書いておきたくなったので簡単に。
本記事の概要
2026年1月5日。多くの社会人が長期休みの終了に絶望する日。
私は有休を使って1日延長していたため、まだ休暇にしがみつき、陰鬱な気分を抑え込むことができた。
されど、たかが1日。2026年の平日は、間もなく、否応なしにやってこようとしている。
そこで現実逃避も兼ねてこの年末年始を振り返ったところ、なかなか有意義だったのでは? と思えてきたため、「インプットしたこと」に焦点をあて、本記事でアウトプットしておく。
読者を想定した記事というよりは私的記録の側面が強い。とはいえ、インプットを通じて私が何を得たかは記載するので、読むことに価値がないとは言わない。判断は、このページを開いたあなたにお任せする。
インプット1:小説『Phantom』(羽田圭介)
ここ1、2ヶ月で見るようになったYouTubeチャンネル「積読チャンネル」にて紹介されており、テーマが興味深かったので購入。
本の帯には「FIREの先は薔薇色なのか」とあり、動画で紹介されていたとおりの本であることが伺えた。
小説だが192ページしかなくかなり薄いため、一瞬で読み終わるだろうと思った1冊だったが、意外にも時間がかかった。
それはひとえに「あんまり面白くなかったから」。白状すると、60ページほど読んだところで1度読むのをやめた(その後思い直して最後まで読んだ)
とはいえ安心して欲しいのは、レビューを見ると称賛の声が多々あるので、おそらく私に合わなかっただけだと思われる。というのは、私が「面白くない」と思った理由が明確に分かっていて、それは「共感要素がなかったから」だ。
主人公は、年収250万円ほどの女性・華美。
彼女はFIREを目指し米国株に投資しながら、資産5000万円を目指している。そのため生活は倹約が基本で、そのせいで友人と疎遠になったりする。その他にも色々な出来事やトラブルがあり、それが彼女の考え方に影響を与えていく――というのが本書のざっくりすぎる大筋なのだが。
「東京都内でないとはいえ、年収250万で1人暮らし。今の時代、投資に回す余力なんてあるか?」なんていう余計な疑問や、「友人関係すら損得勘定という考え方は、キャラクターの個性としては分かるが」なんていう価値観の違いがあり、どうにも主人公に感情移入できないまま、淡々と読んで終わってしまった。
前者に関しては自身の新入社員時代を思い出しての疑問だったし、後者に関しては「そもそもお金を惜しむような奴と友人関係を維持しない=中途半端な繋がりは切って0にしている」という私の性格によるところが大きいわけだが、とにかくそんなわけで小説を小説として楽しむことができず。
しかしながら「インプット」としては大きな収穫を得た。
「小説を読む」という体験に私が求めているのは、それによる「問いかけ」であり、読書を通じて自身の価値観、思想、視点に一石を投じて欲しいのだ、ということ。
自身が影響を受けるには、自身に重ねられる要素が何かひとつでも必要なのだ、ということ。
それができない作品は、どんなにメッセージ性に富んでいても「つまらない」のだ、ということ。
――つまり、小説の「面白さ」とは何なのかを、本書を通じて、読者の視点から言語化することができた。
もちろん、これが全てとは思わないものの、「自分は面白いと思ったのに他人に刺さらない」理由の説明にはなったと感じたので、自身の執筆に活かしていきたい所存だ。
インプット2:新書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆)
上記『Phantom』をきっかけに読書の波が来た私が、書店に寄った際に「これ話題になってた本だった気がする」と手に取って購入した1冊。
タイトルの通り、「働いていると本が読めない」理由、もっと言えば「でもスマホゲームや動画視聴などをすることはできる」理由を歴史的観点をまじえて考察している。
明治時代まで遡り、大正、昭和、平成、現代までの「読書」とは何だったのかを分析しながら、本題である「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」に迫っていくため、本書の半分は、
