「国」がなくなる未来

インターネットの普及で、全世界の人々とリアルタイムにコミュニケーションをとることが難しくなくなったように、技術は、これまではどうしようもなかった壁を取り払っていきます。

今日は、そんな技術が行き着くところまで行ってしまったら、この世界はどうなるのだろう、という想像のお話です。

私は経済の専門化でも社会の専門家でもないので、あくまで想像ですが、もしかしたらこうなるかもね、くらいに考えて読んでいただければと思います。

今も壁はなくなり続けている

最初に、最も分かりやすい例としてインターネットを挙げましたが、それ以外にも、確実になくなっていっている壁はあります。

ひとつは言語。

何かを調べていて、日本語以外のページにたどり着いたとき、ブラウザの画面を右クリックして「日本語に翻訳」を選んだことはないでしょうか。

あれをやると、直訳気味のちょっとおかしな日本語になる場合もありますが、大体の意味を掴むことができるようになりますよね。そうして概要を掴んだ後で、英語表示に戻すと、スムーズに意味が理解できる、ということも多くあります。普段、ITのお仕事をしている私は、特にそういう機会が多いので、概要を掴むのに役立っているのですが、あれもまた、技術が壊した言語の壁です。

また、学生の皆さんであれば、英語の宿題が分からないときに、Google翻訳で文章を入力して助けてもらう、なんて場合もあるのかもしれません。このように、すでに英文の日本語化はかなり使えるレベルになっているということが分かるかと思います。

また、皆さんは「Googleレンズ」という機能をご存じでしょうか。アプリとしてインストールする場合もあれば、カメラを起動するとすでに使えるようになっている場合もあるかと思います。

2018年の11月から登場したらしいこの機能は、スマホのカメラで捉えた文章を理解して、画面上で日本語に翻訳してくれる機能です。これがあれば、海外に行っても、看板や、レストランのメニューや、ホテルの注意書きなどにカメラをかざすことで、即座に翻訳することが可能です。先ほど、学校の宿題を例に挙げましたが、このGoogleレンズがあれば、いちいちGoogle翻訳に文字を打ち込まなくたって、教科書にカメラをかざすだけでOKです。いよいよ宿題がはかどるようになりましたね笑

きちんと検証したことはないですが、こちらも日々、翻訳精度は上がっているのではないかと思います。

そして、これもまたGoogle関連になってしまいますが、YouTubeのお話。YouTubeで動画を見る際に、「字幕を自動生成」してみたことってありますか?

試しにやってみると分かるのですが、それなりの精度で動画内の音声を認識し、字幕として表示してくれます。これは言わば、「音声を文字化」する技術なのですが、これが先ほどの「文字の翻訳機能」と合わさるとどうなるでしょうか。

そう、つまり、「音声をリアルタイムで多言語に翻訳して字幕として表示する」が可能になるわけです。現状、そこまでの機能を実装しているものは、私は思いつかないですが、今後、より翻訳精度と音声認識精度が高まれば、普通に使えるレベルになってくるでしょう。

となると期待されるのは、「スマホの次」と目されている「スマートグラス」の登場ですね。視界の中に情報を表示できるデバイスですが、このスマートグラスにマイクがつけば、英語でも中国語でも、マイクで音を拾って視界に日本語として表示してくれる、が可能になるわけですね。そして、お互いがスマートグラスを実装していれば、それぞれの母国語でしゃべっていても、なんら不自由なく会話ができる、というわけです。

では、この会話方式をさらに突き詰めてみましょう。ここに、「人工音声機能」という技術が足されたとしましょう。想像しやすいように例を挙げると、初音ミクのようなものでしょうか。人の声を素材として、自由に音階をつけたりしゃべらせたりできる技術です。これを利用すると、先ほどは字幕表示だったものを、音声として出力することができるようになります。つまり、「マイクで拾った相手の声をサンプリング」し、「自動翻訳した日本語データ」と組み合わせて、「相手の声で日本語を流す」ことが可能になるというわけですね。

つまり、今で言うAir Podsの進化形のような「スマートイヤホン」が登場すると、機械による「リアルタイム吹き替え(しかも本人の声)」で会話ができる、というわけです。

実際、「ポケトーク」のような翻訳機もすでに登場していますので、それが今のような別端末ではなく、スマートデバイスの機能の一部として登場してくるのも時間の問題だと思います。

資産の壁もなくなっていく

次にお話したいのは、資産のお話。もっと分かりやすく言うと、「個人所有」の時代から「シェア」の時代になるよ、というお話です。

いつの間にか、お金を払ってシェアするサービスはたくさん出てきました。ちょっと調べるだけで、服、カメラ、家具、傘、自転車などなど、モノを一時的にシェア=レンタルするサービスはたくさん出てきます。もっと言えば、「Netflix」や「Spotify」のような、定額で様々なコンテンツを楽しめるサブスクリプションサービスも、「モノ」のシェアと言えるでしょう。

また、「Uber」のように、車を持っている人がタクシー代わりに人を乗せる「移動」のシェアなんていうのもあります。この分野は、日本だとそこまで見かけないような気もしますが、今後、自動運転が普及すると、爆発的に伸びていくと予想されています。

