黒猫と美学と

どうもこんばんは、ふぁいんです。
深夜と呼べる時間ではありますが、今回は、とある本の感想を思ったままに書きたいと思います。
大したことは書けないんですけど、ただ、それでも今僕のなかにある、本を読むことで蓄積された思いを吐き出さずにはいられない、ということで。
読んだのは、
『黒猫の遊歩あるいは美学講義』(森晶麿作,早川書房,2011)
で、つい今しがた読み終えました。
この作品は第一回アガサ・クリスティー賞受賞作ということですから、読んだ方もそれなりにいらっしゃることでしょう。
エドガー・アラン・ポーの研究者である「私」と、二十四歳にして教授職に就く天才美学者「黒猫」の二人を中心として進むこの作品。ポーの作品の他、様々な作品について触れられており、その解釈も書かれていますね。
正直言って僕は、その辺は詳しくないので、出てくる作品の内容についてはほぼさっぱりでした。読んだことがあったのは、高校の時に授業でやった梶井基次郎の「檸檬」くらい。
そのため、きっとそれら登場する文学作品等を読んでいたら、よりこの小説を楽しめるのではないかと思ったのではありますが……
しかし、読んでいなくてもかなり楽しめた作品でした。もちろん、この作品を「十分」楽しめたかどうかで言えば、それには及ばないのでしょうけどね。
さて、ではただの「面白かった」よりも少し深い、進んだところにある感想についても述べましょうかね。
文章面と内容面のそれぞれで、感じるところがありました。
まず文章面ですが、この小説は、非常に鮮やかに「絵が浮かんでくる」ということを感じました。
本のなかには様々なものがありまして、感覚がリンクしたようになって、本のなかの出来事を自分が体験しているかのような気分になるものだとか、場合によっては、なかなか作品の中に溶け込めないものもあります。書かれている要素が多すぎて処理しきれず、何を言っているのかよく分からない、とかね。
まあ、後者は大体途中で読むのを挫折するタイプの本です(笑)
『黒猫~』の場合は、第三者視点で読んでいけるタイプでした。まさに絵が浮かぶ感じ。「私」と「黒猫」が動き、語っている様を、さながら映画を観ているかのように傍から見るようにして、最初から最後までいきましたね。
僕なりに考えて、そういう読み味になった理由には、登場人物の個性が豊かで、しっかりと確立しているからということがまずあるんじゃないかなと思います。だからこそ、人物像をしっかりと、そしてすんなりと把握できたというかね。
あとは、人物以外の描写が分かりやすいんじゃないかなと。色とか音を文として書くことで、イメージしやすくなっていたように思います。
一言でいうと、文章が巧いんですね!いや、まあそりゃそうだろって話なんですけど。簡潔に言ってそういうことだと思います。
次に内容面ですが、第一に挙げたいのはやはり何といっても、ポーその他の作品の解釈が面白いという点でしょうかね。
僕自身の読書量が極めて少ないということもあると思いますが、小説で、こういう風に有名な作品の解釈がなされているものを初めて読んだものでして、ついでに言えばこういう「作品の解釈」ってものが好きなほうでもありますので、なるほど、面白いな!と思いました。
前述したように、解釈が面白いも何も、元の作品読んでないんですけど(笑)
それでもあえて言うのであれば、元の作品への興味をそそられる解釈、でした。
少なくともデュパンの活躍するいくつかの短編だけは後々読みたいと思っております。
次に挙げたいのは、「美学」ということですかね。
この作品の中では、「美」というものに重きが置かれていると思います。
「美しい真相だけが、真相の名に値する」
は印象的なフレーズです。
僕は単純にまず、「美学」ってなんだ、と思いました。
そこで電子辞書を使って広辞苑で簡単に調べたのですが、「美学」には二つの意味がありました。
一つは、「ものの美しさを論理的に考える学問」的な意味の「美学」。
もう一つは、こちらは多少、使っているのを耳にする意味で、「何を美とするかの個人的な価値観、こだわり」といった意味での「美学」。
ごくごく簡単ですが、まあこんな感じです。
タイトルの「美学講義」、そして「黒猫」が「美学者」であることを考えると、前者のような意味で使われていると考えて良いでしょう。僕はそう考えて読んでおりました。
実際、「黒猫」の語る内容は、優雅で美しく、論理的な内容でしたしね。まあ個人的には所々疑問を感じるところと言いますか、「どうしてこのことからその結果になるんだろう」
と思う部分もありましたけど。
ただ、学問としての美学だと思える一方で、この作品内で「解釈」が多くされていることを考えますと、僕には後者の意味での美学、つまり「価値観としての美学」という意味もあるように思えるんですよね。
だって、作品の解釈なんていうものは言うなれば捉える人それぞれなわけです。どれが正解かなんて、厳密に言えるものでもない。
もっと言えば、作品自体もまた、その作者の表現であって、その作者の価値観に基づいて書かれているわけです。色々考えて、書きたいものを書きたいように書いた。その結果が小説だったりするわけで。
つまり、そんな小説と、そんな小説の解釈とは、どちらも価値観に基づいたものなわけですよ。
だからこの作品は、「作者の美学に沿って生み出された小説という美学の表れを、黒猫が自分の美学に基づいて解釈し、それによって美的真相に近づいていく美学の話」なんじゃないかなあと。
……何を言っているのか分からなくなってきました(笑)
僕が言いたいことが正しく書けているのかも自信がないです。書けているような、書けていないような……。
とりあえず、まああの、そうですね。色々僕なりに感じたことを書いておきましたが、まとめとしてこれだけ言っておきます。
この作品の読み口は非常に良かったです、個人的に。それは美しいからなのでしょうか。単純な知識不足で理解しきれない点もありましたが、「自分よりも知識のある者と会話したときの感覚」とでも言いましょうか、そういう楽しさを感じられる作品だったと思います。
これから秋本番ですし、読書の秋ということで、もしどこかで見かけた際には試しに読んでみてはいかがでしょうか。
それでは、長くなりましたがこの辺で。
最後に、作品内の好きだなと思った部分を切り取ってご紹介し、終わります。
――第一話「月まで」より (P46,L3)
「人間の愛情にしても同じだろう。倫理的な問題を抜きにすれば、愛情なんてそこかしこにばら撒けるはずのもので、そこに違いが生ずるとすればそれは距離だけだ。その距離に納得できないとき、人は悲劇を求める。」
――第二話「壁と模倣」より (P97,L9)
「漠然とした未来という壁に阻まれ、むなしい模倣を繰り返す自分自身が。」

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