よくも悪くも止まっている感覚があるなあ。
どうもこんばんは、ふぁいんです。
本日2024年8月25日、32歳になりました。おそらく21歳から続けているこの「●●歳の私(僕)」シリーズ。もちろん書かないという選択はないので書く気は満々だったのですが、もしかすると一番内容に悩んだかもしれません。その理由やらなんやらを、筆の赴くままに書いてみましょう。
31歳と32歳に違いを感じねぇ
一昨年は30代への突入、昨年はおじさんの実感と、何かしらの変化を感じてきたここ数年。
変化があるならそれを記せば良いじゃない、ということで、特に悩むことなく書いてきたこの誕生日記事なのですが、今年はびっくりするくらい何も変化を感じ取れませんでした。
とっくにいい大人なのでこれといった成長の実感はなく、さりとて大きな退化や不調を感じることもなく。
昨日と今日との違いが実感できないのと同じくらい、去年と今年の違いを感じないなあというのが正直な所感です。
それは、良い意味では平穏無事であるということであり、悪い意味では何も成せなかったということであります。一長一短なので評価することすら難しいというのが総評になるでしょうか。現状維持とも停滞とも呼べるのがこの1年でございました。
問題(かどうかも評価が難しいところですが)なのは、それを体現するかのように、生活もまた可もなく不可もなく、一定であるということ。
サラリーマンの名の下に、豪遊はできないが特に不足を感じないくらいの収入が毎月自動的に振り込まれることで、その収入の範囲内に生活が収まるようになってしまいました。
ほどよく好きなものを食べ、ほどよく好きなものを買い、ほどよく遊ぶことができている現状は、不足していたからこそ抱いていた「向上心」や「飢え」のようなものを消し去り、結果として努力は目的と理由を失い、消え去りました。
だからこそ変わらぬ気がする31歳⇒32歳。人間のベースは怠惰なのだということがよく分かる今日この頃です。でもそれで困ることがないんだから仕方ない。生きていけるんだから仕方ない。
不足がないこの現状を「幸せ」と呼ぶのであれば幸せなのだろうと思いますが、皆様どう感じますでしょうか。
不足が不足している
迂遠な文章でつらつら書いてみましたが、結局こういうことなのかなというのがこの章題です。
足りないときはそれを補おうとあがき、早くこの苦労から抜け出して安泰な生活をするのだと願うのが人の性ですが、いざ安泰な生活になってみると、ひたすら怠け、物足りなさを感じ始めるのだから厄介です。
一般的な日本人の価値観においては、努力や向上心は美徳であり、怠惰や停滞は悪徳とされているわけですから、その理屈で言うと人間は「足りないくらいが丁度良い」ということになるのでしょうか。
けれどもいくら「丁度良い」と言われたところで、事実として、不足を感じてもがくその瞬間はあまり幸せだと思えていないわけで(だからこそもがいているわけで)、すなわち人間が主観的な意味で幸せになれるのは「不足を満たしたその瞬間」だけということになりそうですね。
なんという悲しい生き物なんだ、人間よ……。
ま、なんかするよ
ということで、書くことがないから思うがままに書いたら話がよく分からない方向に進んできましたので、ここらで終わりに向かいたいと思います。色々書きましたが、別に私は自分を不幸とは思っておりませんのでご心配なさらず。
改めて、32歳になりました。31歳との違いはさっぱり分かりませんが、とにかく人生は続いていくのでやりたいことをやっていこうと思います。やりたいことがある内が花。未経験のものなんて世界には山ほどありますから、そのうちいくつ体験して死ねるのか。それを挑戦として生きていくのがいいでしょう。
「おもしろく生きる」という座右の銘を忘れずに。32歳も、歩き始めます。
あ、ラジオでもまた雑談しているので貼っておきますね。
コメント