はじめに――注意事項
この短い小説は、浜田省吾さんの名曲『少年の心』をもとにして、歌の世界観を僕、ふぁいんなりに文章にしたものです。人により歌の解釈は異なると思いますし、厳密に言うと僕の解釈もこの小説どおりではないのですが、あくまで「詞の内容の再現」を第一目標にして書いたものである点をご了承ください。なお、再現にあたり勝手にキャラクターの設定などを書きやすいように作っております。その点もご了承いただきたく思います。
原曲
YouTubeの公式チャンネルにてこの曲が公開されておりましたので貼っておきます。よろしければ、一度聴いてから小説のほうを読んでいただければと思います。
二次創作『少年の心』
錆びた外階段を上がり、ぼろいアパートの部屋のドアを開けたとき、真っ暗で寒いその部屋で何かが光ったような気がした。灯りを点けかけた手を止め、その方向へと目を凝らすと、やはり暗闇の中で一瞬何かの光が見えた。
気のせいではなかった。おれは灯りのスイッチを押すと、部屋が明るくなるのを数秒待って中に入った。
ほとんど何もない部屋をぼんやりとして頼りない白熱灯の光が照らす。すり切れ、色褪せた畳の上を歩き、部屋の真ん中にぽつんと置いてある低い木製のテーブルを横切って、光が点滅していたその場所へと向かう。そこは部屋の隅。あるのは、床にじかに置かれた電話だった。
「留守電……? 誰だ、いったい」
一応置いてはあるものの滅多に鳴ることも、また、こちらからかけることもない電話が、メッセージがあることを告げていた。親には番号を教えていないし、相手に心当たりがまったくない。間違い電話、ということもないだろう。わざわざこうしてメッセージを残しているのだから。
――一瞬過ぎった人の姿を頭を振って掻き消すと、おれはボタンを押した。
キュルキュルとカセットテープが回り出し、やがて記録された音声を流し始める。
聞こえてきたのは、あまりにも意外で、そして懐かしい声だった。
「もしもし……健二? あの、明美です。で、電話番号間違ってないよね……? うーんと、――あ、あはは、こういうのあたし、苦手なんだよね。えっと……とにかく、いないなら大丈夫です。気にしないで。――あ、だったら伝言入れなくて良かったか。ごめんね、それじゃ」
メッセージはそれで終わっていた。一分にも満たないメッセージだった。だが、おれは自分の心が波立つのを感じた。懐かしさからなのか、それとも、声に影を感じたからなのだろうか。あるいは、その両方なのかもしれない。
仕事で溜まっていたはずの疲れも忘れて、おれは半ば衝動的に、履歴に残った電話番号へとかけ直していた。
「――もしもし?」
数回のコールの後、出たのはまさしく明美の声だった。間違えようがない。小さいころからずっと……高校までは、毎日のように聞いていた声なのだから。
「おれだよ、健二だ。どうした、電話なんてよこして」
長いこと話なんてしていなかったのに、口をついて出たのは至って自然なおれ自身の声だった。コールが鳴る間に感じていた緊張のようなもの、ぎこちなさは、明美のたった四文字の言葉で消えてしまったらしい。
「健二!」
電話の向こうで驚く声が響いた。その表情までおれには簡単に想像ができて、ついつい笑ってしまう。明美は全く変わっていないようだった。
「まさかかけ直してくるとは思わなかった。気にしないでって言ったのに」
「気にしないでって言われたら気になるだろ?」
「うん……まあ、そうかもしれない。ごめんね、変な伝言残しちゃってさ」
「別にいいさ。ちょっとびっくりしたけどな」
まるで昔に戻ったかのような感覚がじわじわとおれのなかにこみ上げてきていた。学生だったあの頃の、馬鹿やってたあの頃の、楽しかった感覚だ。男友達以外でこんなに少しも気負うことなく話せる奴はこいつしかいなくて、それが心地よかった。
そしてそれは、どうやら向こうも同じだったらしい。
「なんか、こうやって話してると昔みたいで楽しいね。あの頃は、ほんとに楽しかった。ほんとに……」
ちょうどおれが思っていたことをそのまま明美がそんなふうに言葉にした。それは本当に俺の思いそのものでもあって、だからこそ俺は、そこに闇が含まれていることに気付いた。
「……お前、なんかあったのか?」
