時間は等しく分け与えられている

0


    これといったことを何もしなかった休日に、物足りなさを感じることってありませんか?


    今日の記事タイトルは、そんなくすぶるような気持ちを、どこかで耳にしたことのある言葉で表現してみたものです。


    昨年の今頃、すなわち会社に入って数ヶ月の頃は、本当にこの気持が強くて、肉体的、精神的な疲労と、そのために何もする気が起きない状態に嫌気がさして、鬱々とした日々を送っていたような気がします。ただ、1年が経って、そういった状況にも変化を感じ始めました。


    一言で言うなら、慣れた、ということになります。


    仕事に慣れ、人間関係に慣れ、そしてストレスに慣れ。自然と余裕が出てきました。だから僕は、以前から思い、言い続けてきたことを実行に移すなら今からだと思って、改めて自己暗示のためにこの文章を書いています。


    いや、すみませんね。僕の自己満足の記事が多くて(笑)


    とはいえ、僕のブログはそういうところです。「有用性のある情報の発信源」と言うよりは、「公開できる情報のみを綴った日記」と言って差し支えない代物ですから、ご了承願います。


    さて少し話がずれましたが、要は、「余裕ができたしおもしろいことを探していこうよ」という話を今回僕はしたいのです。


    仕事をしているだけじゃ人生は楽しくない。でも、仕事を辞めたいかと言えば、よくよく考えてみるとそういうわけでもない。本当に求めているのは「めんどくさくてしんどい仕事から逃げること」ではなくて、「人生をもっとわくわくするものに変えること」なのだ。


    ……と、そういうことを僕は言いたいわけでして。


    そのためには、やっぱり「おもしろいこと」に着手する必要があります。それを探す必要があります。


    僕は今、なんとなくそれが見えているので、試しにやってみるつもりです。昨日のリハビリも、そのための一環と言えば一環ですので、創作系であることだけは話しておきましょう。ただ、明言はしません。はっきりと言葉にしても責任が取れる自信がないからです。なにせ僕は過去、様々な創作を未完のままにしてしまっている男ですからね。正直、ずううううっと気になっています。が、今もまだそのままなあたり、そこが僕の今後の改善点であることは明白です。本当にずっと気がかりなので、いずれなんとかします。なんとかしたいです。


    てなわけで、水面下でこっそりなんかやるつもりなんだな、くらいに思っていていただけると幸いです。完成するにしても、順調に言って年単位な気がしているのでだいぶ先ですが、もし挫折しなければいずれ日の目を見るでしょう。挫折したら、何事もなかったかのように別のことを始める可能性が高いので、ああ、だめだったなと笑ってください(笑)


    それでは、そんな頼りない創作開始宣言をしたところで、今日はこの辺で。


    最後に、「仕事を辞めたい」と思っているそこのあなた。その思いの本質はなんなのか、考えてみると何かが変わるかもしれないのでおすすめです。
     

    心ぴょんぴょん系女子

    0


      好きなタイプとか、理想の女性とか、そういうのとはまた違うんですけど。


      テンション高い女の子に可愛さを覚えることが多いなあと思います。


      僕自身があまりテンションの起伏が少ないというか、表には出ないので、そういうのが全面に出ている女の子が好きなのかもしれません。「テンションが高い」というのを「喜怒哀楽が激しい」と言い換えても近いかもしれませんね。


      もちろんときめきやすいのはやっぱり「喜」や「楽」の感情を出しているときですけど、ストレートに怒ったり泣いたりするというのも良いなあと思います。ちょっと話が変わってきますが、「わかりやすい」というのは助かる、という面もありますよね。とはいえ、怒ってばっかり、泣いてばっかりだとさすがに困りますけど(笑)


      分かりやすく言えば、那都葉みたいな子が好きです。あ、僕の小説に出てくる子です。知らない方は、……いや、続きが一向にできる気配がないので読めとは言いません。書いてはいます。が、同じくらい消しています。進みません。いずれ進んだらそのときは、もしよろしければ読んでいただけると幸いです。


      話が脱線しましたが、究極、僕のときめきは那都葉にわりと詰まっています。随分前に、きまぐれで「那都葉bot」を作りましたが、あれでにやつくくらいには那都葉を可愛がっています。小説が増えないのでセリフが増えていないにも関わらず、同じ台詞でその都度きゅんとするってある意味すごいと思いません?ときめきの自給自足です。


