迷ってへたれて抱きしめて #11

 

 会いたい……?
「僕に……ですか?」
 自分の耳を疑った。思わず聞き返すと、
『…………はい』
 躊躇いがちに、そう返ってきた。
  
 すぐには何も答えられなかった。イエスともノーとも言うことができず、黙るしかない。どうするべきか、判断に困った。それはそうだ、こんなこと、人生で初めてなのだから。判断材料が僕のなかには何もない。
  
 沈黙のなか、電話越しに、彼女が僕の言葉をじっと待っているのが伝わってきた。言葉は何もなかったが、それでも、彼女の表情が見えた気がした。
  
 きっと、不安や後悔を必死に抑えてただ僕の答えを待つ、意思に満ちた顔だ。勇気を出してくれたんだろう。
「分かりました」
 そう思ってしまったら、僕にはそう言うことしかできなくなっていた。
  
 お礼はいらない。でも、お礼ではないらしい。
  
 会いたいと言ってくれた。会えない理由も会わない理由も見当たらなかった。
  
 月野さんの緊張が解けるのを感じた。
『良かった、です。こんなことを男の人に言ったの、初めてだったので。それも、ほとんど知らないような人に』
 ほっとしたように言う彼女。その言葉には僕としても同感だ。
「僕も、言われたのは初めてですよ」
『そう、ですよね』
 ふふっ、と彼女は少しだけ笑った。
  
 そんな、ほんの少しリラックスした空気のなかで、僕らはいつ会うかについて話し合い始めた。
『明日、だとやっぱり急すぎますよね?』
「あー、まあ無理ということはないですが」
『何かご用事がありますか?』
「いえ、あの、本当は今日行くつもりだったところがあって。行きそびれてしまったので、明日行こうと思っていただけなんですけど」
『……私を助けてくれたから、ですね。すみません、巻き込んでしまって』
「ああいや! 大丈夫です、ただの買い物なので。いつでも行けますから」
『すみません』
「いやいや、そもそも月野さんのせいじゃないじゃないですか。あの痴漢のせいですよ」
『……じゃあ、こうします。ご迷惑でなければ、そのお買い物にお付き合いしますよ。私の責任みたいなものですから!』
「え」
 月野さんが僕の買い物に?
『……? どうしました?』
「ああ、いや……」
 僕の買い物に付き合わせるということは、とらメイトに行くということだ。あの二次元販売所に。それに月野さんみたいな女の子をつき合わせて平気だろうか。
  
 いや、平気じゃない。
  
 自惚れかもしれない。しかし思うに、今、月野さんのなかで僕の株は、とてつもない高値を記録しているような気がする。要するに、助けたことによって好感を得ている。
  
 僕は自分の趣味を恥じるつもりはないが、とはいえ、あの場に普通の女の子を連れて行ったらどうなるかくらいは想像できる。きっと、よろしくない。
  
 それに、万が一だ。本当に万一、月野さんが目覚めたら? 今、多くの女子を虜にし、母さんも属しているホモォ萌えな世界に足を踏み入れることになったら?
  
 日夜ピアノの稽古にいそしむ美少女清楚なお嬢様(イメージ)を、そんな風にしてしまったら、あの美人なお母様に僕は何と言えば良いというのか。
  
 ……よし、断ろう。ここは、ちょっと都合が悪いとか何とか濁す感じでそれとなく断ろう。
『……実を言うとですね』
「へ?」
 僕が断る決意をした瞬間、おそらく僕の返事を待ってくれたであろう彼女が口を開いた。
『誘ったは良いんですけど、冷静になってみると、どこに行こうとかは決めてなくて。それに、遊びに行ったりとかは、その、秋本さんにも迷惑な気がしたので困っていたんです。だから、秋本さんのお買い物につき合わせていただけると嬉しいなって。すみません、私から無理を言ったのに何も決めていなくて』
「……あ、ああ、うん」
 どうしよう。
  
 これは、断れない。
『お付き合いしても、よろしいでしょうか……?』
「はい……よろしいです」
 そう言うしかなかった。
  
   6
      
 翌日、日曜日。
  
 僕の作戦はこうである。
  
 まず、開店と同時にとらメイトに向かい、早々に買い物を済ませる。
  
 それから駅に戻り、月野さんと合流して、適当に近くの店で何か買う。
  
 雑かつ単純な手だが、電話しながらとっさに思いついたのだからこれくらいが限界だ。昨日調べたところ、とらメイト周辺にはファッション系のお店やちょっとしたカフェなどもある。まあ何とかなるだろう。
  
 ……それにしても。
「やっぱりこれ、デートみたい、だよな」
 女の子と駅で待ち合わせをして二人で買い物。しかも、女の子から誘われたときてる。加えて美少女だ。僕は今日、誰かに殺されても文句は言えないかもしれない。
  
 もちろん人生初だ。女子と二人で買い物なんて、那都葉としかしたことがない。
「変じゃない、よな?」
 僕は鏡の前で今一度服装を確認した。一応、できる限りのおしゃれをしたつもりではあるのだが、普段服装に気を遣ったことなどないので、よく分からないというのが本音。こんなことなら少しは服にも興味を持つんだったと後悔した。
  