「読書」あるいは「本」というものを軸にした「人々が重視するもの、ニーズの変化」まとめ
だと思って良い。
ネタバレなので詳細は書かないが、私は「なぜ本を読めなくなるのか」という問いに対して、一定の納得感がある回答を得られたように思う。
その意味では読む価値のある1冊だった。
とはいえ、積極的におすすめするかというと、そこまでではない。
本書を通じて「本が読めなくなる理由」が分かったとて、解決には向かわないからだ。
いや正確に言えば、一応巻末にて「こうしよう」という理想の話は出てくる。
だがそれは概念的なものであり、著者自身も「まだ絵空事であり、どうすればいいのかは私にもわからない」と明記している。ゆえに、そこに少しの気持ち悪さ、不完全燃焼感があるのだ(これは私に「原因分析をしたら対策も示す」という考えが浸透しているからだろう)
とはいえ、解決できないまでも、原因が言語化できるところにメリットはある。
少なくとも私は本書のおかげで、今後本が読めないときに「ああ、今こういう状態なんだな」と自分を俯瞰することができる。
「本を買ったのに読めない」――いわゆる「積読」はある種の罪悪感や悲しみをもたらす場合があるが、明確に理由付けできることでそれを軽減することが可能だろう。
その恩恵だけでも受けたい場合は、本書をおすすめできる。ただその場合、「積読で悩む人に新たな本を薦めることになる」という悪魔のような構図になるが。
インプット3:映画『TOKYOタクシー』
続いては映画だ。そう、インプットの手段は本に限らない。
この年末年始に映画を2本観た。どちらも現在公開中のもので、買い物ついでに映画館へと足を運んだ。
1本目は『TOKYOタクシー』。
倍賞千恵子さん、木村拓哉さん主演。
この映画を選んだ理由は、なんとなく、だ。
せっかく外に出るし映画でも観るかぁ、と上映中映画の一覧を眺め、あらすじを見て「何か好きそう」くらいの感じで選んだ。
正解だった。
本映画は2022年のフランス映画『パリタクシー』を原作としているらしい。残念ながらそちらは見たことがないのでこれ以上何も書けないが、映画が原作の映画というものをあまり観たことがなかったので物珍しく思った。
あらすじとしては、個人タクシーの運転手・宇佐美(木村拓哉)が、長距離の依頼で稼ぎがいいということに釣られ、東京から神奈川へ、すみれ(倍賞千恵子)を送迎する、というストーリー。
すみれは老人ホームに入居するため、最後に思い出の東京を見て回りたい、と、宇佐美をあちこちに連れ回し(運転しているのは宇佐美だが)思い出を語る。
高校入学を控えた娘のため、仕事として車を走らせるだけだった宇佐美は、すみれの口から紡がれる人生にいつしか心を揺さぶられていく。
この映画のおもしろいところは、車内で思い出を語るシーンが大半を占めている、というところだ。
色々な地に立ち寄りはするが、回想は車内で行われ、その間も車は着実にゴール(老人ホーム)へと進んでいく。
時間にしてたった1日。その1日に、すみれの人生が詰まっている。
これがまた、時代もあって壮絶なのだ。
陳腐な表現しかできないのがもどかしいが、女性は強いと思わされた。
だからこそ、ずっと車内でも飽きがこない。観客も宇佐美と同じように、徐々にすみれの人生から目を離せなくなっていく。
違う時代の話で、ともすれば遠い世界の話のようでもあるのに、すみれの口から直接聞くことによって、確かに今と地続きであると実感させられる。そんな重みのある映画だった。
終了後にはシンプルに「良い映画だった」という思いが残ったので、もしまだお近くの映画館で上映していれば観て損はないと思う。特に「年上の方が自身の経験を語ってくれるのを聞くのが好き」という方にはおすすめだ。
あるいは、すみれは85歳なので、同年代の方にも刺さるものがあるかもしれない。
一部、なかなかえげつない(特に男としては思わず震え上がる)描写もあったりするが、そんな衝撃も含めて、良い映画だった。
個人的には、繰り返しになるが「大半は車内」という構図が印象的で、言ってしまうと私自身の作風に合うな、と思った。
