「はぁ……はぁ……」
私は今、ジャージ姿で山を登っている。
頭には白いヘルメットを被り、その上からヘッドライトを装着。さながら冒険家になった気分でいたのだが、気の持ちようだけで急に体力が増えるはずもなく。ひいひい言いながらの登山になってしまっている。
「大丈夫ですか、先生。少し休みますか?」
先を行く作業着姿の男性が、気遣うようにこちらを振り向いた。「林業組合」と書かれた腕章をつけた男は、私と同じヘルメットとヘッドライトを装備している。そりゃそうだ、私の装備は彼から借りたのだから。
「先生?」
「あ、いえ……すみません……まだ山に入ったばっかりですから……はぁ……大丈夫ですよ……」
私は教師の意地で休憩の誘いを断る。これでも毎日、パワフル極まりない小学生に振り回されているのだ。並みの大人よりは体力がある自負があった。
「そうですか? まあ、現場はそんなに遠くないですし、つらくなったらおっしゃってください」
「分かり……ました。お気遣いありがとうございます……」
気合いでうっすらと笑顔を作る。はっきり言って、もう一押しされていたら休んでいた気がするのは内緒だ。学校の裏山だからと舐めていたことを反省する。
どうしてこんな山登りに興じているのかと言うと、学校に一枚のチラシが届いたことに遡る。
「間伐のお知らせ?」
それは、市の林業組合からの、間伐作業のお知らせだった。間伐といえば、密集しすぎた山の木々を適当に間引き、隙間をつくってやる作業のことだ。適度な間伐は日当たりを良くし、木の生長を促進させるとともに、木の下に生えている草をも成長させ、山の土壌をつくってくれる。健康な山をつくるために必要な手入れである。根っこの発達を促すことで、土砂崩れの防止にもなるらしい。……全てはチラシに書かれていた知識だ。
私はそれを見たとき、これはいいと思った。もちろん私も大人なので、間伐といえばどんな作業なのかはざっくりと知っていた。だが、逆に言えば、大人の私でもざっくりとしか知らない知識なのだ。これは学びの機会になるのではないかと思った。ちょうど近場で作業があると言うのなら、見学させてもらおう。そう考えて、学校に打診し、組合に連絡をとった。
そして今に至る。
今日は、ルート確認や安全性確認のための下見だった。向かっているのは伐採現場なので、当然、普段歩くような道から外れている。こどもたちを歩かせる上で危険はないか、確かめておく必要があった。
その効果は抜群で、すでに分かったことがいくつかある。
ひとつ。道なき道は、木の根っこや石が多く、地面も踏みならされていないため歩きにくい。
ひとつ。まっすぐ上に登るというより、やや迂回しながら斜めに進んでいくイメージなので、普段使わない変な筋肉を使う。
ひとつ。……思った以上に暗い。
「そろそろライトをつけましょうか。足下、より一層気をつけてください」
組合の男に促され、私は頭のライトのスイッチを押す。人工の光にほっとしてしまうくらいには、闇に視界を奪われつつあった。
時刻はまだ昼。十分に太陽の光が降り注いでいる時間のはずだ。それを遮っているのは、鬱蒼と空を多い尽くす、枝と葉である。
それはまるで天然のドーム。緑の天井ができたようで、思わず感想が漏れ出る。
「しょ、正直、ここまで暗いとは思いませんでした……昼間の山なのに、まるで夕方みたいで、何というか、壁みたい、ですね……」
「ですよね。木々が日光を求めて、貪欲に貪欲に生長した結果がこれなんです。光を目指して伸びていくから、やがて隙間が埋まる。だから間伐が必要なんですよ」
「これは……いい勉強になりますよ。この暗さ、この圧迫感、この生命力は、見ないと分からない気がします」
「良かったです。我々としても、こういうことを知ってもらえるのは嬉しいですから。……さ、もう着きますよ」
やがて男が足を止める。そこはまさに、満員の様相だった。普段歩く山道とは訳が違う、木の密集地帯。太い幹のすぐ横に幹が並び、果てしなく続いている。上を見ればやはり日光を遮る天然の天井があり、地上まで届いている光はわずかだ。
「少し休憩しましょう。先生、良かったらどうぞ」
男がリュックから水を手渡してくれる。お礼を言って、ありがたく受け取った。
その蓋を開けつつ、質問をする。
「この山もやっぱり、人工林なんですか?」
