『チ。』すごい作品だ

最近にしてはめずらしく、ちょっとした感想を少しだけ。たまにはこういう、まさにブログ的な記事があってもいいと思うので。ただ、ネタバレを含みますのでお気をつけて。

2024年秋アニメとして10月から放送開始し、2025年3月まで2クール25話放送されていたTVアニメ『チ。 ―地球の運動について―』をようやく全話視聴しました。

原作が全8巻と短いらしい、という情報は入手していたため、この2クール25話で全てを描ききるのだろうなと思ってはいましたが、視聴を終えた今、私はシンプルにこう思っています。

「これはすごい」

何がすごいって、もう色々すごいんですが、まず先にお伝えしておくと、予想通り、2クール25話で原作全8巻は全て描ききったものと思われます。

その上ですごいのが、描ききった上で、着地したのが「スタートラインより少し手前」でした。

アニメを観ていない方は何を言っているか分からないと思いますが、今から説明するので、とりあえず一言だけ言わせてください。

よくこの令和にこの作品がアニメ化されたな!!

報われず、救われず、人知れず、しかし連綿と続く

『チ。 ―地球の運動について―』という作品は、副題(なのか副題的に見えてここまでがタイトルなのかは定かではないですけれど)の「地球の運動について」というところから察しがつくように、地動説、すなわち、地球が太陽の周りを回っているという理論をテーマにした作品です。

舞台は15世紀。最終回が1468年で、劇中で35年が経過している描写がありますので、単純計算しておそらく第1話は1433年頃と思われますが、この頃は言わば「科学以前の時代」――すなわち宗教の時代です。

この頃の宇宙観と言えば、聖書の解釈に基づき地球を不動のものと考える「天動説」だったわけですが、そんな世界においても、星に魅せられ、観測し、その結果としてひとつの真理にたどり着かんとする者たちがいました。

地動説論者です。

『チ。』は、そんな地動説を信じる者たちと、神を信じ、天動説を信じる者たちとのぶつかり合いの物語です。

目で見たものと計算の結果を真理と信じる「知」、神を信じ背くものを異端として弾圧する「血」。

それが描かれている物語です。

漫画にして全8巻分、アニメにして25話というとさほど長くない印象ですが、そこには、15世紀という時代を生きる人々の濃密な歴史が描かれていました。

この作品がまずすごいのは、主人公(読み手の側に立って主観となる人物)が変わり、時間が経過し、けれどそれが歴史として着実につながっていく点です。

主人公同士は直接会うことがない場合も多いですし、言ってしまえば、神の側に立つ教会の者の手によって次々と命を落としていくことになるのですが、それでもギリギリ、彼らが追い求めた真理、すなわち「地動説」は、「文字」または「本」というかたちで繋がっていきます。

それはまさに我々が現代まで続けてきていることそのもので、そうやって繋いできたからこそ、たかだか100年にも満たない寿命しかない人類が、ここまで発展できていると言えます。

文字は偉大だなあと思わせてくれる、先人の発見に感謝の念を抱かせてくれるところが、この作品の魅力のひとつだと言えるでしょう。

しかし無情にもそれは断たれ、埋もれていく

ただし、文字すごいなあ、本すごいなあで終わらないのがこの作品の震える部分です。

アニメの最終回で主人公となっているのは「アルベルト・ブルゼフスキ」という男で、彼は実在する学者なのですが、なんと、ここまでアニメにして20話以上、主人公を変えに変え、それぞれの主人公たちがギリギリで受け継いできた地動説を、彼は受け継ぎません。

色々あったので「色々」の部分はぜひアニメか漫画で(ここまでネタバレをくらった上で追う意欲があれば)追っていただければと思いますが、一言でまとめると、

地動説側と天動説側の相打ちの末、地動説を世に出す機会を阻止され、関係者が死に、地動説が断絶する(その意味では天動説の勝ち)

となったのが最終回でした。

きっと、マジかよ……と頭を抱えた視聴者も多かったのではないでしょうか。

それもそのはず、多くの作品において、なんだかんだありつつも最後は日の目をみる、成功する、報われるのが王道の最終回です。ですので、視聴者の皆様は心のどこかで、

「最後には地動説が認められるはず」

と思いながら、今か今かとその時を待っていたはずなのです。

何しろ我々は地動説の正しさが証明された時代を生きているのですから、必ずそこに到達するのだと、そうしてこの物語は感動のフィナーレを迎えるのだと、そう思うのが普通です。

しかし、そうはならなかった。

私はなんとなく23話が終わったあたりで、

「あと2話でこの状況ってことは、最悪どうにもならない可能性あるな」

と覚悟していたので頭こそ抱えませんでしたが、それでも抱いたのが冒頭の

「よくこの令和にこの作品がアニメ化されたな!」

でした。

世は異世界転生ものが相変わらず猛威をふるい、大逆転活躍劇が溢れています。悲劇に遭遇した主人公は軒並み報われ、幸せに過ごしています。

にも関わらず!このご時世に!なーんにも報われずに断絶して終わる!