私の作品も、基本的な構図は変化しないまま、主人公の語り、あるいは登場人物同士のかけあいでもって進行する場合が多い。逆に言えば「動きが少ない」わけで、それは課題であるとも認識しているのだが、本作は「それでも良い話がつくれる」と教えてくれたような気がした。
そういう意味でも観て良かった映画だ。
インプット4:映画『この本を盗む者は』
2本目の映画は、深緑野分原作の劇場アニメ『この本を盗む者は』。
読長町という町を舞台に描かれるファンタジー作品だ。
読長町には「御倉館」という有名な建物がある。
それは、御倉嘉市という本の蒐集家が残した巨大な図書館とも言うべき所蔵庫。一体何冊の本が収蔵されているのかすらはっきりとしない、暗く、深い、本の森。
そこには、嘉市の娘・たまきが残した鉄の掟があった。
「御倉以外の人間を、御倉館に入れてはならない」
「本を御倉館の外へ持ち出してはならない」
本作は、そんな御倉館を中心に展開していく。
正直に言ってしまうと、この映画が始まってしばらくの印象は「とんでもファンタジーだな~」だった。
鉄の掟があるということは(物語のお約束として)すなわち破られるというわけで、ある日御倉館から本が1冊盗まれてしまう。
それを機に発動する御倉館の防衛システム・「本の呪い」。
それは、読長町全域を「本の世界」に閉じ込めることで犯人の逃亡を防ぐという代物だった。
主人公である御倉深冬は、突如として現れた謎の少女・真白の助言に従いながら、本を取り返し、呪いを解くために奔走する。
この間、観客たる私の素直な感想としては「本の世界に閉じ込めるってなんだよ」であり、疎外感を強く感じていた。この段階では、私はまだ「この本を盗む者は」の世界の外に置いてきぼりにされていたのである。
何事にも理屈を求めてしまう現実志向の大人は、突然起こる不可思議な事象の波にうまく乗ることができないのだ。何とも悲しいものである。
しかし本作は、物語の進行によってそんな悲しき大人も掬い上げてくれる。
本の呪いとは何か、どう対処すればいいか、そしてその先に待つ真相――
終わってみれば、悲しき大人の心に残るのは純粋な「本っていいよな」という思いだった。空想世界に入り込めず、なんならほんの少しバカにして、斜に構えてしまっていた汚れた大人は無事に浄化された。なんなら、私がクリエイターだからこそ涙が滲んだ。自身の作品と、自身の登場人物への愛を刺激された。
本作は、特に「本」というものに対して単なる「読み物」以上の思いを抱いたことがある人におすすめできる作品だ。
単なる知識の集合、情報収集用の媒体、消費する情報コンテンツ……そんな「役割」ではなく、「本」を「本」として好きな人に刺さる作品だと私は思う。
同時に、本に限らず何かを蒐集するのが好きな人にも共感できる部分があると思った。
本の持ち出しを禁ずる「本の呪い」とは、すなわち「完璧への執着」であると私は思う。
私もコレクター気質があるので分かるのだが、自身が愛をもって集めた蒐集物は、やがて個としての意味だけでなく、全として意味のあるものになっていく。
イメージしやすいのは本棚だろうか。
作者順に並べる、五十音順に並べる、分野別に並べる、あるいは、自分にしか分からない規則でもって並べる。
本棚に本を並べるとき、そこには蒐集家のこだわりが反映される。本棚の主にとって「この本はこの並びであることが気持ちいい」のであり、やがてそれは「この並びでなければならない」に変わる。整然と規則通りに並んでいる状態こそが「完璧」となるのだ。
そうなってしまえば当然、1冊の抜けも許せるはずがない。そんな執念こそが「本の呪い」だろうと思った。
ゆえに、そんな執念に共感を覚える方にも刺さる1作だろう。
本作は私に、凝り固まった現実志向の悲しさ、本と作品への愛、コレクションという行為にひそむこだわりを実感させてくれた良作である。
おわりに:やはり感想を書かなければならない
以上がこの年末年始のインプットだ。単なる記録として書き始めたが、終わってみて思うのは、これもインプットかもしれない、という思いである。
読書や映画鑑賞は一次的なインプットだが、それを感想や記録という形で一旦アウトプットし、それを自分で読むことで二次的なインプットをする。
