2022年10月29日に音声投稿サイト「HEAR;」にて投稿された音声作品『恋する演劇部員たち』。
過去、オリジナルボイスドラマ作品『StAY wiTH GEMInOs!!〜とある双子とある風景』でキャスティングさせていた「ゆで太 たまご」さんと「香月」さんのお二人が出演するハロウィンコラボ作品だ。
今回は、縁あるお二人のオリジナル作品について、簡単ではあるがレビューをお届けする。ネタバレを含むため、まだお聴きでない方は、先に作品を楽しんでいただきたい。また、できれば先に「予告編」をお聴きいただき、それから本編を聴いて、当記事に戻ってきていただければと思う。
『恋する演劇部員たち』ストーリー
舞台は、オウラン高校演劇部。女子15人、男子2人の女所帯であるこの部活で、文化祭に向けた準備が始まっていた。
生粋の裏方である湯咲珠子と月白和馬は、部内で行われた配役ミーティングの後、ふたりだけで話し合いを行う。議題はもちろん、「文化祭の舞台で演じることになってしまった二人の役柄」について。
照明経験しかないふたりだが、今度の舞台では「バカップル役」として表に出ることになっていた。
元々、出演予定はなかったふたり。だが、バカップルの彼氏役を担うはずだった部員のヤマシロが、「俺には彼女がいるからできない!」と拒否したことで、事態が急変する。男子部員が2人しかいない演劇部で、1人が拒否したとなれば、選択肢はもう、ひとつしかなかった。
急に指名され、慌てた和馬が、混乱の中、彼女役に指名したのが珠子だったのである。
だが、恋愛経験の乏しい和馬。女心もさっぱり分からない和馬は、その真面目さと、鈍感ゆえに、しれっと珠子に告げる。
「よし、湯咲、彼女になってくれ」
和馬に恋心をいただいている珠子がそれを承諾し、こうして、文化祭までの2ヶ月間限定で、役作りのためのカップルが誕生したのだった。
――そして2ヶ月後。
照れをテンションで誤魔化す力業を身につけた2人は、文化祭当日、舞台上でバカップルを熱演する。無事に公演を終えたふたりは、後に残る寂しさに浸りながら帰路につく。
「あっという間の二ヶ月だったなあ……」
「毎日一緒だったので、ちょっと寂しいです」
「あー……それなんだが」
言いにくそうに切り出した和馬は、珠子に提案を持ちかける。
「湯咲が良ければ、明日からも俺の彼女、続けてくれないか……?」
それは、和馬なりの告白。だが、いかんせん慣れていない和馬はビシッと決めることができない。
しどろもどろになりながらも言葉を紡ぐが、うまく言えないまま、ついには仕切り直しを図った。
「あー! 悪い! もっと、ちゃんとしなきゃだよな……。すまん! 明日っ……明日仕切り直させてくれ! ちゃんと、台詞考えてくるから!」
だが、それを珠子が許さない。彼女は、すでに爆発寸前の恋心そのままに、和馬に乙女の要求を突きつけるのだった。
「早く……本当の彼女にしてください」
全体構成レビュー
【起】
演劇部の裏方だった2人がバカップル役を演じることになる
ラブコメにおいて、以下に男女を恋愛的な展開に持っていくかは重要なポイントだ。往々にして、くっつく前の初々しいやりとりを楽しませることの多いラブコメでは、「恋人関係にない男女をどうやってイチャつかせるか」が腕の見せ所である。
今回の場合、事の発端は「役作り」から派生した「偽カップル」。「偽カップル」というシチュエーションは、悪く言えば使い古された、しかし、それだけ長く愛される、定番で王道のシチュエーションと言える。短いストーリー、しかも、音しか情報源がないという音声作品では、複雑な設定だと、「聴き手に素早く状況を理解させ、作品に入り込んでもらう」ことが難しくなるため、分かりやすい王道シチュエーションを選んだのは正解だと言えよう。
技ありなのは、「男子が2人しかいない」という演劇部の設定だ。「男子は1人しかいない」ではなく、「2人いる」という設定の妙。仮にこれを「1人しかいない」という設定にした場合、和馬を表に引っ張ってくるのが難しくなる。和馬には、「これまで裏方一筋」という設定があるからだ。
唯一の男子部員がずーっと裏方をやってきた、ということになると、当然、表に立つのは女子だけだったはずだ。であれば、今回の配役ミーティングでも、最初から「今回も和馬は裏方だよね」という前提で進むのが自然となり、バカップルの彼氏役も、女性部員の誰かが男役になって担う流れになるのが自然だ。もしそこで欠員が出たとしても、15人も女子がいるのだから、代わりは他の女子が務めるだろう。
