不変の鑑 -尾崎豊没後30年-

2022年4月25日。

今日この日で、尾崎豊が亡くなってから丸30年が経過しました。

1992年生まれの私は、今年で30歳。自分の年齢が、そのまま「尾崎がいなくなった後の時間」であることは、ある意味でむしろ、尾崎豊という存在をより意識する要素として、私の中にある気がしています。

過去にも色々なところで言ったことがある気がしますが、私が尾崎豊を知ったのは2011年、18歳のとき。この年は、自身が高校を卒業した年であり、東日本大震災があった年でもありました。

日本にとって衝撃的なニュースが連日メディアで取り上げられ、地震国である日本が、おそらく史実上何度も経験してきたであろう――そして、決して慣れることはないだろう悲しみに暮れたこの年は、私にとっても特別な年だったと思っています。

私自身は被災したわけではないものの、あまりにも大きな揺れは私の実家をも大きく揺らし、おそらく初めて、真の意味で「命の危機」を感じさせました。学校で受けてきた避難訓練は、頭ではその重要性を理解していたものの、どこか「遠い世界」の話でありましたが、あの日、心の底から恐怖を感じて机の下に逃げ込んだとき、日本人であれば逃れられない「現実」なのだと感じたことを記憶しています。

そんな、「命」を考えた2011年。同時にやってきていたのは、前述のとおり、高校を卒業して大学に入学するという節目でした。

当時、私は、どこかで迷っていたのだろうと思います。そして、自信も失っていたような気がしています。どうしても勉強する気が起きなかった大学受験。結局最後までまともに勉強することなく、流れに流れて受かったのは、お世辞にもレベルが高いとは言えない大学でした。自業自得、それはそうなるだろうという結果であり、今振り返ると、別に悪いばかりの選択ではなかったなと思えるのですが、当時、学校の成績がひとつのアイデンティティであった私にとってそれは、――勉強しなかったくせにおかしな話ですが、挫折感を伴うものでした。

そんな折りに出会ったのが尾崎豊の歌です。

底辺と呼ばれる学校へ進むこと、そしてその先に待っているだろう就職は、未来の色として薄暗く見えていましたから、人生は唐突に終わるかもしれないと知ったからこそ、このままで良いのかと、私は葛藤していました。そんな私の耳に、飛び込んできたのが尾崎豊の歌でした。

迷い、足掻きながらも、信じたいものを信じ、駆け抜けた人生をそのまま表すような歌詞。時に激しく、時に優しく、時に憂いながら紡がれる歌声。

ありきたりな言葉ですが、心に染みたのだと思います。共感したのだと思います。そこから尾崎豊の曲を聴き、翌年、2012年には、父とともに「OZAKI20」を見に行っている私がいました。

2012年もまた、当然ながら節目。「20歳」という、子供と大人の節目。今年から成人年齢は18歳に引き下がりましたが、そんな皆さんもきっと、「だからといってすぐには大人になれないこと」を強く感じているのではないでしょうか。少なくとも当時の私は、自分のことをまだまだ子供だとしか思えなくて、迷い、どこか不安も抱いていました。

そんなときに開かれたのが「OZAKI20」です。当時の私は、その時の私にとってはまだ未来だった「26歳」までを生きた尾崎豊を、追いかける気持ちで見ていたような気がしています。

そして2022年。あれからまた10年が経ち、彼の年齢を超えた後の「OZAKI30」。

私は3月30日に、今度はひとりで展示を見に行きました。可能な限り、ゆっくりと向かい合いたくて、休みを取って向かった平日の昼。それでも、彼に会いに来ている人はたくさんいました。

私より年上の方はもちろん、同世代、そして年下、あるいは、10年前の私のように、親子連れで来られている方々もいました。

10年ぶりに向き合う尾崎豊は、10年前より、ちょっと知った気になっている尾崎豊でした。彼を知ってからの11年間で、私なりに彼を見つめてきた結果が表れていたのだと思います。だからなのか、どこか、「帰ってきた」ような気もして、でも、今だからこそ思うこともあり、不思議な空間でした。

気づけば、あっという間に1時間以上没頭し、彼と向き合っていました。

今回の展示で最も印象に残っているのは、「尾崎豊が尾崎豊を演じている部分があった」というエピソードです。どう振る舞えば「尾崎豊」らしいのか。彼がそう考えていたということに、共感する部分がありました。

このネット社会で、私も、現実とは違う名前を持って活動しています。その際には、「それらしい振る舞い」をすることがあります。尾崎豊もまた、そういう部分があったことに、ある意味で人間らしさを感じたのかもしれません。

おそらく、人間は、ネットがあろうとなかろうと、「自分」を演じている部分があると思っています。学校、職場、その他公の場で、求められる自分を演じているものだと思っています。それも含めて「自分」であり、「自分はこういうもの」だと思えることで、強く在ることができる部分もあると思うのです。そして、プロであればあるほど、それができてこそというところもあるように思います。

私も、私として、私らしく在ることを忘れてはならない、私が信じるものを忘れてはならない、大切にしなければならないことを感じさせてくれました。

尾崎豊は、歌手ですが、言葉の人です。このことは、彼のファンである方々にも共感いただける事実だと思いますが、仮にそういう評価でなくとも、私にとって尾崎豊はそういう人です。彼の歌詞に心を掴まれ、彼の言葉に考えさせられ、咀嚼し、この11年間は生きてきました。

物書きの端くれとして、言葉を通じて、色々なことを表現していきたいと思っていますが、そんな私の言葉に、確実に影響を与えてくれたひとりとして、尾崎豊は存在しています。

これからも、迷った際には、尾崎豊をひとつの鑑として見つめていきたいと思います。彼は、止まってしまっているからこそ、……不変であるからこそ、その時々の私をうつす鑑となってくれるでしょう。

俺は決してまちがっていないか

――間違っていないか、見つめていきたい

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

――自分を失わないために、自分に負けてはならない

なぜ生まれてきたの

――その理由を、これからも探す

愛すべきものすべてに

――すべてに

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