国民の意思

 人気配信者のストリーミングを呑気に眺めていると、合成音声が耳元で告げた。

『まもなく、スケジュールされたウェブミーティングのお時間です』

 どうやら気づかないうちに、約束の時間になったらしい。俺は、一秒目を閉じることで動画を止め、視界を確保すると、冷蔵庫へと足を向けた。

 キンキンに冷えた缶ビールを取り出し、グラスに注ぐ。と、目の端に、馴染みあるアイコンの通知が浮かんだ。どうやら、ビールのお供が届いたようだ。早速受け取るべく、玄関に向かう。ドアを開けると、ちょうど配達用の自律ドローンが去っていくのが見えた。玄関すぐ右に設置されている備え付けの受け取り台には、見慣れた外箱のピザがのっている。

 配達の品質はどうでしたか? と評価を求めてくる通知を視界の外へと消し飛ばし、ホカホカのピザを片手に室内へと戻った俺は、いくらか泡が消えてしまったグラスにビールを注ぎ足すと、ようやくソファに腰を落ち着けた。

 壁面の右上に表示されている時刻を見ると、オンライン飲み会の時間はすでに五分ほど過ぎていた。とはいえ、全く問題はない。なんならあいつだって、まだ入室していないに違いなかった。俺は、視線を右上にやり、出てきたアクセス先の中から賢い壁スマートウォールを選んだ。賢い眼鏡スマートグラスのほうに表示してしまうと、調べものがしたくなったときに困るからだ。まあその場合は、賢い電話スマートフォンで調べればいいんだが。

 8Kの有機ELディスプレイとなっている壁面に、アプリケーション画面が表示された。スマートグラスと連携し、虹彩認証を突破してミーティングルームに入室すると、いきなりあいつの顔が映し出された。

 高精細の間抜け面に、ビールを吹き出しそうにそうになりながらも、声をかける。

「おーす、おつかれ。早いじゃん。いきなり画面オンも珍しいし。どしたの?」

 すると、俺の入室に気づいた間抜け面は、にやりと口角をゆがませた。

「どしたのじゃねーよお前、そこは言わずとも気づくとこだろ」

 うん、とてもめんどくさい。

「いや散髪したての彼女かよ。何? 髪切ったん? その割には、まだ髪の毛あるみたいだけど?」

「なんで坊主前提なんだよ! 髪なんか切ってねーし、切ってたとしてもそれは別に気づかれなくてもいいわ! ……これよこれ!」

 相変わらず鋭い切り返しを見せながら友人が示したのは、自分の着ているTシャツだった。ひらひらと、布を揺らしてアピールする。

 なるほどなるほど、なるほどな。

「んー、かっこいいんじゃないの? なんというかこう、白いし。うん、かっこいいと思うよ。知らんけど」

「いや雑な関西人ムーブすんな埼玉県民!」

 ぶっちゃけよく見えなかったので適当に褒めちぎると、途端、マイクの音割れも気にしない勢いでツッコミが返ってきた。

 うん、お前も同じ埼玉県民のくせに、よくボケを拾うじゃないか。これでまだシラフだなんて、惚れちまうね。

「マジレスすると、白飛びしててよく見えないんだわ」

 惚れたついでに正直な気持ちを伝えてみる。

「嘘だろ……それはすまん。ちょい待ち」

 友人は、打って変わって真顔になった。あれだけキレキレの問答をしていても、自分に非があるとなれば秒で冷静になる。これもあいつの良いところだった。

 俺は少し満足して、ビールを一口飲んだ。画面の向こうで、調整のため、友人が何度か手を上下に振るのが見える。一回振り下ろすたびに画面が少しずつ暗くなっていき、やがてTシャツの柄がはっきり見えるようになった。ホワイトバランスが適正になったらしい。

「どうよ?」

「ばっちり。ようやく限定版のTシャツだってことが分かったわ」

 その柄に見覚えがあったので素直に伝えた。俺の記憶が正しければ、あのTシャツは、あいつが推している中国アニメの限定グッズだったはずだ。

 だが、俺の素直かつ落ち着いたコメントに、友人は不服そうである。

「なにそのリアクション。ありえないんですけど。こういうのはもっとこう、ちゃんと盛り上がるなりなんなり、リアクションしてくれないとさあ」

 それは無茶ぶりであった。

「いやサプライズ仕掛けてきた彼女かよ。だとしたらお前のサプライズ失敗してんだよ。こういうのは、いきなり見せられるから驚くんであって、じわじわ見えてきたら驚けないだろ」

 理不尽な要求には断固として屈しない俺は、正論をぶつけてやる。

「まあそう言われるとそうなんだが……」

 友人は即折れた。ちょろい。

「なーんか、最近この部屋のカメラ調子悪いんだよねー。買い替えなきゃかなあ」

 よほどサプライズしたかったのか、少し下がったテンションでぼやく。確かに、基本はフルオートで調整されるはずのカメラがあの有様では、調子は悪いのだろう。手動でホワイトバランスを調整するなんて、映像にこだわりのあるおじさんか、肌を少しでも明るく見せたい女子しかやっていない。ちなみに俺は、映像にこだわりのあるお兄さんなので、こだわりの設定にしてあったりする。