すると明美は、少しの沈黙のあとで、やたらと声を張り上げて言った。
「ねえ、今良いこと思いついた! ドライブしない? 高校のときみたいにさ、海まで。それで朝日を見るの」
それに俺は顔をしかめる。声の音量が大きくてうるさかったのと、もうひとつの理由からだ。
「急にうるせえな。それにおれ、もう運転は……」
率直に文句を口にすると、
「運転はあたしがする。だからお願い! ね?」
それを遮るようにして、明美が強引に言った。
「……仕方ないな」
そんな強引さも昔のままで、だからおれも昔のまま、折れてやることにした。仕事後に海へのドライブ。しかも明日も仕事がある。正直きつかった。だが、今日ばかりはそうしたかったのだ。
今すぐ迎えに行くという明美に住所を教え、電話を切ってから、おれはとにかく着替えぐらいはすることにした。まさかこの油まみれの作業着のままというわけにはいかない。上等な服なんてなかったが、数少ないもののなかから幾分かマシなのを選んだ。それから飯を食い、することもないのでぼーっとしていると、そのうちに部屋のドアがノックされた。
「健二、あたし」
「おう」
すぐさま靴を履き、外に出る。すると数年ぶりの幼馴染の姿がそこにあった。久々に見た明美はほとんど変わっていなかったが、心なしか化粧は濃くなっている気がした。
「うわ、あんたなんか匂うよ」
人の顔を見るなり、明美は顔をしかめて鼻をつまんだ。
「ほっとけ。こんなぼろいアパートに風呂なんてないんだからしょうがないだろ。仕事終わりに誘ったお前が悪い」
「くさいなんて聞いてないよ」
「聞かれなかったから言わなかった」
「くそー。ま、いっか。そのうち慣れるでしょ」
「お前、ほんと変わらないな。相変わらず雑というか適当というか……ま、そういうとこ嫌いじゃないけどな」
「ありがと。さ、いこ。表に車停めてある」
おれは明美に続いて鉄階段を下り、そのまま彼女の車に乗り込んだ。おれが助手席で明美が運転席というのは少し違和感だが、こればかりは仕方ない。ハンドルは彼女に任せて、俺は流れ出した外の景色に目をやった。
そういえば車に乗るの自体が久しぶりなことに、そのとき気付いた。幸いだったのは意外にも穏やかな気持ちでいられたことだった。まるで、本当に時が過去に戻ったかのように。
道中は比較的静かだった。カーラジオを流しながら、静かに夜の街を車は走った。そして、やがて目的地の海辺に着くと、通りのほとんどない道路にそのまま車を止めた。
「人、誰もいないね」
「ああ、まあ冬の海だからな。しかも夜の」
「それもそっか」
耳をすませば、波の音が聞こえた。それはどこか悲しくて、でも心を鎮めてくれるようでもあった。黙っているとその音に飲み込まれていくような気がして、でも、まだそのときではないような気がして、おれは口を開いた。
「で、来たは良いけどどうする。しばらく海見て帰るか?」
すると明美は、体をひねると、後部座席へ手を伸ばし、やがてその手に何かを持っておれに見せた。
それは、ワインボトルだった。
「高校生のときにはできなかった楽しみ方をしてみようと思って買ってきました! お互い大人になったことだし。ま、安物だけどね」
「悪くない提案だとは思うが、飲んだらどうやって帰るんだ? 飲酒運転は見過ごせないぞ」
「ここで寝て朝帰ればいいじゃん」
「おれは明日も仕事なんだよ」
「うそ! だって週末だよ? 普通休みじゃないの?」
「仕事なもんは仕事なんだよ」
「えー、でも飲みたーい。もう飲む気満々だったんだもん。飲みたい飲みたい!」
「だだをこねるな! 大人になったんだろ? ……ったく、仕方ないな。明日の朝、仕事に間に合うようには帰るからな? 飲みすぎて泥酔すんなよ?」
「さっすが健二! 話が分かるぅ!」
こうして夜の海で酒盛りが始まった。お互いアルコールが入ると気分が高まり、より話が弾んだ。共通の話題である昔話に花が咲き、能天気に騒いでいた頃の自分たちを笑った。それはとても楽しくて、幸せな時間と言えた。
――だが、ボトルの中身が残り少なくなってきたあたりで、話題は「昔」から「今」になった。きっかけは、ふとした話題の切れ目、沈黙のなかで呟いた、酔った明美の一言だった。
「……あたしさ、今日、彼氏にふられちゃってさ」
「え?」
