感覚的なものでしかありませんが、オタクは「語彙力」という単語をよく使う気がします。
例えば、「尊すぎて語彙力を失った」などという言い回しは私もよく使ってしまうところで、その意味は、
「語彙力」という能力を一時的に喪失(あるいは退行)してしまうくらい推し(好きで応援している人またはキャラ)が良すぎる
ということなわけですが、冷静に考えると「能力を失うくらい良い」という褒め方はすごいよな、と思います。能力というものは、身につけるのが大変な分、一度定着すればそうそう失うことはないですし、しかもこの場合、失っているのは、日常で最も使用している「言語能力」である「語彙力」なわけですから、それを失うなんてよっぽどのことですよね。そんな最上級の感情を「語彙力を失った」というこのフレーズひとつで表現できているわけですから、オタクの表現力は素晴らしいと思います。
ただ、ひとつ注釈を入れなければいけないのは、彼ら(私自身を含む)オタクは上記のような意味を込めて、あえて「語彙力を失った」という表現を使っているわけではないということです。彼らがこの言い回しを使う場合、多くは興奮により、本当にその瞬間、「良い」以外の表現ができなくなっています。よって、「もっとこの溢れる感情を表現したいのに全然できない!」という苦しみを込めて、まさに文字通り「語彙力を失った」と言っていることを覚えておきましょう。そしてその中には、仮に冷静になったとて、「良い」以外の表現力を持たない人も一定数いることも覚えておいてください。
「語彙力を失った」(失う前は語彙力があったとは言っていない)のです。
――さて、前置きはこの程度にしておきまして、今回は、そもそも我々オタクが頻繁に使用する「語彙力」とは何なのかを、私なりの解釈で紐解いてみましょう。
語彙力の定義
まずは「語彙力」という言葉が一般的にどのように定義づけされているかを確認します。
せっかくなので今回は、ChatGPT(AI)に質問してみましょう。
「語彙力」の定義を300文字以内で簡潔に説明してください。
「語彙力」とは、人が持つ言葉を使いこなす能力のことです。具体的には、広い範囲の語彙を持ち、適切な時に正確な単語を選び、適切な表現力で伝えることができる能力を指します。語彙力が高い人は、コミュニケーション能力が高く、表現力や文章力が優れていることが多いです。また、語彙力は日々の学習や経験を通じて向上することができます。より多くの語彙を身につけ、それを自然な形で使いこなすことで、より正確かつ豊かな表現が可能になります。
なるほど、非常に分かりやすい返答ですね。私もほとんど同じ意見ですが、それだとせっかく記事を書き始めたのにここで終わってしまうので、私なりにもう少し噛み砕いてみましょう。
私の解釈では、「語彙力」は以下3つの知識または技術によって構成されている複合的な能力です。
①言葉の知識
よりシンプルに書くと「単語力」です。皆さんも学生時代に英単語を必至に覚えたことがあると思いますが、言語を使いこなすにはベースとして「単語を知っていること」が必要になります。
やはりこれも英語のテストをイメージすると分かりやすいですが、覚えている単語が少ないときは、日本語を英訳するのも難しかったですし、長文読解の設問からは逃げたくて仕方がなかったですよね。でも、英単語帳を一冊覚えたあとは、幾分かマシになったはずです。このように、知っている単語の数が多ければ多いほど、より複雑な文章を理解することができますし、作り出すこともできるようになります。
②感覚を分析する力
生物は外からの情報を、目、耳、鼻、口、皮膚から取り入れています。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と呼ばれているものです。この呼ばれ方から分かるように、我々が得ている情報というものは全て「感覚」であり、それについて考える、または人に説明する、などする際に、「言語」に変換するというプロセスを経ています。その、“感覚⇒言語”の変換プロセスの中間にあり、無意識下で行われることも多いのが「分析」です。このプロセスでは、漠然としている「感覚」というものを言語化するために、その「とっかかり」を探します。言い換えれば、「視野の広さ」です。いかに多彩な視点から分析できるか、というのがこの能力です。具体例はこのあと書きますのでご安心ください。
③言語化能力
最後は、「語彙力」と聞いたときに最もイメージしやすいプロセスです。つまり、②で分析した「とっかかり」をもとに、「感覚」を「言葉」に結びつけていく能力になります。たくさんある「知っている言葉」、すなわち「語彙」の中から、より適切な言葉を抽出する「力」。この部分だけをもって「語彙力」だと思っている方も多そうですね。しかし実際には、「知っている言葉」が少なければ結びつけようがないですし、自分の感覚を「分析」して様々な視点から見る能力がなければ、何をどう結びつければいいのか分からないため、「語彙力を上げよう」とした際には、3つの能力全てが必要なのです。