 まあ、もうどうしようもない。
「おはよう母さん」
 一階に下りた。母さんは、今日は僕が出かけることを予見していたようで、すでに朝食が用意されていた。時折思うが、母さんには僕の全てがばれているよう
な気がする。
「あらハル、今日は何だかおしゃれね。とらメイトに行くんじゃないの?」
 ほら、な。
「いや、とらメイトだよ。格好も別にいつもと変わらないって」
 極力いつもの調子になるように努めて、僕はできるだけさっさと朝食を済ませた。変に追及されても困る。なるべく早く家を出るんだ。
「ごちそうさま! 行ってきます!」
「あ、待って。ハル」
 ぎくり。
「な、何?」
「行く前にナツを起こしてきてよ」
 ああ、なんだ。何か察したんじゃないかと思ってびっくりしたが……
「……って、那都葉を? なんで? 日曜なんだから起こす必要ないだろ?」
 はっきり言って、那都葉を起こすのは厄介だ。あいつのことだ、僕が出かけるなんて知ったらついてこようとするに決まっている。
  
 しかし母さんは言った。
  
 その言葉で、僕は那都葉の方が一枚上手なことを知る。
「昨日ナツがね、今日お兄ちゃんはとらメイトに行けなかったから、明日行くに決まってる。私、休みの日はどうしても起きられないから、起こすようにお兄ちゃんに言ってね、って言ってきたのよ」
 ……僕のことを見透かしているのは、どうやら母さん以外にもいたようだ。
  
 那都葉か……起こさないと後でうるさいだろうな。
  
 那都葉は元々朝に弱いタイプで、昔はいつも誰かに起こされないと起きられなかった。それがいつからか、学校のある日だけはきちんと自分で起きるようになったのだ。たまに起きて来ないこともあるけれど。おそらく、普段の言動はあんなだけど真面目な奴だから、自力で起きなければならないという義務感で起きているのだろう。
  
 そのため、休日は全く起きられない。「朝」は僕の知る限り、那都葉最大の弱点である。
  
 さて、どうしたものか。
  
 起こさずに出発すれば、帰って来た後で何を言われるか分からない。
  
 しかし起こせば、ついてくる。それは困る。
  
 ……しょうがない。
「母さん、那都葉に、帰ったら何でもしてやるからごめんって言ってたって伝えてくれ」
 今日ばかりは、悩むまでもなくどちらを取るべきかが明確だ。那都葉について来られると困る。だから、起こさない。
  
 僕は母さんに伝言を伝えると家を出た。
  
 少し時間がギリギリになってしまったので、急いで駅に向かう。
  
 電車内では、ついつい警戒してしまったものの、今日は時間帯のせいなのか満員とまでは至っておらず、平和に三駅の間、乗っていることができた。
  
 電車を降り、少し歩いて、とらメイトが見えてきたのは午前九時五十五分だった。とらメイトは十時開店だ。極めて順調に、予定通り着けたことになる。
  
 店の前には数人の姿が見えた。開店前から店の前で待つ奴なんて僕以外いないだろうと思っていただけに、意外だった。とらメイトの需要をなめてたな。
「ん?」
 自動ドアの正面に、やたら目を惹く男性が立っていた。
  
 とりあえず、でかい。一八○センチは超えているだろうという長身だ。そして、脚が長い。羨ましくなるほどに。細身だが華奢な感じはせず、男らしさと頼りがいのある背中をしていた。
  
 正直、浮いている。しかし良い意味で。それは、この「とらメイト」という場には違和感だということだ。何というか、彼からはオーラが出ていた。
  
 悔しいほどの、イケメンオーラが。
  
 見れば、僕の反対側から歩いてくる女子という女子が、その男性の方に目を奪われているのが分かった。僕は少し気になって、何気なく、軽い咳払いなどをしてみる。
  
 思惑通りに振り向いてくれたその顔は、
「……ッ!」
 圧倒的敗北感と劣等感を僕に感じさせる、言葉にならないほどの、イケメンだった。
  
 と、その男性がこちらに近づいてきた。距離が迫る度に、イケメンオーラにやられて僕は緊張する。
  
 僕の前で止まった彼は、ポケットから飴を出した。
「のど飴じゃねぇけど、まあ多少はマシになるだろ。少年、これやるよ。風邪には気をつけてな」
 そうして飴を手渡すと、また元の場所に戻っていった。僕は、お礼すら言うこともできず立ち尽くした。どうしようもない衝撃が僕を襲っていたからだった。
  
 僕が気をひくためにした咳払い。それをこの人は、風邪気味だと解釈して飴をくれたのだ。見ず知らずのこの僕に。何というイケメンだろう。
  
 この人には、何をやっても一生勝てないと一瞬で思わされた。そして、それでも良いと思った。むしろこの飴ひとつで、僕は彼を尊敬してしまっていた。
  
 世の中には、あんな人もいるんだなあ。
「お待たせいたしました、開店です」
 そんな間に、自動ドアが開いて、中から出てきた店員が告げた。正面で待っていた彼は一歩店内に入りかけ、それからきょろきょろと辺りを見回すと、一点で目を留めて、大きな声で、呼んだ。
「おーい美海、開いたぞー!」
「え……?」
 その名前に反応してそちらを見ると、
「そんな大声出さなくても分かってるよー」
 ファーストフード店の袋を持った、僕のよく知るその子が、視線のその先にいた。
「う、兎束さん……?」
(#12へ続く)
―――――
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