「五年も付き合ってたんだよ? でも、終わりはあっけなかった。他に好きな人ができたんだ、って。実は一年くらい前からその子と付き合ってたって。そう、言われたの」
その急な吐露は、おれに言っているのか虚空に呟いているのか分からなかったが、一度話し始めたら止まらなくなったかのように、明美は言葉を続けた。
「あたしね、彼のこと、ほんとに好きで、結婚もしたいなと思ってた。というか、結婚するんだろうなって思ってたの。だってほら、もう二十五だし、五年も付き合ってたらそう思うでしょ?」
その言葉は、次第に語気が強まっていくようだった。明美の感情が昂っていくのが感じ取れた。
「でも……でも! そう思ってたのはあたしのほうだけだったみたいで、だから、あたし、簡単に捨てられて……そう、あたしは捨てられたの! 捨てられたのよ!!」
――そして。
「うっ……ううっ……うわああああああああ…………!」
やがてその昂りは涙となり、彼女の頬から流れ落ちた。おれはそんな彼女の泣きじゃくる声を、ただただ聞いていたのだった。
目を開けると、すっかり朝になっていた。後部座席のシートに転がったワインボトルに朝日が反射している。
あのあとおれは、明美が泣き止むまでただ傍にいた。泣き止んでからは、もう寝ようと声をかけ、お互いに座席のシートを倒して、波の音を聴きながら寄り添うようにして眠った。
寝る前に、小さく明美が、「ありがとう」と言うのが聞こえた。そのときおれはほっとして、それで力が抜けて眠ったような気がする。こんなおれでもまだ、人から感謝されることがあるんだと思えた。何より、明美の役に立てる人間でいられたことが嬉しかった。もちろん、おれが犯した罪を考えれば手放しには喜べない。だが、それでも良かった。最低限友人でいられるなら、傍にいる資格があるなら、それで満足だった。
おれは運転席のほうを見た。明美の顔が朝日に照らされていた。だが、まだ起きそうにはなかった。日が昇りつつあるということはそれなりの時間であるはずで、そろそろ起こして帰らなければ仕事に間に合わないかもしれない。でも、おれはそれをしなかった。
明美の寝顔が、とても安らかだったからだ。少なくとも、昨日よりは心の痛みも和らいだのかもしれない。それならそれで良かったし、彼女が少しでも幸せになったのなら細かいことはどうでも良かった。
おれは自分の胸に手を当てる。そして小さく首を振った。おれではだめなのだ。昔のおれならともかく、今の自分では彼女を幸せにすることはできないのだ。
何しろおれは、この手で幼い命を奪ってしまったのだから。
夫を病気で失った女性の手から、子どもまでもを奪ってしまったのだから。
だからおれは、この先ずっとその罪を背負い、生きていく。それがおれの責任だった。
「ん……」
眠りから覚める小さな声が横から漏れた。再び運転席を見ると、明美が目を開けたところだった。
「起きたか。ちょっと動いて眠気飛ばして、さっさと帰るぞ。ほんとに遅刻しちまう」
そう告げて、おれは車を降りた。潮風は冷たかったが、その冷たさが寝起きの頭には心地よかった。
寄せては返す波を見つめ、おれは海に感謝する。一晩だけでも昔に戻れて嬉しかった、と。そして振り返り、車から降りてきた明美に改めて告げた。
「帰るぞ」
最後に
人との距離感は難しいものだと思います。心地いい距離感は人それぞれで、それぞれが幸せでいられる距離感でいることがベストだと思うんですよ、僕は。小説では、健二は暗い過去を持っているが故に明美と「友人」であることを選んでいますが、それはあくまで納得しやすい理由づけがしたかったからで、何も明確な理由がなくても、「この人とはこれ以上近づかないほうがお互い幸せ」だとなんとなく分かる場合もあると思います。そしておそらく曲としての『少年の心』は、そういうことを歌っているのではないかと僕は思うんですよね。つまり、付き合うとかではなくて、友達のほうがいいと分かっていて、でも少しそれが切ない、みたいな。
この記事を通じて、初めてこの曲を知ったという方もいると思います。よろしければ、正直小説についてはどうでもいいので、皆様がこの曲をどう捉えたかを教えていただければと思います。
それでは。
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