      だからぜひ、世の女性ははしゃいでください。感情を発露させてください。僕が可愛いなあと思います。……それだけです。


      以上、夜の思いつきでした。なんだこの記事。





      ※記事タイトルはなんとなく「テンションが高い人」のイメージでつけたものであり、僕はうさぎを注文してはいません。アニメ見たことないです。ごめんなさい

      僕と君は違うから

      0


        僕は僕のことばでしゃべる。


        君は君のことばでしゃべる。


        ふたりが完全に重なり合うことは難しい。


        だから僕はそのずれた分もできるだけ受け止めることができるように広く構えることにしている。


        できるだけ聞きたいから。できるだけ分かりたいから。


        僕と君が違うことを知ったうえでそうしている。


        それは僕が勝手にしていることだけど。


        同じことを求めたくなってしまうのは愚かなことで、押しつけなのかな。
         

        「仕事」の割合

        0


          僕は仕事を楽しんでいる。


          だが、仕事が全てだとは少しも思っていない。


          確かに、やりがいや面白さを感じながら働いてはいるが、僕にとって働くことは、端的に言えば、お金を稼ぐことに過ぎないからだ。


          仕事で稼いだお金を使って、仕事以外の部分を充実させるために僕は働いているのだと思っている。


          お金がもし十分にあるのなら、働く必要はないのだ。他にやりたいことがあるのだから。


          「いかに短い時間で幸せな生活に必要なお金を稼ぐか」


          これは、幸せな人生を過ごすために、考えるべき課題だと思う。


          過剰な富の必要性を僕は感じない。


          それよりも大切なのは時間だ。


          どうやっても増やすことができない時間を、いかに効率よく、使いたいもののために使うか。


          上記した課題は、言い換えればそういうことだ。


          頭を使え。
           

          君は2番目

          0


            君の笑顔が好きです 見ると幸せになれるから
            君と話すの好きです 楽しい気持ちになれるから

            君をなでるの好きです 手触りがとても心地いい
            君を抱きしめるの好きです 温もりが落ち着くから

            君の幸せは僕の幸せ だから僕は君を幸せにしよう
            僕の幸せは僕の幸せ だから僕は君のこと
            世界で2番目に大切なんだよ


            どうしたのそんな不満そうな 納得いかない顔をして
            僕の1番になりたいかい でもきっとそれは無理だろう
            僕は僕のために生きてる 僕は僕が幸せになることを
            意識しなくても1番の 願いとして持っている

            君を1番大切な 存在に押し上げるならば
            どうにかして僕は僕のこと 2番目にしなきゃならない

            でもねそうするとおかしなことに なってしまう気がするんだ
            君の幸せを喜ぶ僕の この心がいったい
            君の幸せを喜んでいるのか 君が幸せなことで幸せになった僕の
            僕自身の幸せを喜んでいるのか分からなくなるんだ


            だからどうかお願いだ 君は2番目で納得してくれ
            僕は僕が幸せになるために 君の幸せ願うから
            だいたい今君がそうして 1番になりたいと思うのも
            結局僕は2番目で 君が君にとって1番な証拠だろう

            僕はそれでいいと思う 君の中の僕は
            1番じゃなくていいんだ 2番目で十分幸せなんだ
            だって自分の次に大切な人って
            つまり世界の他人の中の誰よりも
            大切に思ってもらえてるってことだから

            君の幸せは僕の幸せ だから僕は君を幸せにしよう
            僕の幸せは僕の幸せ だから僕は君のこと
            世界で2番目に大切なんだよ





            ―――――


            「君のためなら死んでもいい」


            そう思える相手に出会うこともこの先あるかもしれません。


            でも、考えてみてください。


            自分以外の誰かのために、このたった1つしかない自分の命をなげうてるのでしょうか。


            結局これは、こういうことなんだと僕は思います。


            「君の幸せのために死ねるなら、僕は幸せだ」


            人間の基準は自分にあって、多分動かせないのではないでしょうか。行動の結果として自分がどうなるか。そういうふうにしか生きていけないのではないでしょうか。


            だったら僕はそれをきちんと説明して、そのうえで「あなたがこんなにも大切なんだ」と伝えたい。そう思いました。


            今日はそういう思い付きです。

             

