迷ってへたれて抱きしめて #19

 

    10
  
 目覚めてから、息苦しいことに気がついた。胸から下あたりが重たい。そして少し暑い。身動きの取りにくさにピンと来て横を見ると、思った通り、そこにあいつの姿はなかった。そして、掛け布団が明らかに膨らんでいる。
  
 なぜ上に乗ったのか。布団の中にいて、寝苦しくないのか。
  
 疑問はいくつか浮かぶが、それは妹にしか分からない。
  
 部屋はまだ薄暗い。携帯に手を伸ばして時間を確認すると、本来起きるべき時間よりだいぶ早く、完全にこいつのせいで目が覚めたのだと分かった。
  
 少しだけ布団をめくってみた。うつ伏せの、想像した通りの姿で彼女は眠っていた。何ともだらしないというか無防備というか……布団にくるまっていたせいで髪の毛もぐちゃぐちゃになっている。
  
 ……げっ。よだれ垂れてやがる。完全に僕の服を濡らしてるぞこれ。おいおい。
「ふは、アホ面だな、那都葉さんよ」
 でも、少なくともその表情は柔らかい。一緒に寝ただけだが、まあ、不安も少しはなくなったのかね。
  
 しかし、困ったねぇ。
  
 これは、起こせないな。
  
 結局僕は三時間ほど、重みをこらえながら起きていた。
「てい」
 ばす。
  
 ――午前七時三十分。
  
 お決まりの素敵ボイスが朝を告げるとともに、僕は那都葉にチョップをぶち込んだ。
「んっ……」
 妹は小さな声を上げ、もぞもぞと動き出す。その動作はとてつもなくゆっくりで、のっそりとしている。
「てい」
 もう一発チョップをかますと、
「……えへへ」
 体は起こさぬまま、こちらに眠そうな顔だけを向けた彼女が、不可解にも笑顔になった。殴られて笑うのは本気でやめてほしい。
「ほら、起きろ起きろ。そして早くどいてくれ」
 少し声を張って、妹の意識の覚醒を試みた。理由は二つ。重いのと、さっきから下腹部及びちょっと困ったところに、柔らかいものを感じるためだ。あまり意識はしたくない。事故が起こるから。
「んー……あ、お兄ちゃんだ……」
 今まで何だと思っていた?
「あは、やっぱりしあわせだぁ……朝起きて最初にお兄ちゃんを感じるの。ね、今夜も一緒に寝ない?」
「駄目だ。昨日の夜だけだって言ったろ?」
「けちー」
「自分で、一日で良いって言ったんじゃないか」
「むぅ。そんなこと言わなきゃ良かった」
「残念だったな」
「まあ、良いよ。私は一晩だけの女でもかまわないよお兄ちゃん」
「あのな……」
 朝から那都葉は全開だった。困りものだが、少し安心もする。寝たら本当に戻ったみたいだな、いつもの那都葉に。
  
 しかし、やはり朝は彼女にとって難敵のようで、口だけは動くようになってきていたが、相変わらず体のほうは動きが鈍かった。これでは起き上がるだけで何分かかるか分からない。
  
 仕方ない、力づくでいくか。
「よっ、と」
「きゃっ」
 僕は一度那都葉を自分の頭側まで引き上げてから、上下を反転させるように、左に転がる。すると、僕が上になり、那都葉が下になった。代償として掛け布団もぐちゃぐちゃになったが仕方ない。
  
 とにかくこれで僕は自由に動けるようにな……
「……おい」
 ……らなかった。
「離せ、那都葉」
「んー、ここで簡単に離すくらいなら掴まないと思わない?」
 ――僕が上に覆いかぶさるようになった瞬間、今まで動きの鈍かった那都葉がすごい速さで僕の首に手を回し、僕が起き上がるのを阻止していた。
「……なんでこんなときだけ異様に反応速度が速いんだお前は」
「なんででしょう。でも、今のは勝手に手が出た感じかな。……反射?」
「……まあ良い」
 僕は構わず体を持ち上げた。那都葉の重さなどたかが知れているので、例え離さずとも、妹ごと僕の体は持ち上がる。
  
 一向に離す気配を見せないので、僕はそのまま妹を抱えてベッドをおり、床に足をつけて立つ。彼女は僕にしがみついたままだ。しばらくそのまま立っていたが、平気な顔をしている。
「お前、疲れないのか? しがみついたままで」
「疲れよりもくっついていたい気持ちのほうが強いので」
「何その精神論」
「お兄ちゃんに関することなら不可能を可能にする女です」
 那都葉はしれっと言った。こいつは本当に、恐ろしいな。感心するばかりだが、とはいえ、このままでは何も進まない。
  
 ある程度は折れるしかない、か。
「ふあ……!?」
「変な声出すな」
「だ、だってお兄ちゃんそんな急に……」
 不意を突かれたのか、それまでどこか余裕のあったわが妹が動揺を見せた。だが別に僕は変なことをしたわけではない。
「十秒間だけこうしてやる。そしたら離れろよ」
 ただ、こちらからも腕を回して、那都葉を抱きしめてやっただけ。それだけだった。離れろだのどけだの言われて、分かりましたと言うことを聞く奴ではないと分かったからな。ならば譲歩して、受け入れてやる代わりに期限を設けたほうが確実に早く解放されるだろうという算段だった。
「いーち、にー……」
 こうして問答無用でカウントを始めてしまえば、強引にでも終わらせることができるというものだ。
「あ……ま、待ってお兄ちゃん!」
「待たない。さーん……」
「違うの聞いて! ちゃんと十秒経ったら離れるよ! 離れるから!」
「離れるから?」
「……どうせなら、ちゃんと抱きしめてほしい」
 ……やれやれ。
「じゃあちゃんと立て」
「うん」
 ここでようやく那都葉は床に足をつけた。驚くのは本当に疲れた様子がないことだ。結構長い間つかまってたんだけどな。
「じゃあ残り七秒な」
「えー、ちゃんと十秒!」
「だーめ」
「じゃ、じゃあ左手でぎゅーってして右手でなでなで!」
「……わがまま言うとしないぞ?」
「それは契約違反だよ!」
「どっちが。僕は守るつもりなのに、お前が成立した後から追加条項を増やそうとしてるんだろ?」
「むー……」
 ……諦めたようだな。よしよし。
「はい、じゃあ、よーん……」
 ――こうして、僕がようやく那都葉から解放されたのは、カウント再開からきっかり七秒後だった。その間那都葉は黙って僕の胸に顔を埋めるようにしていた。
  
