迷ってへたれて抱きしめて② #3

「雪氷ったら。急に来たと思ったら、用だけ済ませてさっさと行っちゃったわね。昔っから変わんないんだから、もう」
 おばさんという嵐のような人が過ぎ去り、静かになった玄関で、母さんが呟いた。
 
 呆れたような、それでいて、変わらぬ妹の姿を喜んでいるような、そんな響きが含まれている。
 
 きっと母さんは、昔からおばさんの相手をしては、苦労してきたんだろうな。ただ、どこかそれも嫌いじゃない。
 
 同じように妹がいる僕としては、多分そうなんじゃないかと、そんな気がした。
 
 ……まあしかし、あのおばさんよりは、母さんが母さんで良かったぜ。母さんも変わった人ではあると思うが、まだ落ち着きがあるもんな。
 
 おばさんと生活するのは疲れそうだ。家は落ち着ける場所が良い。
「――まあとにかく、いつまでも玄関にいるわけにいかないからね。さあ、あがってあがって」
 ふう、と一息ついて、切り替えたらしい母さんは、すっかりいつもの調子になって、三人を促した。
 
 あの人の子とは思えないほどおとなしく待っていた彼女たちは、
「お邪魔します」
「おじゃましまーす!」
「お、おじゃま、します……」
 三種三様ではあるがきちんと挨拶をしてから、僕や母さんに続いてリビングへ入っていく。しっかりしてるなあ。
「とりあえず座って。今お茶を用意するから」
 若干緊張しているような三人に、にこやかな表情で告げてから、母さんは台所へと向かった。実は結構子供が好きな母さんは、なんだかんだ言ってこの状況を楽しみ始めているようだ。動作も軽く、突然世話を任されたにしては機嫌も良く見える。
「あっ、私、手伝います」
 小さい妹たちを椅子に座らせてやりながら、杏子ちゃんが名乗りをあげた。
「あらあら」
 母さんは少し驚いた様子で、感心したように呟く。
 
 普段言われ慣れていないからびっくりしたんだろう。僕も那都葉も、手伝いなんてしないからな。自慢できたことじゃないけど。
「偉いのね。でも、大丈夫。座ってて」
 母さんはちょっと嬉しそうに、軽く杏子ちゃんの頭を撫でた。
 
 さすがに、いきなりお客さんに手伝いをさせることはしないらしい。
 
 だが、なぜかやる気に満ちた表情を浮かべる彼女もまた、簡単には引き下がらなかった。
「でも、これからお世話になりますし……」
 そう言って食い下がっている。どうやら、自分たちが少なからず迷惑をかけることに対して、申し訳なさを抱いているようだ。礼儀正しい子だなと思う。僕が同じ状況になったとき、同じように言い出せるだろうかと考えると、あまり自信はない。
「雪氷もなかなかしっかり子育てしてるのね……」
 母さんはその様子に、妹の頑張りを見たようで、ますます嬉しそうになった。
「そうね、じゃあ夕飯の準備は手伝ってもらおうかな。だからまずはおばさんに、ちゃんとおもてなしさせて」
「……はい、分かりました。そのときはまた、言ってください」
 一瞬、しゅん、とした顔になったが、仕事を与えられたことは嬉しかったのか、ぺこり、と頭を下げて、杏子ちゃんは引き下がった。
「はいはーい! なっちゃん、ジュースがいい!」
 と、椅子に座りながらそんな様子を見ていた双子の片割れが、『お茶』という単語に反応してか元気よく手を挙げた。足をぱたぱたさせて、全力で母さんにアピールしている。「なっちゃん」というからには、凪未ちゃんのほうだろう。さっきまではわりとおとなしかったが、もう慣れたのだろうか。
「こら、凪未!」
 わがままを言う妹をしかる杏子ちゃん。だが母さんは笑って、
「オレンジジュースでいい?」
 冷蔵庫を開けながら、凪未ちゃんに尋ねる。
「うん! なっちゃん、オレンジジュース好きー!」
 元気よく頷いた彼女は、嬉しそうにまた、足をぱたぱたさせるのだった。
「すみません、おばさん」
 杏子ちゃんが申し訳なさそうに謝った。いいのよ、と母さんは手を振って応じる。そのやりとりはまるで大人同士のようだ。とても、小学六年生の気の遣い方ではない。ずっと感じているが、本当に杏子ちゃんはしっかりしてるなあ。
 
 那都葉もあれくらいしっかりしていれば……
「……ん?」
 そういやあいつ、どこ行った?
 
 思い返すと、三人が部屋に入ってからというもの、奴は一言も発していない。
 
 いつもしつこいくらいにアピールしてくるあの存在感が、一切感じられなかった。静かすぎるのも不気味になって、少し辺りを見回す。すると、
「……なにやってんだ、お前」
 那都葉はリビングのドアを半分ほど開けて、そこから覗くようにして、廊下からこちらを見ていた。正確には、「僕を」見ていた。じとーっとした視線が僕に注がれている。
 
 僕が気付いたことは分かっているはずだが、責めるようなその視線に変化がなかったので仕方なく僕から近づいていくと、
「……お兄ちゃんの浮気者」
 ぼそっとした言葉とともに、がちゃん、と直前でドアを閉められた。その後、タタタッ、と階段を駆け上がっていく足音がする。
「……うちの妹は手がかかるなあ」
 僕は頭をかいた。
 
 浮気者、って言われてもなあ……。
 
 少し考えて、今回は那都葉を放っておくことにした。何しろ、おそらくこれから三日間は、根本的な解決は難しいだろうからな。
(#4へ続く)
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