だが、それが今回のように、「元々男子がやるはずだった役に穴が空いた」ならどうだろう。
そう、「男子の代わりは男子」という違和感のない流れが成立し、裏方一筋の和馬に白羽の矢が立つのもおかしくない、となるのだ。穴が空く理由も、もう1人の男子を彼女持ちにすることで、分からんでもない説得力が生まれている。一見すると平凡な設定のようで、随所に、作品にリアリティを出すための工夫が凝らされていた。
【承】
バカップルとして、イチャイチャする
偽カップルとなった珠子と和馬は、ぎこちないながらイチャイチャを繰り返す。手つなぎから始まり、あーん、不意打ち頭ぽんぽんと、ベタなやりとりが続いた。ここは評価が分かれるところで、ベタな上にあっさりとしすぎている、という見方もある。前述したように、「どうやってイチャつかせるか」が重要なラブコメにおいて、イチャイチャこそがメインコンテンツであると言え、そういう目で見ると少し物足りない。ダイジェストでイチャイチャをお届けしました、のように感じるリスナーもいるだろう。そう感じる人はおそらく、その瞬間のエクスタシーを重要視する、スポット的な楽しみ方のタイプだ。
一方で、スポットではなく、全体に目線を向けると、このあっさり加減も悪くないことが分かる。12分半という短い尺のなかで、前半部分に濃厚なイチャイチャを挿入すると、作品としてのバランスが取りづらくなる。確かに途中のイチャイチャも重要だが、作品として見れば、最後をいかに綺麗にまとめるか、も重要になってくる。終わり方がぞんざいなことで駄作とされてしまう作品もあるくらい、フィナーレの描き方は重要だ。よって、盛り上がりを最後に持ってくる、という考え方をするのは理にかなっている。
言わばこの前半パートは、終盤に向けての布石。偽りのイチャイチャが、真のイチャイチャへと変わるまでの経緯を示すためだけのものだ。作品のテンポを考えても、これくらいあっさり終わらせるのが妥当だろう。てぇてぇをさらに摂取したい人は、イチャイチャパートを自分で広げ、妄想し、二次創作すれば良いのである。
【転】
文化祭の終わり、偽カップルの終わり
ふたりの関係性を前へと進ませる転機となったのは、文化祭の終了だ。元々は役作りという目的があるので、舞台が成功すれば、継続する意味はなくなる。珠子も、和馬も、そしてリスナーも予見できていた「予定された終わり」は、それでも寂しさをかきたてるのには十分だった。しかも、終わるのは偽カップルという関係性だけではない。文化祭という、楽しいお祭りが終わるという事実も、寂しさに拍車をかけているはずだ。幸せと楽しさを同時に終えた喪失感が、センチメンタルな気持ちと、終わりたくないという気持ちを呼び起こすのは、極めて自然なことだろう。
「青春もの」の魅力はその「有限性」にある。終わりがあるからこそ貴重で、終わりがあるからこそ失いたくなくて、終わりがあるからこそ、それまでの期間が輝くのだ。この作品では、ふたつの終わりを設定することで、なればこその輝きと、喪失感をうまく描いている。だからこそ、和馬はそれをこの先も続けたいと願ったのだ。そしてそれは、リスナーも同じ気持ちだったはずだ。
創作物において、登場人物とリスナーの気持ちを同じ方向へと誘導するのは極めて重要である。そこがリンクすることで、没入感が生まれ、応援する心が生まれるからだ。応援するということは、味方になるということであり、つまり、それはもうその人物が好きになっていることに他ならない。愛されるキャラクターは、こうして生まれる。
【結】
ふたりは本物になる
寂しさと喪失感を乗り越えたふたりは、本物の絆を手にする。フィナーレの重要性は前述したとおりだが、この結末は、それにふさわしいものだろう。
偽カップルが真のカップルになるという展開自体は、やはり使い古された手法だ。だが、いつの世でも、微笑ましい偽カップルは、本物になることが望まれる。早くくっつけ、と思う。だからこそ、この手の作品では、その願望が満たさなければならない。その願望を裏切ってなお、満足感を与えるのは容易ではないのだ。その点、この作品では、しっかりとふたりをゴールさせ、アフターまで描ききっている。くっつく瞬間にエクスタシーを感じるのはもちろんだが、その後のふたりにニヤニヤしたいというのも心理だ。照れもまじりあったふたりの「大好き」を聴いて、ニヤニヤしてゴール。申し分ない結末だろう。
ここがお気に入り!
