迷ってへたれて抱きしめて #9

 

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 結局、今日はとらメイトを諦めた。
  
 駅構内に設置された交番で僕と月野さんの事情聴取が行われたのだが、それが僕の予想より長くかかり、終わったときには日も沈みかけていたからだ。
  
 僕は家に戻ってきていた。
  
 ベッドに横たわり、買ったばかりの携帯を眺める。
  
 電話帳には、父さん、そして母さんの連絡先に加えて、もう一件登録されていた。
『月野琴美』
「どうすりゃ良いんだろ、これ」
 長い事情聴取の後、僕は彼女と彼女の母親に声をかけられた。
「この度は本当に、娘を助けていただきありがとうございました」
「ありがとうございました」
 僕の人生の中で、他人に、ましてや大人にあそこまで深々と頭を下げられたのは初めてのことだった。
  
 しかも、あんな美少女に。
  
 月野さんは、胸辺りまで伸びる長い黒髪と、長いまつ毛が特徴的の女の子だった。特に、髪がややウェーブがかっているのが印象的。毛先が丸みを帯びていてところどころはねたようになっているものの、そのふわふわ感が全体の大人しそうな雰囲気とよく合っていた。
  
 常に少しうつむき加減なあたりに、性格が見える気がした。痴漢に狙われた理由も分かる気がする。抵抗できない雰囲気がありありと見て取れたからな。そしてその整った顔立ちとスタイル。同い年という話だが、正直な話、もっと年上と言われても信じられただろう。……主に、ある一部分の発育加減が良好だったためだが。
  
 まさに、格好の餌食だったのだろうと思う。
  
 月野さんのお母さんもまた、彼女の母親だけあってとても綺麗だった。何歳なのかは知らないが、僕の知る限りの「母親」のなかで最も若く見える部類だ。何というか、清楚ななかに大人の色気みたいなのが感じられて、素敵なお母さんという感じだった。
「実は、過去に何度かこういうことがあったんですが、これまでは運良く逃げられたのです。今回が最もひどくて……秋本さん、でしたか。あなたが助けに入ってくれなければどうなっていたことか」
 月野さんのお母さんは、何度も何度も僕に感謝の言葉を述べてくれた。いわく、父親が七年前に亡くなり、女手一つで月野さんを育てているので、危険は感じつつも仕事があるために送迎などはできなかったそうだ。月野さんは、週に三度あるピアノのレッスンの帰りだったそうである。
「でも、今回のことで決心しました。長い間お世話になったピアノ教室ですが、やめて他の場所にしようと思います。家の近くの、電車移動しなくて済む教室を探して」
 そう告げたお母さんの顔には、本気で娘を思いやる気持ちが表れていた。
  
 それを見たとき、僕は、ああ助けて良かったと思ったのだった。
  
 そんなやりとりの最後に、おずおずと、月野さんに一枚の紙をもらったのである。
「あ、あの、これ……良かったら、連絡ください。お、お礼がしたいですから……。お、お願いします!」
 そうして僕が何も言い返せないうちに、再び深々と、しかし素早く一礼をして、彼女はそそくさと去ってしまった。
  
 それがなんと、アドレスと電話番号が書かれた紙で、今に至るのである。
  
 一応もらったからには登録したものの……扱いに困るのが実際のところだった。
  
 月野さんは、見ず知らずの女の子だ。しかも、ただの少女ではなく頭に「美しい」という文字がつく。そんな子に、連絡くださいと言われてもだ、僕は一体どういう接し方をすれば良いのだろうか。
  
 なんて送れば良い。文面は? どうすれば良い、僕は。
「……分からん」
 ついに、とりあえず一旦携帯を放棄した。あとで考える。
  
 少し早いがまずは風呂でも入って、そしてできれば夕飯を少し早めてもらって、それからにしよう。何しろ、事情聴取のせいでお昼ご飯を食べ損ねたからな。お腹が減った。
  
 警察だし、お昼を要求すれば何か食べさせてくれたのだろうか。カツ丼とか。
  
 ……やばい、余計お腹空いた。
  
 ――コンコン。
「ん?」
 ノックの音に、僕は上半身を起こした。ベッドに腰掛けるかたちになってから応えると、入ってきたのは那都葉だった。
「お兄ちゃん」
「どうした那都葉」
 那都葉は、とてとてとて、とやって来て僕の前に立った。その両手は後ろに回されていて、何かを隠しているように見える。
「えへ、お腹空いたんじゃないかなあと思って」
 はい、と差し出されたのは、ピンクの可愛らしい柄をした袋に入ったクッキーだった。那都葉の顔を見ると、
「私が焼いたの!」
 と、自慢げな表情で教えてくれる。
「ほら、警察からうちに電話があったじゃない? それで、私ピンと来たの。これはお兄ちゃん、お昼食べられないかもーって。だから昼間、急いで作ったんだ」
「お前……」
 そこまで推理できるなんて、名探偵になれるぞ。
  
 そのわりには、テレビドラマとかでは全然当たらなかったりするくせに。きっとそこをつっこんだら、
「愛の力だよ!」
 とでも誇らしげに言うのだろう。だからその点は言わないでおく。
  
 見れば、ピンクの可愛らしい柄をした袋に入れてリボンまでしてある。僕にくれるためだけなのにこの気合の入れよう。相変わらずというか何というか、我が妹ながら感服する。
  
 確かに愛は感じるよ。
「……那都葉、おいで」
 僕は、自分の隣をぽんぽんと叩いて、那都葉を呼んだ。妹が素直にそこに座ると、
「ありがとな」
 優しく、その頭をなでてやる。
  
 
僕にとってはささいなことだが、那都葉はそれだけでやたら喜んでくれるから。僕が今できる最大のお礼のつもりだった。
「え、えへへ……」
「じゃ、いただくな」
「うん、どうぞ」
 広げてくれた袋のなかから、一枚、いかにも手作りらしい、少しいびつな円形をしたクッキーを取り出して口に入れた。
「うん、美味いよ。作るのがさらに上手くなったんじゃないか?」
「そう? 良かった。……じゃあ」
「ん?」
 那都葉は期待を込めた顔で僕を見た。そして、頭を僕のほうに向ける。
「……そんな制度にしたつもりはないぞ」
「良いでしょ? ね? ね?」
「……しょうがないな」
 僕はまた、頭をなでてやった。どうやら、こいつのなかではそういうことになったらしい。
  
 全く、揺るがないな、こいつは。
(#10へ続く)
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