スモールトラベル

 目が覚めた私は枕元を探った。スマホの手触りを感じて手に取れば、時刻は六時半を過ぎたところだった。確かに昨日はやたらと眠くて、帰宅早々眠ってしまったけれど、その結果がこの目覚めなら、結構悪くない気がした。

 こんなにすっきりと目覚めることができたのはいつぶりだろう。一年に一度、いや、二、三年に一度あるかどうかかもしれない。そう思うとなんだか楽しくなってきて、いつもなら愛おしくてたまらないベッドとも、あっさりお別れすることができた。

 まずはシャワーだ、そうしよう。

 床に散らばっているスーツや下着を避けながら、バスルームに向かう。こんな格好、もう少し季節がずれていたら風邪を引いていただろうか。まだ冬になっていなくてよかった、なんて思いながら扉を開けると、洗面台の鏡に、ボサボサ髪の女が映った。まごうことなき寝起き。それでも、よく寝たからか、心なしか肌ツヤが良い気がした。というか、どうやら昨日の私、かろうじて化粧は落としたらしい。一体いつ……? どんなに思い返してみても、そんなことをした記憶はなかった。習慣ってすごい。

 熱めに設定したシャワーは、ほんのわずかに残っていた眠気を私から奪い去った。

 浴室の曇りガラスから入ってくる光で気づいたが、どうやら今日はなかなか天気が良いらしい。気持ちの良い目覚め、気持ちの良い天気、そしてなんと、乾かした髪のまとまりも良いとくれば、私の気分は珍しく上方向を向いていた。カレンダーを見ても、誕生日でもなく、記念日でもない。けれど、今日はなんだか特別な日になりそうな気がした。

 いや、こうなれば、特別な日にしたい。だって、しばらくめくるのを忘れていたカレンダーすらも、こんなにきれいに破れたのだから。

 私はクローゼットを開けて、久しく着ていなかった服たちとの対面を果たした。いつもの休日なら着替えなんてしないし、平日はスーツしか着ないのだから、本当に久しぶりの服が多い。このワンピースなんて、去年買ってから一度も着ていなかったかもしれない。一目惚れしておいて、手に入れたら着ないなんて、私は悪い女だ。せっかくなので今日という日を、この子のデビュー日にしてやろう。

 一年前のワンピースは、それでも、私の良い気分をさらに盛り上げるだけの働きをしてくれた。なかなか似合うじゃん、私。

 こうなってくると、今すぐにでも外に出たくなってきた。着替えるときから薄々思っていたのだが、おしゃれなカフェでも探しに行きたい。ちょうど、お腹も空いてきた。となれば、顔を整えねばなるまい。いくら私とはいえ、気分の良さにかまけて素のままでは外に出られない。

 まずは日焼け止めを充分に塗りたくる。涼しくなってきたとはいえ、まだまだ日の光に油断はできない。そこから顔を作っていくわけだが、本当に今日は絶好調なのか、全てが思い通りになるかのようだった。これ私、かわいくないですか? どうやら自己肯定感も高まっているらしいことに気づいた。今なら良い出会いがあるかも。そろそろ私も結婚してぇ……。

 ともあれ準備は整ったので、これまたお久しぶりな休日用のバッグにいろいろ詰めて、最後に首からカメラを提げた。

 カメラさんもお久しぶり。アナログ写真とカメラ女子に憧れて、勢いで買った代物だけど、結局スマホの便利さに負けて使っていなかった。どういう風に撮れているのか分からないし、現像に出すのもめんどくさい。でも今日は、そんな不便さすら楽しめる気がしていた。

 お気に入りの靴を履いて、玄関の姿見で最終チェック。さあ、いざゆかん。

 行き先は決まっていないから、いっそのこと、いつもと反対方向の電車に乗って、知らない街で降りてみよう。

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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。

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また、音声投稿サイト「HEAR;」での投稿時には、タグに「スモールトラベル」もしくは「HEARシナリオ部」と入れていただきますと、作成いただいたコンテンツを見に行くことができるので嬉しく思います。

○クレジット

シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices

シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/small-travel/

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