とんでもない作品と言わざるを得ないでしょう。昨今のトレンドから考えると、このオチは文句を言う人が出てきてもおかしくないのでは、と危惧するレベルです。

しかしながら私は、だからこそこの作品はすごいなと思いました。

決して逆張りして「私は分かってる風」を装っているわけではありません。本当にすごいなと思うのです。なぜなら、断絶して終わることで、この作品で描かれていることは全て「埋もれた歴史」になりました。

歴史というのは記録の積み重ねですから、わずかに残っていた繋がりが消え、全ての記録が闇に消えたとき、その歴史は観測できなくなります。

するとどうなるか。途端に、フィクションであるはずの漫画の説得力が増すのです。

……もっと分かりやすく言いましょうか。

つまり、それまでの話を埋もれた歴史にすることで、「観測できていない空白期間に、漫画で描かれていた内容が実際に起こっていたかもしれない」というIFを読者に与えることができるのです。

歴史の陰に埋もれさせるからこそ、読者はそう考えることができます。確かに、全ての努力と研究が闇に消えるのは、主人公たちのことを思えば無念なのですが、そうしておくことで、急に漫画のリアリティが増し、わくわくするでしょう?

もちろん、事実を言ってしまえばこの作品はまぎれもなくフィクションで、作者の頭の中で構成され、世に放たれた物語であるはずです。

ただ、そこに歴史的な矛盾がないだけで、途端にそれは「あったかもしれない過去」として語れるようになります。

そういう作品として成立するように仕上げたことが、この作品のすごいところなのです。

そういう意味では、最終回で「アルベルト・ブルゼフスキ」という実在の学者を主人公にしているところが、この作品の肝です。

最終回でもナレーションで語られていますが、このアルベルトは、コペルニクスを教え子に持つ学者です。そしてコペルニクスといえば、まさしく歴史上で「地動説の提唱者」として名を残す偉人です。

つまり、主人公達がつないできたバトンこそアルベルトに渡せなかったものの、アルベルト以降は日の目を見て歴史に名を残すことができて、結果的に地動説が報われている、ということが分かります。

なんとおしゃれな終わり方でしょうか。

私は最初に「着地したのが「スタートラインより少し手前」だった」と評しましたが、つまり、

「地動説を唱えたコペルニクス」こそが歴史上での地動説のスタートであるにも関わらず(実際には大昔にも太陽中心説を唱えた人はいたようですが)、それより手前のアルベルトまでで作品が終わったため

そう評したのです。

ちなみにコペルニクスが地動説を唱えた著書『天球の回転について』は1543年出版のようなので、『チ。』で描かれた最終回から100年ほど後ということになります。

『チ。』に触れたあとだと、

「もし主人公達の運命がもう少し違っていたら」

という気持ちになりますね!

感想を少し、とは

というわけですみません、長くなりました笑

いや少しだけ語るつもりだったんですよ本当に。でも書き始めたら興が乗ってしまいこうなりました。

まとめですが、『チ。 ―地球の運動について―』は良い作品でした。

漫画を紙で買って手元に置いておこうか、と思うくらいの作品に出会えたのは久しぶり。もちろん、全部で8巻しかないというコンパクトさも含めてそう思わせてくれたのだと思いますが、一言で言うと「人に貸したい」作品ですね。

元々ガリレオ・ガリレイが好きで、題材にしてシナリオを書いたくらいなので(宣伝:異端審問)絶対見たい!と思っていた作品でしたが、正解でした。

少々難解な言い回しもあって私も1回では咀嚼できなかったところがありましたし、拷問の描写などもある上、報われずに終わるので、好き嫌いはだいぶ分かれるかもしれませんが、よろしければぜひ。

チ。 ―地球の運動について― 1巻(Amazonリンク)

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