それによってインプットは完成するのかもしれない、と思った。「教えるのが最高の学びである」という言葉もあるが、やはり自身の言葉で言語化してこそのインプットであり、極論を言えば一次的なインプットは単なるコンテンツの消費に過ぎないのかもしれない。
ゆえに思う。感想を書くことは必須だと。真に自身の引き出しへしまい込みたいなら、収まるかたちに一旦整理しなければならないのだ。
そうしなければ、引きだそうと思ったときにうまく出てこない。なんなら、忘却と言う名のゴミ箱に捨てられ、感じた思いとともに消え失せる。それは悲しいしもったいないから、今後もインプットのたびに感想を書く必要があるのだろう。
――だが、私は知っている。
それこそがインプットのハードルを引き上げ、本を開く手を、映画館に運ぶ足を重くする。
この本を読んだら感想を書かなきゃなんだよな~
この映画観たら感想残さなきゃなんだよな~
そう思った瞬間に、動けなくなる。人間とはそういうものだ。……いや、主語が大きすぎた。少なくとも「私」はそういう生き物だ。
何かをするときに余計なハードルを設けてはいけない。
ハードルの数は低く、少なくなければならない。
本を読む度にこうしてブログで記録するなんてもってのほかだ。特に私は長文の生き物だから、毎度毎度書く度に多大な時間がかかる。考えながら要約し、文章を生み出すのは大変なのだ。この記事だってすでに3時間かかっている。
そこでその対策として、私は本当に今さらながら「読書メーター」を始めた。読んだ本、読んでいる本、読みたい本を管理し、感想をわずか255文字で記録しておけるアレだ。
存在は知っていた。ずっと前から知っていた。しかし今の今まで必要性を感じていなかった。まさに「働いていると本が読めなくなる」事象に遭遇していたから、もはやここ10年の私には、自分が定期的に読書をする自信が持てなかった。
しかしこの年末年始の読書体験を通じて、これは続けられそうだと思えた。
それは、ひとつには「紙の本」の強制力を感じたことにある。
『Phantom』の感想を書いた際、しれっと「1度読むのをやめたが思い直した」と書いた。
正直言って(私にとっては)本当に面白くなかった本を、なぜ読み続ける気になったのかといえば、「3分の1ほどのところに挟まっている栞」が私に訴えてきたのだ。
「お前はまだここまでしか歩いていない。本当に投げ出していいのか。この先に思いも寄らないものがあるかもしれないのに」
……要は、物理的な本は「読んだ量と残量が一目瞭然である」ということが、私に強く「中途半端さ」「挫折した感」を抱かせ、それが気持ち悪く、消化不良で、再度手に取るに至らせたのだ。
端的に言えば「仕方なく読んだ」。でも、言い換えるとそれは「最後まで読ませる力が紙の本にはある」ことに気付かせてくれた経験だった。
ゆえに私は、紙の本が持つ強制力を信じて読書メーターを始めた。契約していたKindle Unlimitedは解約した。いつでもすぐに読める電子本によって読書機会が増えることはなかったし、読み始めても大半は途中でやめていたからだ。今後は紙の本に頼って本を読み、記録は短く読書メーターに残していきたいと思う。
幸いにも、冒頭で動画を紹介した「積読チャンネル」を見ていると、読みたい本はどんどん増えていく。読みたい本がないという理由で意欲が途切れることはないだろう。
なくなるとしたら、それこそ「労働」が理由になるだろうが、私はもう「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」知っている。知っていれば、適切に休むことができる。読めない自分はダメな奴だと思わなくて済むのである。
ここで今年の目標のおさらいだが、2026年は「読まれるものを書く」必要がある。そのためには「読まれるもの」を知らなければならない。
そのためにも、無理せず読書を続けていきたいと思う。
映画も観たいのだが、どう感想を残すべきかが課題だ。良い案があればコメントをお待ちしている。


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