感覚が言語化されるまでの具体例
「語彙力」を構成する要素が分かったところで、より具体的に分かりやすく説明していきましょう。
冒頭でオタクを引き合いに出しましたので、今回もオタクを例に説明します。
「推しのライブに行ったオタクが感想を言語化するプロセス」として読んでください。
①ライブ会場で、推しを見て、推しの歌を聴く
最初は、「体験」です。「体験」とはすなわち「体で経験すること」。今回はライブなので、主には目と耳を使って、視覚的、聴覚的に「感覚」を得ます。
②感覚へのリアクションとして感情が芽生える
「体験」すると、それに対して何らかの「感情」を抱くのが自然です。感情は“喜怒哀楽”と言われますが、実際に体験した瞬間、「この感情は“喜び”だ!!!!」と言語的に考えている人はいないでしょう。言語化できない感覚として心を揺らすはずです。それと同時に、肉体的変化として表現されることはあるかもしれません。心拍数が上がる、ついつい口角が上がってしまう、鳥肌が立つ、などです。
③感覚を分析する
ここからが言語化プロセスです。まずは「感覚を分析する力」を使って、とっかかりを探します。漠然とした形のない「感覚」を形にするために、見るべき「視点」を探すプロセスです。視点は無数にあると思いますが、体験をする前後で起きた自身の変化や、周りの変化がとっかかりになりやすいかもしれません。すなわち、②で書いた「心拍数が」「口角が」「鳥肌が」といった変化です。こうした「○○が」が、物事を言語化する上での主語、とっかかりになります。
④分析結果を適切な言語に置き換える
分析ができたら、その結果を精査して、より適切な言語がないかを「言葉の知識」から引っ張り出します。このとき、「単語力」と「言語化能力」の高さによって、選ばれる言葉が変わってきます。
「単語力」が低く、知っている言葉が少ない場合、選ばれる言葉がいつも同じになってしまうのは想像しやすいですよね。例えば、「ヤバい」しか表現方法を知らない場合は、いつでも「ヤバい」と言ってしまう……というより、それしか選びようがないのですから、必然的にそうなります。
ただ、同じようなことが、「言語化能力」次第でも起こります。例えば、知っている単語が「ヤバい」「すごい」「素晴らしい」の3つに増えたとしても、
「この場合は『すごい』を使うべきだ」
「いや、『素晴らしい』のほうが適切だ」
といった判断能力がないと、結果として「とりあえず『ヤバい』って言っておけばいいか」ということにもなるのです。その判断能力こそが、「言語化能力」です。
「語彙力を上げる」――具体的に何が足りないのかを考えよう
以上が、私の考える「語彙力」の正体です。私自身も語彙力がまだまだ足りないので、「語彙力」を説明するための語彙力が足りなかった部分はあると思いますが、とにかく、結構複雑な能力である(と、ふぁいんさんは思っている)ということが書けていればいいなと思います。
「語彙力」を上げたいという方は、具体的に①言葉の知識、②感覚分析力、③言語化能力のどこが足りないのかを考えてみるといいかもしれません。
例えば、「○○という映画について感想を書いてください」と言われると困ってしまうけれど、「○○という映画について△△と××という視点から感想を書いてください」と、細かく具体的に指令を出されれば書ける、などという場合には、②が足りていない可能性があります。言語化能力自体はあるのに、きちんと分析できていないせいで「何を書けば良いのか分からない」という状態になっているパターンですね。この手のタイプは、「何がとはうまく言えないけれどとにかく良かった!」ということになりがちです。
一方で、「あの映画はあそこが良くて、あそこも良くて、あそこも良い感じだったよね!」というように、褒めるポイントは色々思いつくけれど、感想が全部「良かった」になってしまうような人は、①または③が足りない可能性があります。どちらが足りないのかを見分ける方法は難しいのですが、例えば「類語辞典」を使うと、有効である可能性があります。
「類語辞典」は、その名の通り、「ある言葉に似た意味を持った言葉」を教えてくれる辞典です。「言い換え辞典」と思っておけばOKです。「これってこういう風にも言えるのね!」が分かれば、「単語力」が鍛えられますし、似た言葉同士を比較することで、「どっちも同じような意味だけど、今回はこっちのほうが適切かな」という風に、「判断能力=言語化能力」も鍛えられます。
物書きであれば類語辞典はすでに愛用していることと思いますが、縁のなかった皆さんは参考にしていただければと思います。
コメント