「……つまり、本当の買い物はここだったということですか?」
「まあ、そう、ですね」
「ここ……」
月野さんはとらメイトの店内をじっと見つめた。外からでも、普通の本屋さんとの違いは分かったことだろう。笑顔を浮かべた可愛い女の子がたくさんいる。すごく平べったい美少女たちだ。
「まあ……確かに私はあまりこういうのに詳しくはないですけど……」
一方立体的なほうの美少女は少し困り顔で苦笑い。しかし、とても心優しい彼女は、僕の心配したような反応は見せなかった。簡単に言うと、どうやら好感度に影響はなかったらしい。
「でも、人の趣味なんてそれぞれですから、それでどうこうなんて私は言いませんし思いません。良いと思います」
……この笑顔の肯定が、その本音とは違う可能性もあるけどな。
「あ……でも秋本さん。ひとつだけ、良いですか?」
なんでしょう。
「三次元の女の子にも、興味はありますよね……?」
「ん……それは……はい」
「興味津々ですか?」
「はい」
僕は力強く頷いた。彼女が不安そうな顔をしたから、嘘偽りなく、な。少し恥ずかしかったけれど。
そのおかげでどうやら安堵してくれたみたいだし、僕の恥じらいくらいどうでも良いよな。二次元にしか興味がない奴と思われるよりは、三次元女子に興味津々だと思われたほうがきっと健全だろう。うん。
何はともあれこうして僕は、己の趣味を痛みなく、そして月野さんにも悪影響を与えずに、カミングアウトしたのだった。
そしてそれは、
「えっと、じゃあ、つまり今日の目的はもう果たしてしまったってことですか?」
「うん、まあ、そうだね」
そういうことを意味する。元々、僕の買い物に付き合うという話だったから、その買い物が終わったことが明るみに出た今、これ以上僕と月野さんが一緒に行動する目的はないということなのだった。
「……どうしようか?」
「どうしましょう……」
結果として、僕たちはとらメイトの前で立ち尽くすこととなった。どこに行こうとも言えず、帰ろうかとも言えず、進めなくて、戻れない。困ってしまった。
正直に言えば、帰りたくはなかった。それは申し訳なさであり、僕の素直な欲求でもある。
せっかく来てもらったのに何もしないで帰らすのはどうなのかということ。そして、ただ、この子と長く話していたいという思い。
後者に関しては、僕自身不思議であり、また、そりゃそうだよなと納得している自分もいた。月野さんは女の子だ。それも、ただの女の子ではない。僕だって馬鹿ではないから――あるいは馬鹿なのかもしれないが、月野さんの好意を感じていた。それは、人間としての評価ではなく、きっと、男として。
本当に、僕が馬鹿な思い違いをしているとしたら恥ずかしいけれど。
だから、一緒にいたいと思ってしまう。思っていた。
そしてそれは不思議なことでもある。僕には断言できることがあるからだ。それはもちろん、僕は兎束さんが好きだということで、だから、不思議だった。
この、気持ちが。
……男は浮気をする生き物だ、なんて言うけれど、そういうことなのだろうか。
僕は月野さんに、期待してしまっていたのだった。
誰の言葉かは分からない。もしかすると、天から降ってきた真理かもしれない。
『好きになるより、好かれるほうが遥かに楽だ』
「秋本さん……? あ、あの……そんなに、見られても、あの……」
「え?」
ふっと我に返った。
「み、見てた……?」
「あの……はい」
「そ、そっか。ごめん!」
どうやら僕はつい、月野さんを見つめてしまっていたようだった。彼女の白い肌がほんのり色づいているのが分かる。
考えるときに、無意識に一点を見つめてしまう癖があるような気がした。気をつけなければいけないかもな。あまり女の子を凝視するのはよくない。
「いえ、あの、良いんですけど……秋本さんなら」
うつむいたまま、月野さんは恥ずかしそうに、それでも許してくれた。
「ちょっと考え事してて……ごめんね」
一応僕は、もう一度謝っておいた。
「そういえば月野さん、どうしてここに来たの? とらメイトに来たってわけじゃないのは分かるけど」
変な感じになってしまった空気をなんとかするために、僕は突如閃いた質問をしてみた。
月野さんがここにいる理由。とらメイト前で話していた僕を見つけた理由。
「あー、あの、それはですね……」
月野さんは、すっと答えずになぜか言い淀んだ。何かそこに、言いにくいことでもあるかのように。
少しだけ考えるように目線をあちらこちらへ移動させて、最後にその目をちらりと僕に向けて、またうつむいてから、おずおずと言った。
「秋本さんの趣味を知ったことですし、私も言いますけど……あの、笑わないでくださいね」
「え、趣味?」
こくり、と彼女は頷いた。
アニメが好き。それと同等かそれ以上に言いにくい趣味を持っているとでも言うのだろうか。
まさか何か変態的な……いやいや、こんな美少女に限って。
『お兄ちゃん!』
……ない話ではないか。
そういや我が家にいたよ。身内から見ても、はっきりいって可愛いと言える顔をしているくせに、とんでもない変態がな!
