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「じゃあ母さん、ちょっと買い物に行ってくるわね」
他愛ない会話などをしながらお茶を飲み終え、家の中全体が少し落ち着いたムードに変わった頃、母さんが僕たちに告げた。
「さすがに三人も増えると、夕飯の材料が足りなさそうだしね。――あ、ううん。別に気にしなくてもいいのよ」
申し訳なさそうな顔をした杏子ちゃんが謝る前にそっと制して、母さんは彼女に笑顔を向ける。
「はい! なっちゃんもおかいものいくー!」
と、とっくにジュースを飲み終えてストローで遊んでいた凪未ちゃんが不意に名乗りを挙げた。
さっきからそうだが、積極的というかはきはきしてるというか……一切物怖じする様子がないことに僕は感心する。すぐ順応できる、人見知りとかはしないタイプなんだな。
「あらあら。言っておくけど、おばさん、お菓子は買わないわよ? 勝手に甘やかすと、凪未ちゃんのお母さんに怒られちゃうから」
「じゃあいかない」
しかも自分の気持ちにとっても素直だ。母さんの言葉にすぐさま意見を翻す。声のトーンも分かりやすく落ちた。本当にお菓子が目的だったんだな。ちょっと面白くて笑ってしまったよ。
正直、こういう子は助かるなあと僕は思う。小さい子の思考回路は僕なんかにはよく分からないが、こうして自分から思ってることを言ってくれる分には、コミュニケーションがとりやすそうだ。
それにしても……
「しかしよく分かったな、母さん。凪未ちゃんがお菓子目的だって」
僕は思ったことを口にした。
まだこの三人が我が家にやってきて三十分ほどしか経っていない。よくこの短時間で、考えていることが見抜けるくらいに人を理解できるものだと思ったのだ。
僕の記憶では、三人に会ったのは、まだ凪未ちゃんたちが赤ちゃんの頃だったはずだ。だから、普通は性格も思考回路も分からなそうなものなんだけどな。
すると母さんは、事もなげに言った。
「大体みんなそうなのよ。ハルも、ナツも、買い物に連れていくとお菓子をせがんできたもの」
「え、僕も?」
「そうよ。ここに家を買う前に住んでたところの話だけど、近くにあったスーパーに行くと、すぐにナツと二人でお菓子コーナーに走っていってね、勝手に持ってきて勝手にかごの中に入れちゃうの。で、何も言わずに棚に戻すと、『おねがいします』ってお願いしてきてね。可愛かったわよー」
「マジか……」
全然覚えていないのだが、そんなことしてたんだな、僕。何か恥ずかしい。
「ま、お願いされても買わなかったけどね」
「さすが厳しいな!?」
意外なところで自分の昔話と母さんのしつけの厳しさを知った僕であった。
そんなやりとりの後、母さんは僕たちを残して買い物に出かけて行った。
四人だけになってしまうと、途端に僕は手持無沙汰になった。会話することも思いつかないが、お客さんである三人だけを残して自分の部屋に撤退するというわけにもいかないので、部屋に行ってパソコンをいじったりすることもできない。
仕方がないので頬杖などをつきつつ目の前の凪未ちゃんたちを見ていたのだが……
顔だけ見てると本当に見分けがつかないな、この二人。
アニメや漫画のように、髪を結んでいる位置が違うとか前髪を流している方向が逆になっているとか、そういった分かりやすい特徴は見られなかった。二人とも同じように、前髪を眉のあたりで切りそろえ、後ろは肩にかかる長さにまで伸ばしている。
片方にだけほくろがあるとかそういうこともないし、見れば見るほど鏡合わせのようにそっくりで、若干脳が混乱してくるほどだ。
もし二人が同じ服装をして、じっと座っていたら、僕にはもうどっちがどっちか分からないだろう。それくらい見た目は似ていた。
――だが、僕はもう、おそらくはこの双子を見分けることができると思う。なぜなら、服装と挙動に明確な違いがあるからだった。
まず服装。
やはり双子で好きな色は同じなのか色の系統は同じなのだが、凪未ちゃんはズボンをはいていて、琉未ちゃんはスカートだった。
そして挙動。