            0



              僕を必要としない人間は大勢いるだろう。



              僕に興味のない人間は大勢いるだろう。



              それは、僕にとって必要のない人間や



              僕の興味をひかない人間が大勢いるのと



              きっと同じことだと思う。



              人はきっと、そういうふうにできているのだと思う。



              僕が誰かを必要としても



              誰かも僕を必要とするかはわからないし



              僕が誰かに興味をひかれても



              誰かも僕に興味を持ってくれるとは限らない。



              それは悲しいことだけど



              僕もまた、そうなのだ。



              僕もまた、僕に関わらないところで



              僕の興味の外で



              誰かを悲しませていることがあるのだ。



              それに僕は気付かない。



              ずっと気付かない。



              僕のこの悲しみと同じものを抱く



              君にずっと気付かない。



              僕の悲しみに気付くことのない



              君と同じように。




              ―――――

              昨晩突然思いついたことを言葉にしたらこうなりました。詩のつもりですが、思い付きでもあるので「発想」カテゴリに入れておきます。


              今日あらためて見返してみても、あながち間違ったことを言っているとは思わないのですが、ひとつだけ。


              必要性や興味なんてものの外にも、人との関わりはあるんじゃないかということを昨日の自分に提言しておきたいと思います。


              昨日の時点ではこの詩にはタイトルをつけていなかったのですが、そういう意味もついでに込めて、こういう題にしました。


              これをどう感じるか。あるいは、何も感じずに流れていくだけか。


              それはあなた次第です。





              ふぁいん

              単なる思い付き

              0


                本当にふと、思ったことだが。


                愛というやつは、信じるものなのかもしれない。





                愛の伝え方には、言葉だったり、歌だったり、態度だったり、色々あるけれど、どんな風に伝えたところで、おそらく正確には伝わらないんじゃないだろうか。人間は、感じているものを感じているままに伝えることはできないのだから、必ず、受け取る側が「解釈」することになる。


                ちょうど、本に書かれた文章を読み解いて理解するように、渡された言葉を噛み砕いて理解するしか、他人の気持ちを知るすべはない。


                ということは、読み手によって本の解釈が異なる場合があるように、伝えられた愛だって、いかようにも解釈できてしまうのだ。つまり、それだけの「余地」があるということ。


                渡された言葉を信じても良い。だが、疑うこともできる。


                本当に、愛というのは、存在が曖昧だ。あることにもできるし、ないものにもできる。


                自分はこの人を愛しているのだと信じれば、確かにそこには愛があるだろう。


                疑ってかかれば、愛はなくなるか、あるいは、見えなくなるのだろう。


                見えなくなれば。


                感じられなくなれば。


                それはつまり、ないのと同じだ。


                愛を抱く人は自分のなかのその愛を、愛を伝えられた人はその手渡された愛を、信じられなくなれば、愛を見失うことになる。


                ……やはり、愛は信じるものだ。信じてもらわなければ、存在できないものだ。僕はそう思う。





                もし、僕に向かって、「僕への愛を信じている人」が愛を叫ぶなら、僕はその愛を信じたい。


                もし、僕が「誰かへの愛を信じて」叫んだなら、その人には信じて欲しい。


                愛というやつは、ないよりは、あるほうがきっといい。


                信じたほうが、きっと幸せだと思うから。

                変化すること

                0


                  人の考えは変わる。


                  1年経てば、ものの捉え方も違ってくるし、抱く思いも変わってくる。


                  極端なことを言えば、もしかすると、今日考えていたことが、明日には少し違ったものになるかもしれない。


                  それは、生きていくうちに様々なものに影響されるからだ。


                  周りから新しく取り入れた分だけ、人の考えは変わっていく。





                  仮に、自分の考えを変えることができなくなってしまったとしたら。


                  それは、別の考えを拒絶し、自らの考えに固執しているからかもしれない。


                  仮に、無意識のうちにでも、自分の中に長い間、変化がないと感じるなら。


                  それは、取り入れ損ねているのかもしれない。


                  そうなったとき、人は取り残される。


                  周りの人々に、時代に、取り残される。





                  変わっていくことはいいことだ。


                  たとえ、芯から変えることになってしまったとしても、それが時代ならば必要なことだ。


                  その柔軟性を持てるかどうかで、人の生き方は変わるかもしれない。


                  君は、僕は。


                  まだまだ未熟だということを忘れてはならない。


                  取り入れることを忘れてはならない。


                  柔軟に生きよう。

                  多すぎる情報が人間を監視者であり監視対象にした……かもね?