しかしそうなると、それこそ全く問題ないことになる。どんな趣味だって、動じない自信があるね。
「笑わないよ。人の趣味は人それぞれってやつ、僕もその通りだと思うから」
僕は彼女に告げた。
「じゃあ、あの、予定とは逆になっちゃいますけど、ちょっと付き合ってもらっても良いですか?」
「どこか行くの?」
「はい。ちょっと……こども図書館に」
「こども図書館?」
僕は彼女と一緒に、『こども図書館』なるものへと向かった。
「ここです」
大して歩かないうちに、その図書館は見えてきた。
市立の図書館だ。規模はそんなに大きくなく、確かに施設名は『こども図書館』となっている。
「ここは普通の図書館とは違って、児童サービスを主としている図書館なんですよ」
「児童サービス?」
「入ってみましょう。それできっと、分かると思います」
言われるがまま、僕はこども図書館内へと入った。
「おお……」
そこは、僕の知る図書館とは違っていた。確かに図書館だが、あの、義務付けられたような静寂と、ずらりと並んだ小難しい本の姿は、そこにはなかった。
もちろん本はあった。だがあるのは、大小様々な絵本や、とっつきにくさのかわりに優しさを感じる、ひらがなの多い小学生向けの文庫本などだった。
設置してある椅子と机の高さはことごとく小さい。僕なんかが座ると逆に疲れる高さだ。そこに幼稚園くらいの子、小学生くらいの子が座り、傍のお母さんと楽しそうに会話をしながら、本を読んでいた。そのため、にぎやかである。
「これが『こども図書館』です」
「なるほど……」
僕は納得した。こんな図書館もあるんだな。
「図書館は、知識を共有する場所です。本という知識の塊は、かつては偉い人にだけ読まれるような、特別で、価値あるものでした。それを昔の人が、自分たちもと奮起して勝ち得たのが図書館なんです。だから図書館の持つ知識は、広く与えられなければなりません。それにはもちろん小さな子どもも含まれています。図書館司書……あの、図書館で働いている人のことですが、それになるための勉強には、ちゃんとこの『児童サービス』が含まれているんですよ」
図書館司書――エプロンをした女性のよびかけに応じて集まって行く子どもたちを見ながら、彼女は僕に語った。始まった絵本の読み聞かせに、真剣に耳を向ける子どもたちを見て微笑む彼女は、なんだか僕には、とても素敵に見えた。
「詳しいんだね、月野さん」
率直に思ったことを言ってみた。すると彼女は照れたようにはにかみながら、教えてくれた。
「実は、あの、私、司書になりたいんです。できれば、こうしたこども図書館で働きたい。人前は苦手ですけど……子ども、好きなんです」
それは明確な将来への希望。
「へぇ……」
思わず感嘆の息が漏れた。こんなにはっきりと、夢を描いているなんてすごいことのように思う。
「……すごいな。良いと思う」
まったくもって語彙力を感じさせない言葉だが、僕は精一杯、思いを告げた。
「えへ、ありがとうございます」
その笑顔は、やっぱり素敵だった。
「それでですね、あの、趣味、なんですけど」
月野さんは子ども達から目線を外すと、本棚の前で少し屈んだ。背の低い本棚には絵本が並んでおり、彼女はそのなかの一冊を取り出した。
「『白雪姫』?」
タイトルを読み上げる。月野さんが手に取ったのは、童話、『白雪姫』。誰でも知っているだろう、「鏡よ鏡~」ってやつだ。
「私、絵本が好きなんです。それはあの、司書とか関係なくて、むしろ、絵本が好きなのも司書になりたい理由のひとつっていうか……やっぱり、子どもっぽいと思います、よね」
月野さんは絵本を手に持ったまま、それで顔を覆うようにうつむいた。
なるほど、これが言うのをためらった理由らしい。
確かに絵本を読む十五歳はそういないかもしれない。だけど、
「別に恥ずかしがることはないんじゃないかな。良いじゃない、絵本が好きなの。もしかすると子どもが読むことを想定しているかもしれないけど、別に小さい子しか読んじゃいけないってわけじゃないしね。良い話も多いしさ」
何となく、絵本と月野さんという組み合わせには、違和感はなかった。むしろ可愛らしいよな、うん。
「本当にそう思いますか……?」
「もちろん。比べることではないかもしれないけれど、僕の趣味なんかより、なんというか、純粋だ」
アニメやライトノベルが不純だと言うわけではないけどね。
「純粋、ですか。ふふっ」
「面白かった?」
「はい、少し」
「それは良かった」
「良かったですか?」
「うん、良かった」
なんにせよ、人間なんて、笑っているのが一番良い。
(#15へ続く)
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