迷ってへたれて抱きしめて #10

 

 ――結局、全て食べ終えるまで頭をなでさせ続けられた。一枚一枚、だ。あまり安易な気持ちで那都葉をなでない方が良いことを知った僕だった。
  
 しかし那都葉のおかげで空腹はある程度満たされた。夕飯までもつだろう。とりあえず、風呂だ。
「ふんふんふん……」
 那都葉は、僕がクッキーを食べ終えても一向に部屋から出て行く素振りを見せず、僕の隣に腰掛けて足をぱたぱたさせながら、鼻歌まじりでご機嫌だった。そんな彼女に告げる。
「じゃあ僕は風呂に入ってくる」
 すると、ぴたりと動きが止まり、目をきらきらさせて那都葉が立ち上がる。
「私も!」
「駄目だ」
 間髪入れずに却下。こいつなら本当に入ってきかねないので、本気で止める。
  
 案の定我が妹はだだをこねた。
「えー! 私が小学生の間は許してくれてたじゃない!」
 こう言われるのは一体何度目だろうか。
「中学入ってからは駄目だって言ってるだろ?」
「それが分かんないの! どうして小学生が良くて中学生は駄目なの? そんなに変わらないじゃん!」
「そりゃ年齢はそんな変わらないけどな……」
 変わるところもあるだろうが。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「……揉めるよ? 今なら。日々進歩しているのです」
「……何の話だ」
「分かってるくせにぃ!」
「うるさい黙れ」
 こういうとき、本当に我が妹はたちが悪い。僕の言ってる意味、分かってるだろお前。
「むー……しょうがないなあ。じゃあお兄ちゃんがお風呂入ってる間に、今この部屋に残る新鮮なお兄ちゃんの香りを楽しむから良いよ」
「やめろ変態」
「何を今更。いつものことでしょ?」
「開き直るな。僕はまだ兄としてお前が健全になることを諦めては……」
「いや、そっちじゃないよ? お兄ちゃんの香りを堪能するほう」
「……まさか僕がいないときに、部屋入ってそんなことしてるのか?」
「……」
「そこで黙るな、おい」
 はあ。
  
 盛大な溜息が出た。本当に揺らがないにもほどがある。僕の部屋に鍵がついていないのが今は恨めしい。外から鍵がかけられればそうするのに。
「分かった、じゃあお前先に風呂入れ。僕が風呂入ってる間に突撃されても困るし、部屋に居座られても困る」
「あ、妹の残り湯だね?」
「お前殴るぞ」
「お兄ちゃんにならそれもまた気持ち良い!」
「……もう良いから風呂入って来い、マジで」
 歪みねぇ。本当に歪みねぇ。
  
 僕はようやく妹を追い出し、再び息を吐いた。
  
 昔からあんなんではあったが、何だかこの頃、成長して知恵をつけたのか悪質になってきている気がする。良い子なんだが、厄介だ。やれやれ。
  
 僕は再びベッドに腰掛けて、携帯の画面とにらめっこを再開する。
  
 月野さんに送るメールの文面をどうするか。
  
 那都葉のクッキーのおかげか、少しは頭が回るようになった気がする。とりあえず、僕の電話番号も打ったほうが良いことに気がついた。
  
 向こうの電話番号を教えてもらったんだ、電話することがあるとは思えないが、教えておいたほうが良いだろう。
  
 しかし本当に苦手だ、こういうの。親に聞くわけにもいかないし、那都葉にも、言わないほうが良い、かな。
「ああ、にしてもどうしよ、ほんと」
 独り言を呟くも、それで進むはずはない。黙って悩むこと幾分か、時計の針の音は着実に時を刻むのに、携帯の画面はいつまで経っても白いままだ。
「……もう、良いか。シンプルで」
 数十分経過した頃には、もうそんな気分になっていた。この間で打ち込んだのは、『秋本です』というタイトルと、「こんばんは」、それに電話番号だけだった。
  
 それに、二文だけ書き加える。
『僕の電話番号も教えておきますが、本当にお礼とかはいいので。あなたを助けられて、喜んでもらえただけで十分ですから』
「送信、と」
 僕の数十分の成果は、あっけなく電波に乗って飛んでいった。
  