それは、ネットで得た知識の答え合わせだった。一介の教師として、ほんの少しくらいは事前知識を入れておこうとしたがゆえの付け焼き刃だが、いわく、この日本という国では、戦時中、または戦後のあたりで、『拡大造林政策』というものがとられたらしい。軍事や復興のための木材不足を補うため、それまであった広葉樹林の代わりに、建築資材に使える針葉樹林――スギやヒノキを植えていく政策だ。
木というものはすぐに育つものではないので、その頃植えた木々が今、ちょうど収穫の頃合いとなっているらしい。だが、それによる問題もあるという。
教師としては、この機会にそのあたりも、こどもたちに教えるつもりでいた。
「にわか知識で申し訳ないですが、我が国では木が余っているというような記事を読みました。国の政策で木を植えたはいいものの、それが育つまでの間に、外国から安い木材が入ってくるようになって、国産の木材にとって代わった、と。やはり、実態はそんなものなんですか?」
私が問うと、男は「よくご存じですね」と言いながら頷いた。
「確かに今、国内の木は余りつつあります。おっしゃるとおり、外国産の木材にとって代わられたというのもありますし、対抗するために、国産木材の値段もずいぶん安くなってしまいました。おかげで林業はすっかり『儲からない仕事』になってしまった。そのくせ、肉体労働で危険もありますから人手も足りない。よって、手入れされることもなく放置されている山もあるのが課題ですね」
今の国内自給率は三割ほどです、と男は三本指を立てた。薄暗い中で、男が寂しそうな笑顔を浮かべるのが見える。
だからだろうか、ふと気になった疑問が口をついた。
「そんな林業に、今も携わっているのはなぜですか」
すると男は、ふっ、と表情を柔らかくしてこちらを見た。
「先生、ちょっと、ついてきていただけますか」
言われるがまま彼についていくと、木の本数が減った一角に出た。木と木と間に、切り株が並び、倒された幹がそのまま横たわっている。
「ここはすでに間伐を済ませたあとです」
「明るいですね……こんなに違うんだ……。なんだか日光のありがたみを感じますね」
「薄暗いのを経験したあとだと、ちょっとホッとしますよね。それで、なんですけど……あ」
男はぐるりとあたりを見渡して、ある一点で動きを止めた。
「ちょうどいい。……先生、あそこに鳥がとまってますね。見えますか?」
「鳥?」
心なしか小声で、一方向を示す彼の、その腕の先に視線を巡らせる。だが、いまいちどれのことなのかが分からない。
「待ってくださいね」
そんな私の様子を見て、彼はリュックから双眼鏡を取り出す。そして、覗いた先で動きを止めると、そのまま私を呼んだ。
「先生、このまま持って、覗いてみてください」
「え、ええ……」
促されるまま双眼鏡の位置をずらさないように受け取り、覗く。
「あっ!」
思わず声が出た。
「綺麗な鳥ですね……」
拡大された縁の先には、一羽の鳥の姿があった。鮮やかな青い羽が、太陽の光を反射して輝いている。キョロキョロと見渡すように首を動かす姿が愛らしい。
「これは……?」
覗いたまま彼に問う。
「オオルリという鳥です。羽が青いのはオスですね。私は、鳥が好きでしてね」
笑みを浮かべているのが声音から分かった。双眼鏡から視線を外し、男を見る。
「きちんと手入れされた山には、こうして素敵なお客さんがやってくる。……これが、私がこの仕事をしている理由です」
そう語る男の表情は、優しさと誇りに満ちている気がした。
「……それも含めて伝えたいですね、こどもたちに」
私は、私も自分の仕事をしようと思った。
遠くで、ピールーリーと、青い鳥のさえずりが聞こえた。
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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。
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○クレジット
シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices
シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/field-trip
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