりたいこと」
 黙っていると、やはり空を見上げたまま彼女は呟くように言った。そしてそれきり、口を閉じてしまう。
「――何を、やりたいの?」
  
 少しの間の後、僕は何だか待たれているような気がして、そう訊いてみた。すると兎束さんは、視線を僕の方に向けて、真剣な顔をした。思わず僕はどきっとしてしまう。
  
 兎束さんといえば、いつも笑顔なイメージだった。もちろん僕は兎束さんを見てきたから、真剣な顔だって見たことはあるけれど。
  
 でも少なくとも、その表情が僕に向けられたことはなかったんだ。
「……あのね、秋本君」
 少し躊躇うように、口が開いた。
  
 ――そんな時だった。
「え……秋本さん?」
 か細い別の声で、僕の名前が呼ばれたのは。
(#13へ続く)
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