構成から作品を俯瞰したあとは、ここのポイントを見ていきたい。今回の作品で素晴らしいと感じたポイントをお伝えさせていただく。
「台詞考えてくるから」という台詞
何よりも感動したのは、告白がうまくいかずに仕切り直しを図った和馬の「台詞考えてくるから」という台詞だ。このひとことに、和馬のキャラクター性、性格が込められている。思わず唸らされた名台詞だ。
「台詞を考えてくる」――なんとも演劇部らしい発言ではないか。同時に、情けなさもある。台本がないと告白もできないのか、という情けなさだ。だが、裏を返せば、「台本を作ってでも、しっかりビシッと思いを伝えたい」という和馬の誠実性の表れでもある。つまりこの台詞ひとつで、
・演劇部らしい和馬
・恋愛下手な和馬
・誠実な和馬
を表現しているのだ。繰り返すが、たった一言で、だ。
これを名台詞と言わずして、何を名台詞とできよう。
格好良くない告白
またも告白シーンからになってしまうが、和馬の告白が格好良くないのがとても良い。男ならビシッと決めたいという心情はあるわけで、随所にそれがにじんでいるのだが、どうにも決めきれない。この感じが実に和馬らしく、いわゆる「解釈一致」というやつだった。
登場人物は、格好良く、完璧であることだけが魅力ではない。そういうキャラクターももちろん魅力はあるが、本作の場合、現代劇であることを踏まえると、より身近に感じられ、共感できるキャラクターのほうが合っているだろう。その点、和馬からあふれ出す人間味、間違いなく伝わってくる誠実さ、真面目さは、愛されるに足るキャラクター性だろう。
そして、和馬が格好良くないことで、珠子の格好良さが引き立つのだ。偽カップルのときもそう、告白のときもそう。基本的にふたりの関係において、主導権を握っているのは珠子だ。優しさゆえに仕切り直そうとした和馬に対し、まっすぐ自分の思いをぶつけ、その場での告白を要求した珠子。この格好良さ、潔さ、まっすぐさはかなりの魅力だ。格好良くない告白は、和馬の人間的魅力を引き上げると同時に、珠子の魅力をも引き上げる采配なのだ。
状況把握を補佐する効果音と音楽
音声作品は、情報源が音声しかない。よって、音声のみで状況を伝えなければならない。これは前述したとおりだ。
ゆえに、台詞以外の補助としてSE、すなわち効果音があるわけだが、これの使い方が的確だ。
登場人物の感情を補足するSE、場面転換を理解させやすくするSE、「帰宅中」などのシチュエーションを暗に示すSE。全てがうまく噛み合って、物語を補佐していた。終始違和感なく、また、「これはどういう状況だ?」と思わせることなく聴き進められたのは、間違いなく効果音の働きも大きいだろう。
まとめ
ということで、簡単ではあるが、オリジナル作品『恋する演劇部員たち』をレビューさせていただいた。シナリオクリエイターという見地から、主にシナリオ面でのレビューとなったが、最後に、演技についても触れておきたい。
湯咲珠子を演じたゆで太 たまごさん。相変わらず可愛い声の持ち主だ。『StAY wiTH GEMInOs!!〜とある双子とある風景』でもそうだったのだが、奔放で、少し強引なキャラがよく似合う。本音を隠さず言えば、収録環境に起因するのであろう音質部分だけ改善すれば言うことなしなのだが、今回もそうであったように、気にせず聴ける魅力がある。なぜなら可愛いからだ。可愛いは全てを凌駕する。言わずもがなだが、演技力もお墨付きである。
また、今回は台本も自身で書かれたということで、その才能には嫉妬するばかりだ。声が良く、演技ができる人に台本も書かれては、私のような人間の立つ瀬がない。台本作成という点で、過去、どの程度の経験がおありなのかは分からないが、すでに述べたとおり、抜群の台本となっていた。文章で読みたいタイプなので、願わくば、どこかで台本を公開して欲しい。
そして、月白和馬を演じた香月さん。HEARでは有名人である香月さんは、普段の振る舞いから、どちらかというと「リスナー側」に思えるのだが、その実、主人公としてのポテンシャルが極めて高いことは、皆さんもうお分かりだろう。
特に、今回のような、ヒロインに振り回されるタイプの男子はハマり役だ。声の良さと演技力で、難しい表現を難なくこなす。できれば今後も何か機会があるたびに主人公をお願いしたいので、世間にその魅力が知れ渡ってほしくないのだが、どうやら無理そうである。
そんなふたりの組み合わせで生まれた『恋する演劇部員たち』。率直に、素晴らしい作品だった。変にひねらず、素直でまっすぐな作風。それに合うお二人の声質。クリエイターであれば、刺激をもらった作品だったのではないだろうか。
余談だが、舞台となったオウラン高校。果たしてこれは黄卵高校なのだろうか(たまごだけに)。あと、普段「ゆざか」を名乗っている身として、「ゆざき」が呼ばれるたびにちょっと反応してしまったことを記しておく。
実にどうでも良い。蛇足だ。
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