迷ってへたれて抱きしめて② #2

 ――昼。
「ねぇお兄ちゃん、ゲームしよゲーム。私ね、良いゲーム買ってきたの」
「マジか。何買ったんだ?」
「『僕は妹に恋をする』っていう恋愛シミュレーション!」
「……ソフトの選択に何らかの意図を感じるのと、一人用っぽいから却下。どうせなら二人でプレイするやつやろうぜ」
「んー、じゃあ、リアル妹を攻略プレイっていうのはどう?」
「アホか」
 本日も通常運転、いや、春休みに入ってからというもの、むしろいつもより上機嫌な妹と、リビングのソファーでそんな会話を繰り広げている時だった。
 
 プルルルルル――――
 
 家の中にコール音が鳴り響いた。
「はいはい誰ですかー」
 優雅に読書(おそらくボーイズラブ小説)を楽しんでいた母さんが、電話に出た。
「もしもし。……あら、どうしたの珍しい。うん……うん……、……え? 今から?」
 一分ほどの短い会話の後、受話器が置かれる。それからこちらを向いた母さんは、僕たちに告げた。
「何か今から、雪氷(ゆきひ)が来るって」
「おばさんが?」
 突然の知らせだった。まあ、あの人らしいと言えばあの人らしい。
 
 雪氷おばさんは、母さんの妹だ。そこまで遠くに住んでいるわけでもないが、それでも電車で二時間近くはかかるので近い距離とも言い難い。会うのはもっぱら、じいちゃん家に親戚が集まる年末年始くらいのものだが、ここ何年かは見かけていなかった。
 
 正直僕は、嫌いではないが少し苦手だった。その理由は、おばさんの性格にある。
 
 明るくて口調が軽いから接しやすいんだけど、何というか、強引なんだよな、あの人。
 
 ――意外にもおばさんは、三十分程度で我が家にやってきた。
「やっほー、真冬姉さん!」
 母さんが玄関を開けると、子どもっぽく手を振るおばさんが顔を見せた。
「随分早かったのね」
 母さんが問うと、
「そう? ……あー、もしかして電話した時、もう近くまで来てるって言わなかったっけ? ごめんごめん。ソーリーソーリー!」
 両手を合わせて笑いながら謝る。相変わらず元気な人だった。これで母さんの二つ下って言うんだから驚きだ。とても三十代後半には思えない。中身も、外見もな。
 
 おばさんは確か、中学から陸上部で、今も趣味でマラソンをやっているような人だったはずである。そのせいか、肌は小麦色に焼けていて、インドア派の母さんと比べると引き締まった体をしていた。
「おっ! シスコンボーイ。しばらく見ないうちにでかくなったなあ」
 僕を見つけると、おばさんはそう言って僕の肩をバンバン叩いた。
「い、痛いですよおばさん……」
「なーに言ってんの。か弱い私の力くらいで痛がってちゃ、肝心な時に妹を守れんよ?」
「はは……」
 楽しそうに笑うおばさんに、僕は苦笑する。
 
 『か弱い』ってなんだっけな。ははは。
 
 それはそうと、耳にひっかかる言葉がもうひとつあった。
 
 『シスコンボーイ』
 ……うーん、相変わらず僕のこと、そう呼ぶんだな。
 
 実は、どこをどう見てそうなったのかは知らないが、どうもおばさんの中で僕は、「妹大好きな兄」という認識になっているらしかった。だから彼女は僕のことをいつも「シスコンボーイ」と呼んでからかうのである。
 昔からなのでもう否定もしないのだが、ちょっと僕としては納得できない部分だった。
 ちなみに、僕ですらそうなのだから、僕とは違い自他共に認める「兄大好きな妹」である那都葉のことは、
「おー、ブラコンガールも大きくなったねぇ!」
 こう呼んでいる。
「いや、本当におっきくなったな。今年で確か中二だろう? それでこれとは将来楽しみだ! はっはっは!」
 ……那都葉の胸をまじまじと見つめて笑うおばさんは、もはや言動がエロ親父と変わらないな。
 
 そんな一通りのやりとりが済むと、
「まあ、それじゃ、来たんだからあがりなさい」
 母さんがそう言って、中に入るよう勧めた。いつまでも玄関にいるというのもおかしな話だからな。
 
 だが、意外なことにおばさんはそれを拒否した。
「いや、ごめん。実はすぐ行かなきゃいけないのよ」
「……? どういうこと?」
 母さんも、僕たちも、首をかしげる。
「実はさ……」
 おばさんは少し困ったような笑みを浮かべて、僕たちに語った。
「おじさんが倒れたぁ!?」
 ――話してくれた内容は、口ぶりに反して重大なことだった。思わず大きな声が出たが、そんな僕たちの反応を見て、おばさんはそんなに大したことじゃないと笑う。
「ただの過労よ、過労。休めば治るやつよ」
「でも、そうは言ったって雪氷、あなたのとこの旦那さん、確か単身赴任中じゃなかった?」
 母さんが、心配そうな顔でおばさんを見つめる。
 