凪未ちゃんは、椅子に座っていても足をブラブラさせたり手を動かしたりと、落ち着きのないように見える。対して琉未ちゃんのほうは、基本俯き気味で、時折凪未ちゃんの言うことに反応する以外はじっとしていた。
おそらくだが、人見知りもしないでどんどん思うままにいけてしまうタイプな凪未ちゃんとは対照的に、琉未ちゃんは消極的でおとなしいタイプなのだろう。さっきから凪未ちゃんが色々話しかけているが、全て首の動きだけで反応している。頷いたり横に振ったりな。
「琉未ちゃんて別に、しゃべれないわけじゃないんだよね?」
念のため隣の杏子ちゃんにそう確認してしまうくらい、無口な子だった。ちなみにもちろん、言葉はしゃべれるらしい。
「家に入ったとき、琉未も挨拶してたじゃないですか」
そう指摘されて、ああそうだったと、彼女が確かに言葉を発していた記憶を思い出しもする。
ただ、
「でも私もあんまり、琉未の声は聞いたことがないんです。一日数回喋れば多いほうで……まあそれでも大体、視線で分かるか凪未が代わりに言ってくれるので問題はないんですけど……」
杏子ちゃんはそうも言っていた。
毎日一緒にいる家族すらあまり声を聞くことがない少女、琉未ちゃん。
僕はそんな子の姿にふと、昔を思い出してしまって、心のなかで苦笑した。
「ん?」
その一瞬――僕が過去の記憶を思い返し、視線をつい右上にやってしまった一瞬――の間に、凪未ちゃんが目の前から消えていた。
どこ行った? と思っていると、
「あっ、凪未! 何やってるの!」
隣から急に声がしたのでびっくりする。
「あ……ごめんなさい」
僕を驚かせてしまったことに気付いた杏子ちゃんが謝ってくるが、そのときにはもう、僕はなぜ彼女が怒ったのか、その理由に気付いていた。
気付かないはずはない。なぜなら、
「はろー、おにいちゃん」
消えたと思った凪未ちゃんが、僕の脚の間から顔を出していたからだ。
「……ハロー、なんてよく知ってるね、凪未ちゃん」
ただ、突拍子もない行動には、幸か不幸か、普段からあの妹のおかげで慣れている僕は、大して動じずに済み、冷静に言葉を選ぶ余裕すらあった。
これくらいの小さい子どもとはどう接して良いやら検討もつかないが、とりあえず褒めておく分には問題ないだろう。
「もうごさいだからね!」
そしてどうやらそれは正解だったらしく、凪未ちゃんは得意そうな顔になった。いわゆるどや顔だ。
……何というか、まぶしいなあ、この無邪気さ。
「ん……しょ」
僕が幼女の無垢さにやられていると、その隙に凪未ちゃんは僕の椅子へと上がってきた。
「こ、こらっ。凪未ってば」
先ほどの僕のびっくりを気遣ってか、杏子ちゃんが今度は少し控えめにそう怒るが、お構いなしに上がってきてしまう。
しかも、座る気かと思いきや、僕の股の間にあるわずかなスペースにその小さい足を乗せて立った。
僕は、幼女と言えども万一踏まれればダメージを負う急所が存在するのでひそかに恐れつつ、また、不安定な場所に立つ凪未ちゃんが落ちてしまわないかということも危惧しつつで二重の危険を感じながら、手で彼女を支えてやった。
「ふふん」
椅子の上に立つことで、そこに座る僕よりも目線が上になった凪未ちゃんは、何かに満足したような表情になった。
「どうしたの、凪未ちゃん」
何がしたいのか分からなかった僕が声をかけると、答える代わりに手が伸びて、僕の髪を触った。
「髪さらさらだ!」
そうして、どうやらテンションが上がったらしく、髪を両手でわしゃわしゃしてくる。
僕はちょうど、犬か何かにでもなったような、そんな気がした。それと共に、普段は頭を触られることがないので何か不思議な気持ちになる。
それは別に不快というわけではなかったが、
「あー、凪未ちゃん?」
結局何がしたいのかよく分からなかったので再度凪未ちゃんに声をかけた。意味も分からず髪をぐしゃぐしゃにされるのもなんだしな。
すると手が止まり、そしてようやく、僕は彼女の行動理由を知るのだった。
「なっちゃんは、おにいちゃんをなっちゃんたちの遊び相手にえらびました」
つまりは、暇だからちょっかいをかけてきたと、そういうことだったのである。
(#6へ続く)
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