                  0


                    仲の良い人が他の人と遊んでいるのをSNSで知って、なんだかちょっとむっとしたり、寂しさを覚えるなんてことがわりとよくある話になってますね。


                    ひと昔前なら、どこで誰が何をやっているかなんて、その人から教えられたり事前に尋ねたりしない限りは知る由もなくて、その分ある意味では幸せだったんじゃないかなあと僕は思っています。


                    似た話で、連絡が手軽になりすぎたのも、逆に人を不幸にしている部分があるんじゃないでしょうか。


                    常日頃から密に連絡を取り合えてしまう。だから、些細なことでも相手に聞きたくなって、把握したくなって。


                    返事が来ないと、なんとなくもやもやして。不安になる。


                    そういうことって、あるんじゃないかなと思います。特に、恋人と毎日やり取りしてるー、なんて人は。


                    僕自身は、毎日連絡するなんてそんな面倒なことはごめんなのでそういうのはないですが(そもそも毎日連絡するような恋人も友達もいないことに触れてはいけない)、そんな話を耳にして、思うんです。


                    今、人は人を知りすぎているんじゃないかと。


                    あるいは、僕も含めてではありますが、今の人は自ら、自分の行動をさらしすぎなのかもしれないですね。


                    どこかに出かけたりすれば、TwitterやFacebook、あるいはこういうブログなんかで、リアルタイムもしくは事後に報告するのが普通になっています。


                    それは、そういう場で共有すると楽しいからです。が、一方で、「監視者」を生み出しているのかもしれません。


                    意識的に、あるいは無意識にでも、その人の投稿を追って、その人を把握しようとしてしまう、そういう「監視者」を。


                    僕達はもしかしたら、自ら進んで「監視対象」になっているのかもしれないですね。


                    ……なんだかちょっと恐ろしい話です。


                    そう、実はちょっと、「他人の行動を把握できる」のが普通になっているっていうのは結構恐ろしいことなんじゃないかなあと思ったので、今回こんな記事を書いてみました。


                    情報であふれているのに慣れすぎて、人は情報に縛られているような気がします。何でも知ろうとしすぎる。


                    もしそういう自覚がある方は、一度情報から解放されることをおすすめします。どこで誰が何をやってようが知ったことじゃないというスタンスに立ってみるのです。


                    情報を追うがゆえに感じていた不安とかもやもやがなくなって、きっと楽ですよ。まあ逆に、禁断症状みたいになって不安感が増すかもしれませんが()


                    ……うーん、実際のところどうなんでしょうね。正直僕は、相手のことを常に把握してないと駄目って人は、怖いなあと思ってしまいますけど。ただし美少女に追われるならちょっとあり()


                    美少女は正義だなあ。


                    ま、とにかくそういうお話でした。


                    どうにも眠れず、変なこと書いたかもですねw


                    なんか、2時間寝たら目覚めちゃったんですよ。おかしいなあw


                    皆様はどうぞ、規則正しい生活を心がけてくださいね。


                    ではでは(FINE・ω・)/

                    仲良くできる人の数

                    0


                      SNSなどの普及によって、人と人とのつながりが広くなったことは明白です。


                      でも、人と人とのつながりが深くなったかと言えば、そうとも言えないような気がします。


                      ネット上では、何らかの理由によって、そのサイトだったりを退会する友人というのがいますよね。そういう経験を、僕と同じくらいの世代の方であればお持ちだと思います。では、果たして、そういう人たちのことを思い出せるでしょうか。


                      僕は、「思い出せる人もいる」が正直なところです。もうネット生活も数年に及んでいて、知り合った人の数も多いですが、はっきり言って忘れた人も多いですね。


                      これが現実世界であれば、何年も会っていない友人だったとしても、顔と名前を思い出すのは難しくないのではないでしょうか。つまりは、それだけ薄いということですよ。インターネットでの人とのつながりというのは。


                      結局、つながる幅が広くなったからといって、長く付き合えるのは数人から十数人。あとは「その他大勢」化してしまうような気がしますね。あくまで僕が感じていることですけど。


