定期善行診断

 私は受付を済ませると、待合スペースの椅子に腰掛けた。腕時計を見れば、予約時間まではあと二十分ほどの猶予がある。思ったよりもスムーズに受付できたので時間が余ってしまったが、遅刻するよりはマシだろう。まさか当日に状況を悪化させるわけにもいかないし、あわよくば少し数値が上がってくれていると嬉しい。

「よっ、お疲れ」

 同じく受付を済ませてきたらしい同僚が声をかけてくる。隣にどっかりと腰を下ろした彼は、背もたれに体重を預け、見るからにだるそうな態度で、だるそうな声をあげた。

「会社が金を出してくれるとは言え、なんで定期診断って朝からなんだろ。ほんとだるいっていうか、せめて昼からにしてくれればいいのに。俺、昨日も遅くまで呑んでたからさー、眠くて眠くて」

「おいおい、そんなんで大丈夫か? 数値悪くても知らないぞ」

「だーいじょぶ、だいじょぶ! 飲酒はあくまで<五戒>いましめに過ぎないんだからさー。<罪>つみじゃないから検査対象外だって」

「そのだるそうな態度は、充分<怠惰>たいだの数値を悪くしそうだけどな」

「それもだーいじょぶ。俺たちまだ若いんだから。いくらでも取り返しつくって。いざとなったら寄付でもなんでもすれば一発よ」

「そんな金もないくせによく言うよ」

「そりゃ確かに。今月ももう金ないしなー。また貸してよ」

「やなこった。もういくら貸してると思ってるんだ。少しは返してから言うんだな」

「借金返済は未来の俺が頑張るからさー。これも優秀な俺への投資よ、投資」

 はっはっは、と同僚は大きな声で笑った。すかさず周りの視線が突き刺さるのを感じて、私は慌てて彼をいさめる。

 こいつは、確かに普段の仕事は優秀なのだが、それ以外はからっきしという奴なので、私の悩みの種だった。金はせびるし女癖も悪い。とはいえさすがに普段ならば、場所をわきまえるくらいの礼儀は押さえているのだが、この様子だとまだ酒が残っているに違いない。

「まあせいぜい、悪い数値を指摘されてへこむがいいさ。……私の番らしいから、行ってくる」

「ういー」

 呼び出し機が私の番号を表示したので、再度受付へと足を運ぶ。診察室の前へと案内されると、まもなく、中から声がかかった。

「次の方どうぞー」

 私は少し緊張しながら入室する。待っていたのは、浮かべた笑顔が神々しい、白衣の天使だった。

「どうもこんにちは。そんな緊張なさらず、まずはお座りください」

 男性とも女性ともつかない天使は、私の内心を見透かしたように言うと、目の前の丸椅子を指し示した。言われるがままに腰掛けると、正面に座った彼は一瞬私の目を見て、ひとつ頷いた。

「うん、いいですね。実に自制された生活を送っていらっしゃることが分かります。代表的な項目である<七大罪>ななたいざい<十悪>じゅうあくも、数値は良好。総合の善行値ぜんこうちも申し分ないです」

 私は、ほっと息をついた。無意識に入っていた力が抜け、体の緊張が解けることを感じる。五年前、ちょうど就職した頃合いから見直した生活習慣が、着実に成果を上げているようだ。素直に嬉しい。

「ありがとうございます。トータルの善行値はいくつですか?」

「十万点を超えてますね。十万と、一千二百五十一あります。早起きで得られる善行値が三ですから、私の目から見ても驚異的な数値です。いやはや、私が診察官として地に降りて十年が経ちますが、神や仏に仕える人間以外で、この数値を持っているのを見たのは初めてですよ。一般人のモデルケースにしたいくらいです」

「天国と地獄の存在が正式に発表されてから、今年で三十年でしたでしょうか。その歴史から見ても、私の値は高いほうですか?」

「私も天使としては若輩ですので、全てを網羅しているわけではないですが、会社勤めされている方の中だと間違いなく最高ランクだと思います。これが修行中の聖職者だとすれば、数年で充分達成しうる数値ですけれど……これは、このまま順調に善行を重ねて今世を終えれば、転生せずに天使になれると思いますよ。素晴らしいです」

「そこまでですか。徹底して頑張った甲斐がありました。とはいえ、どこか悪いところはないのでしょうか?」

「しいて言えば、<憤怒>ふんぬと、それに類する値が高めでしょうか。ただ、それを補って余りある<忍耐>にんたいがありますので問題ないですね。まあ、いくら将来の天使候補とは言え、まだ人間ですから、これだけの善行値を貯める生活を送っていれば、イライラすることもあるでしょう。<忍耐>の値から、そんなイライラをしっかり制御していることも分かっていますので、許容範囲だと思います」

「分かりました。ありがとうございます」

 私は天使に一礼して、診察室を後にした。ふつふつと、喜びがわいてくる。

 十万点超え、一般人としては最高クラスの善行値。二十代後半にしてこれだけの余裕があれば、今後多少のことが起こったとしても、私の死後は安泰だろう。

「お、来た来た」

 待合スペースに戻ると、同僚が私を待っていた。私より後に呼ばれたはずだが、どうやらこいつのほうが早かったようだ。

「早いじゃないか。そんなにあっさり診察が終わったのか?」

「それが聞いてよー。俺さ、このままだと、来世は虫にすら転生できないんだって。ウケるよね? 俺、つい笑っちゃってさー。ある意味さすが俺って感じ。ははは!」

「まあ確かに、ある意味さすがだな。虫にすら転生できないと、どうなるんだ?」

「なんか、無限にいろんな地獄を巡るんだってさ。いやー、ほんと、まだ若くて良かった。これがもうジジイになってたら終わりだったな。……で、そっちは?」

「こっちは反対に、一般人としては最高。このままいけば、死後、天使にもなれますって言われたよ」

「ふえー、さすが! 修行僧みたいな生活してるもんね! じゃあそんな天使様、どうかわたくしめにお恵みを!」

「金か? それは断ると言ったろ」

「いやほんと、頼むよー。このままだとデートすらできないんだって。彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないじゃん?」

「お前のデート代をなぜ私が出さなきゃいけないんだ」

「いやいやそこはあれよ、将来のお義兄にいちゃんなんだからいいじゃないですかー。妹のためだと思って!」

「それは認めてないし、今後も認めるつもりはない。大体お前、同じ部署内のあの子とも噂が……いや、いい。とりあえず、ここだと迷惑になるから出るぞ」

 私は彼の背を押すように建物を出た。その間も、ヘラヘラしながら金の要求をやめない同僚を黙らせるため、私はひとつ、提案をする。

「金は貸さないが、飯くらいはおごってやってもいい。気分がいいから、好きなものを食べさせてやる」

「おっ、いいの!? さすがお義兄様、太っ腹ぁ! でもそんな贅沢していいんだっけ? 普段はなんか、すごい健康そうなものしか食べないじゃん」

「最高クラスの善行値なんだから、少しくらい悪いことをしたって問題ないさ。それに、人にご馳走するのも、善行といえば善行だろ?」

「やっりぃ! じゃあもう高級なもの食べに行こう! 何食おうかなあ……」

 分かりやすくはしゃぐ同僚を横目に、私はふっと微笑んだ。

 まあ、今日はせいぜい美味いものを食べさせてやろうと思う。何しろこれが奴にとって、最後の晩餐なんだから。

 私はポケットの中の小瓶に手を触れた。

 あいつの診断結果を聞いた今だと、ますます楽しみになってきたよ。

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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。

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○クレジット

シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices

シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/regular-good-deed-diagnosis/

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