 ともかく、そんな映像こだわりマンの俺から見ても、基本は設定不要と思えるほど、今のカメラ性能は良くなっていた。スマートウォールの登場で加速した大画面化の波が、8K対応カメラをベーシックなものにした。それでいてお値段もお手頃である。すべては、安い労働力を提供してくれているアフリカの人々のおかげだ。足を向けて寝られない。

「カメラくらい安いんだからさっさと買い替えたほうがいいぞー。必需品だし」

 俺はビールをもう一口飲みながら、至極まっとうなアドバイスを友人に送る。するとなぜか画面の向こうに、どこか悲しげな顔が浮かんだ。

「そりゃお前、お前はIT企業の正社員様だから大した痛手じゃないかもしれないけどな。俺の月収、知ってるだろ……? スキルのない日本人舐めんなよ」

 ……どうやら少し、話題選びをミスったようだ。

「まあ……。でも俺も、下請けの下請けの下請けよ? その上、重要なポジションには、軒並み親会社の中国人が居座ってるんだからどうしようもないって。多分もう、みんなそんなもんよ」

「……マジでこの国終わってるよなあ。誰か何とかしてくれないかねぇ」

「そうだなあ……」

 楽しいオンライン飲み会の席だったはずが、一瞬で現実が襲ってきた。こうなることは、俺もあいつも望んでいない。であれば、この展開にしてしまった俺が、何とか話題をかえるしかない。

 俺は、ふと思い出した話を出してみる。

「そういや今度、なんか選挙やるらしくてさ、親父の知り合いが出馬するらしいんだわ」

「あ、そうなん? 頑張れその知り合いー。国民の給料上げてくれー」

「だからなんか、できれば投票してほしいっぽい雰囲気なんだよね」

「マジ? ウケる。投票とか俺、行ったことないわ」

「俺もない。つーかこの令和三十二年に、いまだ紙投票ってなんなん? 家にいながら何でもできる時代だってこと分かってんのかね」

「そんなんだから衰退する日本って言われんだよなあ……無能たちのせいで、マジで俺たちの未来終わってる」

「つらいわ。これはもう飲むしかないわ。飲むしかねぇよ」

「もう俺は飲んでるけどな。まあ、じゃあとりあえず仕切り直して、今日も今日とて始めますか!」

「おう!」

「「かんぱーい!」」

無理矢理戻したテンションの中、聞こえないはずのグラスを合わせる音が、響いた気がした。

 壁に映し出された書類を眺めていると、合成音声が耳元で告げた。

『まもなく、スケジュールされたウェブミーティングのお時間です』

 どうやら気づかないうちに、約束の時間になったらしい。私は、一秒目を閉じることで壁の書類を消すと、すぐさまミーティング画面へと切り替えた。スーツを着た相手の姿が映し出される。

「お疲れ様です、先生」

「君もお疲れ様。すまんね、こんな時間に会議を設定してしまって」

「いえ、それは全く問題ないのですが……いただいた法案には、少々驚きました。本当にこれを提出するおつもりで?」

「ああ。今度の選挙は、今の情勢なら我々が大勝できる。その後なら、これくらい容易に通るだろう」

「しかしこれはあまりにも……」

「あまりにも、なんだね?」

「ああ、いえ、その……」

「かまわない。言ってみなさい」

「では、その、あまりにも、二十代、三十代といった、若年層への負担が大きいのではないかと……」

「何か問題があるかね? なにもこっそり提出しようというわけではない。私のマニフェストにも、はっきりと書いてあることだ。そのうえで私が当選したなら、それは国民の意思だろう?」

「もちろん私も、先生のマニフェストは存じていたのですが、てっきりパフォーマンスとしての意味合いが強いものかと……」

「……君は若いから、今一度しっかり胸に刻んでおくといい。我々議員は、選挙に勝つことがすべてだ。そして選挙には勝ち方がある」

「勝ち方、ですか?」

「ああ。それはな、国民の声に耳を傾け、応えていくことだ。それに尽きる。そしてこの国では、今や人口の四割を占める高齢層の声こそが、最も大きい。一方で、若年層の声はどうかね?」

「そういえば先日、若年層の九割は投票に来ないというデータが出ていましたね」

「そうだ。いくら、選挙への参加を呼び掛けたところでそれは変わらない。どころか、低下していく一方だ。ということは、どういうことか分かるかね?」

「選挙を左右しない若年層は相手にする必要がない、と……?」

「違う。聞こえない国民の声には。応えようがないということだ」

「聞こえない声、ですか」

「我々議員は、国民の声の実行者だ。発せられた声によって選ばれ、聞こえた声を形にしていく。そういう存在なのだ。だからこそ、そんな我々に、声なき若年層は認識できないのだよ」

「……であれば、先生にとって、若年層とはなんなのでしょうか?」

「私にとって、いや、我々議員にとって、認識できない彼らはもはや、国民ではない。我らが『国民』たる高齢層を支える、従順な奴隷だよ。反乱の声も挙げず、おとなしく奴隷に徹するという生き方を、彼ら自身が選んでいるのだ」

「しかし、先生。今はそうだったとして、得てして奴隷というのは、時に反乱と革命をもたらしますが……」

「それはそうかもしれない。だが、仮に反乱をしようにも、彼らの数は今や全体の二割。数が少なすぎて戦いにならないよ。この国が、民主主義国家である限り」

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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。

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○クレジット

シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices

シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/will-of-the-people/

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