 そう、確か僕の記憶でも、おばさんの旦那さんは北海道に単身赴任していたはずだった。国内とはいえ遠い地に一人。大丈夫だろうか。
 
 その時初めて、おばさんの瞳に心配の色が浮かんだ。が、そんなものはすぐに掻き消して、
「うん、まあ、だからさ。一応様子を見に行こうってわけ」
 私の顔見りゃ疲れなんてとぶでしょうし! と、おばさんはまた笑顔を作った。ただ、やっぱり何だかんだ言って気になっているのだろうことは、その様子から伝わってきた。
「……でも、実は問題があってね」
 笑いがやんで、おばさんは少し真面目な口調になった。いよいよ本題に入ったらしい。
「急なことだったから、飛行機のチケットを取るって言っても、私の分しか取れなかったのよ。だから、子どもたちが、さ」
「子どもたち? まさか、子どもたちも来てるの?」
「うん」
 おばさんは頷くと、玄関のドアを開けた。
「三人とも、おいで!」
 そしてそう呼びかけると、
 まず小さいのが二人、とことこ。
 
 中くらいのが一人、ちょっと気まずそうに。
 
 呼び声に応じて、それぞれ入ってきた。
「ほら三人とも、挨拶して」
 おばさんが促すと、
「あ、あの、お久しぶりです。こんにちは」
「こんちはー!」
「こ、こんにちは……」
 三者三様の挨拶をくれた。
 
 えーと、確かこの子たちは……
「あらあらあら。えっと、杏子ちゃんに、凪未ちゃんに琉未ちゃん。みんなおっきくなったねぇ」
 僕が、久しぶりに会う従姉妹たちの名前を思い出そうとしていると、子ども好きな母さんがすらすらとその名を口にした。それで僕もピンとくる。
 
 そうだ。中くらいの子が、杏子(きょうこ)ちゃん。小さい二人が双子で、凪未(なみ)ちゃんと琉未(るみ)ちゃんだっけ。
「杏子ちゃん、何年生になったの?」
 母さんが三人に話しかける。
「今年六年生になります」
「そっか。ナツの二つ下だっけ。にしては、ナツよりもしっかりしてるねぇ。やっぱり上の子だからかしら。凪未ちゃんと琉未ちゃんは?」
「ごさい!」
「あらそう。じゃあ来年は小学生だ」
 何というか、すっかり親戚のおばさんのノリだった。いや、あの子たちから見れば間違いなく親戚のおばさんなわけだが。でもなんとなく、自分の母親がおばさんしてるのは妙な気分だ。
「……で? つまりは、そういうことなわけなのね?」
 三人との会話を終えると、母さんはおばさんに視線を戻した。僕ももう、おばさんが何を言いたいのか、なぜうちに来たのか、分かっていた。
 
 おばさんは、嬉しそうににやにやしながら、母さんに告げた。
「さっすが姉さん、察しが良い! そうです、三日間だけ姉さんのとこで預かっててほしいのです、こいつら!」
 そう、すなわち、未だ幼い子供たちの行き場として、我が家が選ばれたというわけだった。
「急で本当に悪いんだけど、ね、お願い! 最初は父さんと母さんにお願いしようと思ってたんだけど、電話したらまさかの温泉旅行中でさ。もう姉さんしか頼れる人がいないんだよ」
 おばさんは、母さんに頭を下げて頼み込んできた。だが、母さんもすぐには承諾できず、唸る。
「事情は分かったし、預かってあげたいけど、でも急すぎるわよ。寝るとことか食事とか、色々準備があるし……せめて事前にちゃんと連絡くれれば良かったのに。余分な布団とかないのよ、うち」
 そんな母さんに、おばさんは最後の説得を仕掛けてきた。
「食事も寝るとこも極力迷惑はかけないからさ! はい、まずこれ食費。作るの面倒だったらお弁当とかでも良いから買ってやって。そんで、寝るとこはまあ、杏子はガールの部屋で、凪未と琉未はボーイと一緒に寝れば良いでしょ。ちょうどチビ二人は、誰かと一緒じゃないと寝られないしね。そうすれば布団も必要なし。ちと狭いけど」
「えぇええっ!」
 と、急に隣から声があがった。那都葉である。まあ僕も、声こそ出なかったが同じ気持ちだった。何しろ、いきなり巻き込まれたからな。しばらく会ってなかった従姉妹に、急に転がりこまれてもどうしていいかわからん。それは声もあげたくなるというものだ。
「そんなの……お兄ちゃんと一緒に他の女が寝るなんてそんなの……」
 …………あ、そこですか。同じ気持ちじゃなかったですね。
 
 つーか、こんな小さい子を「女」てお前。五歳児だぞ。
「うーん……」
 母さんは考えているようだった。だが、僕には分かる。あれは、もうほぼ丸め込まれていると。
「姉さんお願い! 妹を助けておくんなましっ!」
 おばさんも当然それは感じたようで、最後の一押しに出た。そしてその効果もあって、
「……分かったわ、三日間ね」
「やった! ありがと姉さん!」
 母さんはついに承諾したのだった。
「それじゃあお前ら、おばさん家で仲良くするんだぞ。何かあったら遥お兄ちゃんに言え。シスコンで、きっとロリコンだからな。多分、頼めば大抵何でも叶えてくれる」
「おいこら」
 今まで何も言わずにいたが、これはさすがに声が出た。誰がロリコンだ誰が。
「ろりこん……?」
 ほら、どっちか分かんないけど言われた双子の一方が首かしげてるし! 変なこと吹き込むなよ!
「あっ、まずい飛行機の時間が! それじゃあ姉さん、そういうことでよろしく! シスコンボーイ、三日間、妹が増えたと思って頼むなー! ブラコンガール、しばらくうちの子にお兄ちゃん貸してやってくれ!」
 おばさんは、そんな言葉を残して慌ただしく家を去って行った。
 
 うーん。
 
 やっぱり、ちょっとあの人苦手だ。
(#3へ続く)
―――――
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