 送ってみると、何だかあんなに悩んでいたのが馬鹿みたいだな。
「お?」
 そんな感想を抱いていると、電子音が鳴り響いた。どうやらメールが届いたようだ。やけに早い、というか本当に今送ったばかりだが、開いてみると月野さんからだった。
『電話番号ありがとうございます。保存しました。お礼はいらないとのことですが、それでは私の気が済みません。何かさせてください』
 本当にいらないんだけどなあ。
  
 僕は頭をかく。この場合、どうしたら良いのだろう。喜んで受けたほうが逆に失礼にあたらなくて済むのだろうか。
  
――いや。
『いえいえ、本当に大丈夫ですから。お気持ちだけで十分です』
 僕としては、善意でやったことでもあるし、それで月野さんに何かをしてもらうというのはどうしても違う気がする。ここは丁重にお断りすることにしよう。
  
 それにしても。
「良い子だな、月野さん」
 呟かずにはいられなかった。たったこれだけのやり取りだが、何だか心が満たされた気分だ。本当にあの子を助けて良かったと思う。せめて、これからは平和な生活を送って欲しい。ピアノ教室の場所も変えたみたいだし大丈夫だとは思うが。
「……今度は返信来ないな」
 先ほどすぐに鳴った携帯は、今度はとても大人しくしていた。一応十分ほど待つも、メールは来ない。
  
 もし
かすると、僕の気持ちが伝わったのかもしれないな。それならそれで良いと思う。
 
 じゃあ、そろそろ那都葉も風呂から出る頃だ。一階に下りるとしよう。
  
 そうして僕が部屋を出ようとした時だった。
「え、電話?」
 メールのときとは違うメロディーが、着信があることを僕に告げた。見ると、やはり月野さん。
  
 どうしたというのだろう。
「……何かちょっと緊張するな」
 一応深呼吸を数回繰り返してから、僕は電話に出た。
「はい、もしもし」
『はわっ!』
「……はわ?」
『あ、いえその、すみません! え、ええと、秋本遥さんはいらっしゃいますか?』
「んー、僕の携帯なので、僕が遥ですが」
『あっ! そ、そうですよね! す、すみません!』
 何だろう。
  
 何というか、あわあわしている。
  
 僕も緊張してはいるが、それ以上の緊張を電話の向こうに感じた。
  
 最後お礼を言われたときは、もっと落ち着いていたような雰囲気だったのだが、電話が苦手なのだろうか。
「とりあえず、落ち着いてください」
 ひとまず声をかけてなだめる。すると、すみません! ともう一度謝った後に、息を吸ったり吐いたりする音が数回聞こえた。僕がやったように、深呼吸しているのだと思われる。
「大丈夫ですか?」
『は、はい……あの、すみません。何か緊張して……』
 やはり緊張していたのか。
「それは分かりました。それで、あの、どうして電話を……?」
 余裕がなさそうな雰囲気を感じたので、僕はこちらから用件を訊ねることにする。僕も女の子と話すのは苦手だが、顔は見えないし、何か月野さんと話していたら逆に落ち着いた。向こうの緊張度合いがすごいせいかもしれない。
『……』
 だが、無言。
  
 どうしたんだ? 電波が悪いのか?
「月野さん? もしもーし」
 呼びかけると、
『す、すみません』
 電話を始めてから何度目かの「すみません」をいただいた。
『え、えっと、あの……』
 何だろう。
 こう思うのも、何度目かだな。
  
 声には出さなかったが、携帯を耳に当てたまま僕は首をかしげた。
  
 妙に月野さんの歯切れが悪い。言いたいことがあるのに言いよどんでいるような感じだ。僕は黙って待つが、なかなか明確に話してはくれない。
「もしかして、お礼のことですか?」
 僕は少し助け舟を出すことにした。なかなか進まないのでは、月野さんの電話代がもったいないだろう。
「それなら本当に、何もしていただかなくて大丈夫ですから」
  
 僕は彼女の言葉を先読みして答えた。
  
 すると彼女は、こう言ったのだった。
『……変な子だと思わないでもらいたいんですけど』
「はい? まあ、はい。大丈夫だと思いますが」
『あの、本当に、ご迷惑なお願いかもしれないので駄目なら断ってもらってかまわないんですが』
「はい」
『実は、お礼というのはその、口実というか……』
「はい?」
『良かったら、その、もう一回、会いたいんです。あなたと』
 …………。
「……は?」
(#11へ続く)
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