みせ

「本当にあった。酔っ払いの戯れ言じゃなかったのか」

 電車を降りて二分ほど。お世辞にも栄えているとは言いがたい寂れた駅の近くに、その店はあった。都内から一本で来れる……と言えば聞こえはいいけれど、実際は、乗っている人を根こそぎふるい落とした、くだり電車の終着だ。

 スマホのメモを頼りに行き着いた、細い路地の入り口。一見すると空き家としか思えない建物が、ぽつん、とたたずんでいる。一応、店……そう、店らしいのだけれど、看板もなければ、人気ひとけもない、古ぼけた店だ。何の変哲もない木造平屋。知らなければ、意識の内側に入り込むことすらなく、ただの背景として通り過ぎるだけだろう。だけど……。

 私は二歩下がって、その店の全景を視界に納める。なぜだろう、特徴らしい特徴はないはずなのに、一度意識してしまうと、なぜだか目が離せなくなってしまう。言葉にするのは難しいけれど……言うなれば、そう、特徴がないのが特徴、とでも言うべきか。わざとそうして周囲に溶け込み、意図して意識の外に逃れようとしているかのような、そんな気がした。

 ざわざわと、焦りが心を撫でる。

 次の瞬間にでも、溶けてなくなってしまうのではないか。

 ……気づけば、腕が伸びていた。そのままに、ドアノブへと手をかける。力を入れて捻ると、キィ、という音がして、すんなり開いた。見た目どおり、少しばかり頼りない扉だ。ちょっと勢いよくぶつかったら、そのまま破れてしまいそうなもろさがある。

「すみませーん……」

 薄暗い店内に首を突っ込み、見渡しながら声をいた。信じられないが、これでしっかりとあかりはついている。天井からいくつもぶら下がっている電球が、棚や床、舞うほこりまでもを浮かび上がらせているのに、どうにもぼやけた印象を拭えない。顔のすぐそばにも電球があって、熱を感じないから白熱電球というわけでもないだろうに、こんなに主張しないLEDなどあるのだろうか。笠すらない、丸裸の直接照明なのに、間接照明に照らされている気分だ。

「ごめんくださーい……失礼しますねー……」

 なんにせよ、灯りがついているのであれば人はいるのであろうと、意を決して店内に全身を入れてみた。ぼんやりとした光に飛び込んだ途端、なんだか、自分もぼんやりしてしまった気持ちになる。現実なのに、映画のよう。もしくは、夢の中にいるようだ。一向に誰からも返事はないし、本当に何か、幻にでも迷い込んだのではないかという気がしてきた。思わず振り返る。しかしきちんと扉はあった。当たり前だ、なくなったら困る。けれど、そんな当たり前が、心を少し強くした。そもそも、そんなに広い店内でもない。であればこそ、そろそろこの店の主人を見つけられそうなものだったが、しかし、奥まで見渡しても、そんな姿は影もなかった。

 ちょっと野暮用で外出中? 鍵もかけずに?

 油断すると、不安と謎が隙間に忍び込み、心がくじけそうになってくる。一刻も早く出るべき、いや、入ってはいけなかったのではないか。そんな気になる。だが、今日の目的は取材だ。友人から、この終着駅に何だかよく分からない店があると聞いてやってきたのだ。せめてなんの店なのかを解明しないことには、帰るに帰れない。

 ……大丈夫、だよね? 不法侵入とか、言われないよね?

 こういうとき、つくづく自分は小心者だと実感する。趣味と副業で始めた隠れ家紹介ブログが発展し、こんなジャーナリストもどきをやっているが、本来はガンガンいけるタイプでもないのだ。外交的で積極的なら、こっそり個人でブログなんて始めたりしない。最初はただ単に、自分が行ったお店の感想を書いていただけなのだ。それが思いのほか読まれて、調子に乗って仕事から逃げて、今がある。

「誰かいませんかねー……いませんねー……」

 最後の抵抗とばかりに声を張り上げたが、尻つぼみになって棚の奥へと消えた。そう、棚の奥だ。店内を見回せば、四方の壁が、扉や窓などを除いて、すべて棚になっている。天井まで高くそびえる商品棚。そこに、本やら木箱やら謎の人形やら、ずらりと陳列されていた。いや、これは陳列というより、とりあえず押し込んだというべきか。はたまた、隙間を闇雲に埋めたというべきか。商品に統一性がないどころか値札すらないので、もしかすると店というのは嘘で、単なる物置か倉庫なのではないかという気がしてくる。

 だが、そのわりに、店の中央奥には、まごうことなきレジカウンターがあった。立派な木彫りの長机に、おそらくはアンティークのレジスターが載っている。これにすがって、かろうじて店だと信じているのだ。これだけが、この店で、店らしい要素なのだ。

 雑貨屋……なのだろうか。現状、どんなに想像力を膨らませても、それくらいしか思いつかない。頭を動かしてもだめとなれば、あとは体を動かすしかなかった。

 店の左奥から、探索の旅が始まった。調査隊の進行は、困難を極めた。十センチはあろうかという分厚い本があったかと思うと、その隣には鮮やかな黄色の花瓶があり、その横には黒猫のぬいぐるみがある。かと思えば、砂糖の一キロ袋がその隣を飾り、緑色の写真立てが、誰かの思い出を納めようと待機している。そんな、A型発狂ものの状況がずっと続いているのだ。無論、どこを見て回っても、相変わらず誰の気配もない。その気になれば、盗み放題やりたい放題の状況がずっと続いていた。が、もちろん、犯罪などひとつも起きていない。ここに来たのが善良なブロガーだったことに感謝して欲しい。

 心の中でぶつぶつと独り言を量産しながら店内を巡る調査隊。――そんな探索で、どれくらいの時が経っただろうか。

 ふと、視線を手元に落とす。

 ぱかり。

「うん、一時間経ってますね。……帰りますか」

 蓋という障害がなくなった文字盤を眺め、大きな声で独りごちる。懐中時計の、ひとつ進んだ短針が、私を現実に引き戻した。

 この懐中時計は、商品棚にあったものだ。真鍮製で古ぼけた、至って普通の懐中時計。見つけてから、なんとなく気に入って手に取っていた。どうするつもりもなかったのだけれど、いざ帰るとなると、そのにぶく色づく黄金が、どうにも離しがたくなってくる。そもそも、こんな雑多な店内では、この子がどこにあったのかなんて、すでに分からなくなっていた。

 かくなる上は……こうしよう。

 私は思いついて、財布からお札を数枚と、自分の名刺を取り出した。ボールペンで、名刺の裏に走り書きを残す。

 これでよし。

 時計の値段なんて分からないから適当だけれど、少なければきっと連絡があるだろう。多ければそのままかもしれないが、そのときはそのとき。この子に払う対価としては、惜しくなかった。それに、寂しくなった懐は、静かな針の音が埋めてくれる。

 私は、軽くなった財布と新たな相棒を手に、店を出た。

 それから少し、背後で小さく、レジスターのベルが鳴った気がした。

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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。

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○クレジット

シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices

シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/shop

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