 残りの一秒で仕方なく頭をなでてやったのが功を奏したようで、その後那都葉は元気よく自分の部屋へと向かった。残された僕は朝から何だか疲れてしまっていて、ふと時計を見れば七時四十分になっており、実に十分もの間、あいつと格闘していたのだった。
  
 まあ、元気になったのなら何よりだけど。
「おはようハル。いつもより遅いけど、平気?」
 すぐさま着替えて一階に下りると、母さんがすでに朝食を用意して待っていてくれた。
「まあ、平気だよ。何とかね」
 いつもはトーストなのに、今日はお茶漬けなのも助かった。トーストは寝起きにあのパサパサが少々厄介なところがあるが、お茶漬けならそれこそ流し込むように早く食べることができる。こういう、状況に応じた母さんの対応スキルは本当にすごいと思う。まず、パンとご飯の二パターンを用意していることがすごい。
  
 僕がお茶漬けを食べていると、那都葉も下りてきた。服装は制服になっているが、相変わらず髪型は乱れたままだ。
「あら、ナツ。今日はまた随分とぐちゃぐちゃになってるわねぇ。良いわ、座ってご飯食べてなさい。その間に母さんがやってあげるから」
「ほんと? ありがと、お母さん!」
「ん? 何か今朝はやけに元気ね。良いことあった?」
「うん! 昨日はお兄ちゃんと寝たの!」
「ハルと?」
 母さんの視線がこちらに向いた。僕が小さく頷くと、
「ありがとね、ハル」
 まるで全てが母さんには分かっているかのように、そう言われたのだった。
  
 誰よりも那都葉の心配をしてたのは、母さんなのかもしれないな。
「行ってきまーす!」
 いつもより元気な那都葉の挨拶とともに、僕達は家を出た。僕の後ろを那都葉がついてくるいつものスタイル。だがこれも、あと一週間足らずで終わるのだ。
  
 今週末が卒業式。昨晩、那都葉に言われたからだろうか。もうすぐ卒業なのだというわずかな実感が芽生え、何となく寂しさがある。高校からは駅を使うので、自転車には乗らなくなる。那都葉と一緒に登校することも、もちろんないのだった。
「うお、わりとギリギリだな」
 学校に到着して時間を確認すると、そんなに余裕のない時間だった。
「那都葉、今日は教室まで送っていくのナシな」
「えー!」
「仕方ないだろ、お前があのときさっさと離さなかったのが悪い」
「お兄ちゃんとのラブラブっぷりをみんなに見せびらかす大切な時間なのに……」
 そんな意味が含まれてたのか。今になって初めて知る驚愕の事実。
「少しくらい遅刻しても、『妹を教室まで送ってました』で何とかならないかなー?」
「ならねぇよ。なるわけないだろ」
「本当にそう言い切れる?」
「いや……うん、さすがに無理だと、思うが……」
 那都葉のキャラクターが知れ渡っている以上、「万が一」も有りそうなところが怖い。笑い話的に許されてしまいそうな気がしてしまうな。
「――というかそんなこと言ってる場合じゃない! 僕は一階だからまだ良いがお前は四階なんだ、時間がないぞ! 急げ那都葉!」
「あ、待ってよお兄ちゃーん!」
 僕たちは慌ただしく校舎内へと向かった。
  
 階段で那都葉を見送り、自分の教室に入った時には、まさにチャイムがなる間際という余裕のなさだった。
  
 自分の席につくなり電子音が鳴り響いて、本当に危なかったことを知らせてくれた。
「おーっす遥、セーフだな」
 ぞろぞろとみんなが自分の席へと戻っていくなか、桜がわざわざ僕のところまでやってきて肩をぽんと叩いた。
「ああ、ちょっとな」
「どうせまた那都葉ちゃんだろ?」
「正解」
「今回はどんなブラコンエピソードが聞けるんだ? あとで教えてくれよな」
「桜、お前な……」
「ははっ! 良いじゃねぇか、面白いんだから」
 桜は見るからに楽しんでいた。昔から、他人事だと思って面白がるんだよなあ。
「ほら茸谷! さっさと席につきなさい!」
「うお、やべっ! じゃ、あとでな」
 担任からのお叱りを受けて、桜は自分の席へと戻っていった。
 全員が着席したのを確認すると、担任がいつものように挨拶から話を始めた。今日から授業が完全になくなり、特別日程となることを告げていたが、要は、あの眠くなる卒業式の練習をした後に、大掃除をしたりするみたいだ。
  
 授業がないのは嬉しいが、あまり面白味のない日程だな。
  
 ……ただ一つあるとすれば。
  
 僕は横目で兎束さんを見た。
 
 この前のように、
練習中に兎束さんと話せる可能性があることだけかな。
 
 僕は密かに期待を抱いた。
  
 ――その期待は、思わぬかたちで現実となる。
(#20へ続く)
―――――
この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました