書いてみて知る創作力の衰退

どうもこんばんは、僕です。
本日は6月30日。6月最後の1日でしたね。そこで皆様、覚えておいででしょうか。僕が今日この日に、あることを設定していたという事実を。
そう、「締切」ですね。
先日、僕は「短いですがお話が書けそうなので書きます」と宣言しました。そして、時間は多少かかるかもしれませんが、本日6月30日を一応締切と考えています、と書きました。
しかしながら、こうして今書いているのは、小説ではなく普通のブログ記事。これはいったいどうしたことでしょう。短いお話を書くという約束はどうなってしまったのでしょうか。
はい、端的に言いますと、自分で勝手に書くと言って、自分で勝手に締切を設定したにもかかわらず、僕はそれを達成することができませんでした。
なぜかといいますと、書ける気でいたものが、一切書けなかったからです。僕は僕なりに、意地とプライドをかけて、――これは強調しておきたいですが、本気の本気で今回の創作に取り組みました。
ただ、それでもどうしても、書けなかったのです。あえて軽く書きますが、これにはふぁいんさん、大ショックでした。
10歳で作家を志してから気付けば12年。あまり書いていない時期こそあれ、少なくとも僕はこれまで、文章というものを自分の中の大切なものとして捉え、生きてきました。そして、その都度書きたいものを見つけては、書いてきました。文章力の未熟さから、自分の書いたものに納得できないことは多々ありましたが、それでも一応は、書けていたんです。これが書きたいと思ったら、下手くそな文章であれ、形にはできていた。
しかし今回、それができませんでした。書きたいことは決まっているはずなのに、不思議とすぐに手が止まってしまいました。そしてその度に、こんな思いが湧き上がってきたのです。
「違う、これじゃない」
僕は今回、僕の書く文章に、言葉にできない違和感をずっと感じていました。なにかがおかしいのです。なにかが違うのです。無理やり言葉にするならば、それはなんというか、「輝いていない」のです。
それを何度も繰り返し、僕は今こうしてついに、諦めてこんな文章を書いています。僕はいつの間にか、「書けない人間」になってしまったようです。もう、何も書ける気がしません。秋本那都葉の物語すら動かせないのであれば、今の僕にはもう、何も書けません。
こうなったらもう、やることはひとつです。
今までを捨てるしかありません。
僕にはもう、今までの秋本那都葉は多分書けません。いずれまた書けるようになるとしたら、それは一旦あの子を捨てたその先の話だと思います。
僕は僕が高校生の時に生み出した『迷へた』から、一度離れることにします。そして別の何かを生み出すことにします。それがどんなものなのか、今の僕にはその欠片すら見えていませんが、ただ、そうするしかありません。僕にとって文章は、小説は、物語は、僕と言う人間を構成する極めて重要なピースなのです。だから、それを失っては生きていけないのです。
失わないために、あがきます。文章が書けない僕は、僕じゃないから。
ただ、ひとつだけ僕自身のために、約束させてください。
僕は『迷へた』という作品が大好きです。深い思い入れがあります。だから、今は一度捨てますが、かならずいずれ拾い上げて、現在も止まったままのあの物語を、どういうかたちであれ再び動かしてみせます。
なにしろ、まだ出てきてすらいないキャラもいますからね。このまま終わりにはできません。だから、いずれ必ず。
遥君、待っていてくれ。

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