車って、所有しているだけで税金がかかったり、車検があったり、もちろんガソリン代がかかったりと、何かとお金がかかりますよね。しかし自動運転車のシェアなら、乗りたいときに呼ぶだけでいい上に、人が運転していないので安く済むと予想されていますので、「車を持つよりお得じゃーん」となる可能性は高いのです。

また、家に関しても同様のことが言えます。「Airbnb」をはじめとして、「自分の家を人に貸すよ」というサービスも出てきているので、これから、賃貸形式の住居も、より自由に、より安くなっていくことが予想されています。持ち家を買うと、気軽に引っ越せなかったり、税金がかかったり、修繕費がかかったりと、やはりお金がかかりますから、結局「借りたほうがお得じゃーん」となる可能性が高いのです。

そして、労働力もまた、シェアする時代になってきました。コロナ禍の外出期間中、「Uber Eats」を使ったことがある人も多いと思いますが、あれもひとつの「労働力のシェア」です。他にも似たような「1件いくら」の業務形態は増えており、スキルと時間があれば、会社に雇われずとも仕事ができる時代になっています。言わば、会社が「社員」という資産を保有する時代も、変わり始めているのです。

このことから、我々は今すでに、何にも縛られずに生きられる状況になってきているのが見えてきます。

モノも、家も、仕事も、自分で保有する必要性はなく、必要なときだけ必要な分をシェアしてもらえばいいということになるでしょう。

通貨もまた、自由になっていく

そして最後にお話したいのは、通貨についてです。日本に住む我々は普段、この国が発行する「日本円」を使って生活していますが、今や、そうした「国が発行した通貨」以外のお金が存在することは、皆さんもご存じでしょう。ビットコインをはじめとした「仮想通貨」です。この技術の登場は、国に縛られない通貨が存在できるということを証明してしまいました。

そもそも「お金」というのは、元々それ自体が価値あるものでした。価値ある金属、金や銀を使った「金貨」や「銀貨」です。それがいつの間にか、お札という「ただの紙」になり、電子決済が一般化してきた現在では「画面上の数字」となりました。これがどうして成立するかというと、人類がそれを「価値あるもの」として認識しているからです。「1万円札は価値あるものだよね」と日本人全員が共通認識として思っているからこそ、そして、日本という国が「この国では1万円札は価値あるものです」と保証しているからこそ、お金はお金として価値を持ちます。

電子決済も同様です。見た目上は、こちらからあちらへの、単なるデータ上の数字移動に過ぎませんが、それに価値があると全員が思っているからこそ、その数字でモノが買え、サービスが受けられるわけです。

つまり、通貨の本質は、「全員がそれに価値があると思えるかどうか」というところに本質があります。これまではその保証を「国」という力のある存在がやっていたことで担保していたわけで、だからこそ、国の情勢が不安定になると価値が下がるなど、価値が変動していたわけですが、ビットコインをはじめとした仮想通貨は、その担保を「ブロックチェーン」という信頼度の高い技術を使うことで行いました。

「ブロックチェーン」とは何か、については、私も説明できないので省きますが、ここでは「とにかく改ざんができないようにした信頼度の高い仕組み」だとざっくり捉えてください。

つまり、「改ざんができないから信頼できるお金だよ!」と伝え、そこを信頼し、「ビットコインは価値あるお金だ」と信じた人々がたくさん出てきたからこそ、ビットコインは「通貨」になりました。

今はまだ、たまに暴落のニュースがあるように、その価値は不安定ですが、やがて、より多くの人々がその価値を信頼し、世界中でビットコインが使われるようになったとき、それは「国」という枠にとらわれない「世界通貨」になるのです。

すべての壁がなくなった未来

こうして、言語も、住居も、仕事も、モノも、お金すらも、技術によって壁がなくなっていったとき、世界はどういうかたちになるのでしょうか。

どこに行っても言葉が通じ、同じお金が使え、お金を稼ぐこともでき、シェアリングサービスによって生活に不自由しないとしたら、我々の選択肢はとんでもなく広くなると思いませんか?

日本人だからといって、日本だけで一生を終える理由があるでしょうか?もちろん、それはそれでひとつの選択ではありますが、私なら、色々な場所に住んでみたいと思います。

そうして、世界中のあらゆる人が、壁のない世界で行き来したとき、それはもう、「国」というくくりは、あってないようなものになるのではないかと思っています。そうなれば我々は、地球語を話す地球人と言っても過言ではなくなるでしょう。そうすれば、世界は平和になるのかもしれないなと思いました。最初にも書きましたが、今日はそんな、想像のお話です。

ただ、最後に恐ろしいことを言うのであれば、そんな時代の流れを見誤ると、あなたの仕事はいつの間にか消えてなくなるかもしれない、ということも、忘れてはいけないと思います。

「翻訳者」の仕事はいずれなくなるかもしれません。「タクシー」は自動運転車に負けると思います。アプリがあるなら「銀行」は必要でしょうか?……などなど、技術革新の裏で消えゆくものがあることも、意識していく必要があるのです。

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