24歳の僕

21歳の誕生日からなんとなく続けているこの「~歳の僕」という語り。

例年はその年の誕生日1日を過ごしてから書いていましたが、今年はちょっと、都合により過ごしてからは書けそうもないので、実はまだ23歳の僕がお送りしたいと思います。

この1年間、過ごしてみて僕が今感じているのは、何もしていないようでいて、実は充実していた1年だったのではないかなということです。

23歳の僕は、ざっくり言うと、日々仕事をしていました。繰り返しのような毎日のなかで、繰り返しのようだからこそ、常に最適化し、効率化して楽に仕事をすることだけを考えて働いていました。

新入社員として入ったときのあのやる気は、2年目に突入した僕には欠片も残っていませんでしたが、逆にそれによって仕事が早くなったという部分はあるように思います。

だから、とても良かったです。やる気がないからこそ、仕事上では成長できた。

これがもし、僕がやる気に満ち溢れていたらと思うと、もしかすると今よりもっと成長できていたのかなと思う反面、僕はそこに一抹の不安を覚えずにはいられません。

なぜなら、自分が、わりとひとりで抱え込むタイプなのを知っているから。責任を持って、ひとりで完遂させようとしがちなのを分かっているから。

多分、一生懸命になると自分で自分を潰しそうになる人なんだと思います、僕は。真摯に向きあえば向き合うほど、僕はそこに完璧を求めてしまう傾向があって、失敗するわけにはいかないというプレッシャーを自分にかけすぎるのです。

そういう人間であることを、愛した人のおかげで、実際に勝手に潰れかけたことで、自覚しました。そして同時にあの人からは、他にも色々教わることがあって。

結果的にではありますが、あれは僕が僕を知る良い機会だったなと思っています。ただ、当時悩みすぎた弊害として今少し、女性に対して恐怖心がわくようになってしまいましたけどね笑

ともかく、だから僕は、少し手を抜くくらいできっとちょうどよいのです。24歳の僕も、そうして「ほどほど」に生きていけたらと思います。

仕事も、愛もね。

僕とは

大半のことに情熱を持たず。

怒られない程度に適当にやっていて。

でも自ら見つめたものに関しては手を抜けず。

完璧な自分を求め。

時に失敗し心折れ。

それでも根は自信家で。

おかげでいつも「なんとかなるさ」と前向きで。

ついでに上から目線が抜けず。

常になんとなく上に立っているつもりで生きていて。

だから自分がなんとかせねばと思い。

責任を抱え。

その実、多くの人に助けられて成り立っている。

――そんな、決して有能ではなく、完璧でもなく、不器用で不完全で口だけは達者で、かっこつけの根はへたれ。

それが今現在の、24歳のふぁいんです。

よくできた人間であるとは到底言えません。経験も知識も浅く、偏っていて、未熟者も未熟者です。まだまだ多くの人の好意のもと、支えられないと生きるのに支障が出るでしょう。

ただ、近頃ふとした瞬間に、そんな僕もいつの間にかごく普通に「大人」として見られているんだなと思うことがあって。僕自身もまた、普通に自分を「まあ大人だよな」と思っていて。

成人したての頃なんて、子供だという思いがあんなに強かったのに、やっぱり働き出すと変わるんだなあと感じています。

そしてそれならば僕は「大人」として、やはりそれなりに次の世代の子達に、少しずつ与えていかなければならないなあと思います。

上の世代の方々から、今も与えていただいているように。

――そうすることできっと、繋がっていくのでしょう。

僕を支え、成長させてくれる人たちのように、僕も誰かを支える一部になれたなら。

その人が成長して、僕が今感じている充実感と同じものを、同じように感じてくれるなら。

それは嬉しいことだと思います。

24歳は、そんな風に心がけつつ、まあ、元気に生きることを目標にしましょうかね。あいむふぁいんせんきゅー!!

あと、毎年言っている気がしますが小説もなんとか頑張って、少しでも書かなければ。それも忘れず、目標に追加。

いやー、ほんとふぁいんさん、口だけなんだから。書く書く詐欺もいい加減にしないと怒られそうです。でも、その詐欺で自分をなんとか物を書くことに縛り付けているので、その意味では必要なんですけどね。

とりあえず、せっかく誕生日を迎えた瞬間にこの記事を投稿したので、皆様からの「誕生日おめでとう」コメント待ってますね!笑

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