                      僕は人付き合いが下手なほうだと思いますから、もっと巧みに人と仲良くなれる人は違うのかもしれませんしね。





                      さて、そこで僕は気づきました。結局、世界中の人とつながることが可能な現代においても、人が人と仲良くできる人数は限られているのではないだろうかと。何かそういう研究結果とかありそうですよね。研究領域がどこになるのかは分かりませんが。


                      もしそうだったとしたら、僕は思うことがあります。


                      結婚ってやつはなんなんだろう。


                      人には相性というものがおそらくありますよね。そして、人はひとりひとり違うとも言いますよね。では、ひとりひとり違う特徴を持った人間が70億ほどひしめくこの世界で、自分と相性がぴったりな人など見つかるんでしょうか。


                      僕は日本人なので日本に限ったとしても、女性は5000万人くらいいるんですよ?


                      そして、その5000万のなかで、自分が仲良くできるのはたった数人です。


                      無理ですよね。相性ぴったりの人を見つけるなんて。5000万のなかにそもそも相性ぴったりの人がいるかも分かりませんし、仮にいたとしても、その1人が自分の仲良くできる数人のなかに入ってくる確率は……ね。どう計算すればいいのか分かりませんが多分奇跡的な数字なんじゃないかと思います。


                      で、あればですよ。


                      結婚っていうのは、子孫を残そうとする本能からくる無意識の妥協なのではないでしょうか。


                      手に届く範囲にいた数人の異性のなかで、「この人でいいや」と判断を下し、でもそれだと納得できないから、「この人がいい」、「この人じゃなきゃだめだ」に変換する。それが「恋愛」なのかなと思いました。


                      恋は盲目。人の判断をおかしくします。これは、子孫繁栄のために必要な能力なんでしょうね。「妥協」を「最高」に見せかける魔法。


                      結婚した夫婦が、死ぬまでラブラブでいることが稀なのはおそらく皆様理解している話。なぜこうなるかといえば、魔法が解けたからなのでしょう。子孫を残してしまえば、もう愛なんて感情は用済みなのです。


                      とても寂しい話ですが、ここまで考えて、僕は妙に納得しました。


                      とはいえ、別に僕は、「だから恋愛なんてそんな良いもんじゃない」とは思いません。


                      むしろ、「上手いことできてるな」と思います。とてもじゃないけど世界中の他人を深く知ることなんてできないという人間の限界を見事にカバーするシステムです。


                      もし、「恋」という魔法が存在しなくて、誰もが冷静にパートナーを相性で選別していたら、きっと人類は絶滅するでしょう。完全に満足できる他人なんて見つからないんですから。


                      満足できない部分を見せなくする「恋」は重要なんですよ、極めてね。


                      だからみなさん、昨今、若者の恋愛離れと言われてはおりますが(そして僕もそのうちの1人ではありますがw)、恋愛、すればいいと思います。


                      面倒ですけど。でも、そう言ってたら人類滅びますし。


                      魔法なので、楽しいこともあると思いますし。


                      人間が持っているこの素晴らしきシステムを、活用すればいいと思いますね。


                      ……ただし。


                      冒頭に述べました通り、ネットの人間関係は薄いので、インターネット上のみでつながっている相手に恋をするのはおすすめしません。


                      確率はゼロではないですが、あんまり上手くいかないと思います。そもそも、インターネットという場所は、いくらでも自分を偽れる場所なんですから。インターネットでの交流でその人のことを本当に知ることができているかどうかも実は怪しいのです。このことも合わせて、ネット上で恋愛を目論むのはやめることをおすすめしますね。


                      ネット上では、友人としてのコミュニケーション範囲を広げることだけ考えればいいと思います。薄いとはいっても、普通に生活していたら接点のないだろう相手と仲良くなれるチャンスがあるのは確かですから。そしてその末に、その関係が現実にまで及んだのならそこではじめて恋愛対象に含めても構わないとも思います。が、最初からパートナー探しのツールとしてインターネットを使うのは、多分愚かですよ。良いことないです。


                      ……なんか、最終的に「出会い厨マジ勘弁」みたいな話になってしまったw


                      とりあえず、人間関係には限界があるんじゃないかという思い付き記事でした。


                      反論等あればぜひぜひコメント欄に。皆様のユニークなお考えをお待ちしております。


                      profile

                      calendar

                      S M T W T F S
                          123
                      45678910
                      11121314151617
                      18192021222324
                      25262728293031
                      << October 2020 >>

                      search this site.

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      links

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      recommend

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM