30歳の私

0から9へと積み重ねてきた1の位が、また0に戻りました。

どうもこんばんは、ふぁいんです。

冒頭の一文。

これは、「30代という新たな時代に突入した私の今の気持ちをどう表せばいいんだ」と考えた結果ひねり出された言葉なのですが、それっぽいことを言っているようでいて、ただただ十進数の当たり前の法則を説明しただけでした。

日本語って難しい。10歳で作家になりたいと思ってから20年。めちゃくちゃ波があるにしろ、多かれ少なかれ文章を書き続けてきていたはずの私ですが、未だに日本語はどう使いこなしたものか、よく分かりません。

とりあえず、「0からの気持ちで新たに頑張ろうってことなんだよ!」とごり押しして、今年も誕生日恒例の自分語りを始めます。

20代から30代へ

21歳から「○歳の僕」というタイトルで続けてきたこの投稿、ついに10年目を迎えまして、ついに「30歳の『私』」ということで、一人称が変わりました。

変わりましたというか、変えたのは私なんですが、これもまた、ひとつの節目ということで、現状にあわせて最新化しました。

まあ、最新化と言うなら、私の一人称が「私」になったのはもっと前からなので、本当はもっと以前から変える必要があったのかもしれませんが、それはそれ。

30歳の節目に、またひとつ人生の階段を上がったことを示す意味で、「私」に変えた。

それでいいかなと思います。

先ほどは扱うのが難しいと述べた日本語ですが、こういう一人称の変化だけで、なんだかちょっと大人になった感じが表せることを思うと、奥深い言語だなあと思います。英語なら全部”I“なのに、例えば「ぼく」と「僕」ですら、年齢の変化、そしてどこか、性格すらも感じ取れるなんて、とてつもないと思いませんか?

……40歳になったとき、この記事の一人称をどうすればいいのか、10年かけて悩みたいと思います。多分まだ「わし」は早いと思うので笑

はてさて、筆がのるままに無駄なことばかり書いていると日付が変わってしまうので、そろそろちゃんと話を始めましょう。

年々どうでも良くなってきつつあった自分の誕生日ではありますが、やはり30歳というのは大きな節目で、それゆえに今年は、ラジオも録りました。

別に大したことはしゃべっていませんが、思っていることなどを率直に語ることができたので、自分史の一部としては良い記録かなと思っています。

このラジオ内でも言っていることですが、30歳になった今、やはり20代はまだまだ子供から抜けきっていなかったことを実感します。この場で具体的に言語化してみますと、20代は言わば、「社会人としての形成期」だったのかなと感じていて、0歳から10歳までが「自我の形成」、10歳から20歳までが「自立へのカウントダウン」だったとすれば、20歳から30歳までは、初めてその期間の大半が「学生」でなくなった時期ということで、「立派な社会人になるのじゃぞ」な期間だったのかなという感覚です。

もちろん、私はまだまだ20代を卒業したての身なので、あと数年もすればまた感じ方は変わってくるのかもしれませんが、現時点ではそんな感じ。20代は、半学生、半社会人みたいな、中途半端状態から抜け出すのが使命だったのかもな、というところです。そういう意味では、立派になれているかはともかく、まあそれなりには「社会人やな」という自覚は芽生えているので、よしとしましょう。

豊かさと貧しさ

ところで、20代を終えてようやく「社会人として自覚する」って、よく考えてみると遅くない?という気はしなかったでしょうか。

私は「遅くない?」って思いました。「多分ここからはそんなに大きくは変わらないんだろうな」と思えるくらい「自分」が安定するまで、なんと30年もかかってしまいました。人生100年時代とは言ったものの、生物的にはすでにピークを過ぎてゆるやかに下降へと反転を始めているだろうというのに、まだスタートラインに立ったみたいな精神状態なのか、という気がするのです。

多分昔はもっと成熟が早かったのではないか、と思います。例えば「元服」といえば15歳くらいなイメージはありますし、なんなら10歳とかで政略結婚させられるこども達も大昔にはいたわけですし、彼らには遠く及ばない成長スピードなのではないでしょうか。

平均寿命が延びたことを踏まえれば、相対的には同じくらいなのかもしれませんが、なんとなく負けている気がしないでもありません。もちろん、早ければ良いというものでもないのですが、なんというかこう、とっても甘い時代にいるのかもしれないな、と思ったりするのです。

最初は、それだけ「悠長に教育していられるだけの豊かさ」がある証拠なのかもしれないなと思いました。ただ、それにすぐ違和感を覚えて、私は首をかしげました。

果たして、今の日本は「豊か」なのでしょうか。本当に、悠長にしていていいのでしょうか。

「豊かさ」をはかるのはとても難しいような気がします。比較対象をどこにして、ものさしを何にするか。それ次第で、豊かになった、とも、貧しくなった、とも言える気がしますが、「細かいことは気にしないで直感で答えよ!」と言われたら、この時代、「豊か」とは言いにくいと私は思います。

私が生まれて30年。経済面で、明るい話題を耳にした記憶がほとんどありません。バブル崩壊以降の時代を指して「失われた30年」とも、2000年以降、IT革命の波に乗れなかった日本を指して「失われた20年」とも言っている気がしますが、GDPが上がらず、給与額が上がらず、国際競争力はなくなっていると言われています。

今はまだなんとか「横ばい」と言っていますが、人口減少が待ち受ける中、「下降」に転じる未来は想像できても、「上昇」するイメージを持っている人は少ないでしょう。いや、もはや少ないどころか、「いない」かもしれません。

私はこの「明るい未来をイメージできない」状態こそが「貧しさ」なのかもしれないと思っています。

仮に給料が上がらなくても、未来に希望があって、この先に上昇の見込みがあれば、私たちの表情はもう少し明るくなるのではないでしょうか。それがない、さながら、あとは老いて死ぬだけという状態が、私たちの心を貧しくしている気がします。

私は、今日から始まった30代の10年間で、この心の貧しさを、何とかしたいです。

自分だけ幸せになろう

以前からちょこちょこしゃべったり書いたりしたことがある気もしますが、日本の人口減少は、現在の人口分布的に、もうどうしようもありません。若者ひとりあたりの負担はますます増えていくはずで、それが見えていることが、閉塞感のひとつの要因になっているところもあると思います。

しかし、現実は現実で、「そうなる」のは避けられないので、それに関してはもうくよくよするのをやめましょう。

こうなったらもう、私は、各自が、他人を出し抜いてでも幸せになろうとするしかないのではないかと思っています。日本全体の底上げは、独力ではなかなかしんどいです。旧体制からの変更があまりにも下手くそな国家ですので、みんなで一気に変えようよ、と呼びかけても、多分変えることができません。

でも、自分一人なら、自分の意思だけでいかようにもできます。そして、自分が豊かになれば、自分の身の回りくらいなら、その豊かさを分配できるかもしれません。

だからこそ、まずは自分だけ幸せになるにはどうすればいいかを考えるしかないかなと思うのです。まずは自分の力で自分を幸せにしようとしてみて、幸せになれたなら、そして、もし余力があったなら、自分の好きな人に分配する。それだけを考える、で良い気がしています。

冷たい考えでしょうか。でも、資本主義社会なので、そういう構造になっている気がするのです。絶対に、お金持ちと貧乏人が存在する。それによって、経済格差が問題になりますが、むしろ、ある程度はお金持ちも存在しないといけないのだと思います。なぜなら、今の日本は封建社会ではありません。絶対の貴族階級がいて、平民から搾取する時代ではないのです。むしろ、累進課税によって、お金持ちこそ、貧乏人に搾取されています。自分の才能と努力で、頑張ってお金持ちになったのに、お金持ちというだけでたくさん税金を持っていかれています。それが現代です。お金持ちは、貧乏人の敵ではないのです。

だから私は、一旦自分が豊かになることを考えたいと思います。それがお金持ちになることなのか、それとも違う理由によってなのかは私にも分かりませんが、少なくとも、自分の未来に安心し、呑気に笑っていたいので、そういう自分を目指そうと思います。そして、もしそれがうまくいって、分配できるほどの余剰があれば、そのときは周りに配るとしましょう。できれば、日本国民の中から、そういう人が多く出てくれるといいなと思います。その割合が増えれば、そのとききっと、日本は豊かだと言えるでしょう。

大きなことを言えているうちは大丈夫

というわけで、もはや誕生日どこいった状態で、ただただ最近思っていることをこちらでもぶちまけるだけになってしまいましたが、とりあえず目先のこの1年、30歳の1年も、おもしろく生きられるようにしたいなと思います。

色々語りましたが、現実にできるできないは別として、なんだか壮大なことを語れているうちは指向が未来を向いているということだと思うので、「一応未来を見ることができているらしい」と、絶望していない自分に安心しておきます。人生どうなるか分かりませんが、なんとかして楽しみたいですね。

コメント

  1. aeven より:

    Hi, I’m a fan of Nanjo(I don’t know Japanese). I visited this website from twitter. It’s so amazing you love Nanjo so much and wouldn’t miss one of her activities and works! I learned a lot about Nanjo from your article. Thank you!

    • Hi aeven.
      This web site only has pages written in Japanese, but I am glad you got the message about Nanjo’s activities. You must be a good person if you are a fan of Nanjo.
      Thanks for visiting this web site!
      (I am not good at English either, so sorry if I didn’t convey my message well.)

  2. Aeven より:

    I remember when Nanjo saied “I am 30” in 2014 birthday live. Her career was in the peak at that moment. How time flies. I wish Nanjo will continue her performance for a few years.

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