迷ってへたれて抱きしめて #13

 

 兎束さんの視線が僕から外れた。
  
 名前を呼ばれたことよりも、そのことが僕を振り向かせた。
 どうしてここに――そんな言葉が出かかった。
  
 一時間後に駅で待ち合わせをしているはずの月野さんがそこにいた。小さな可愛らしい鞄を体の前で持ち、立ち尽くしている。
  
 言葉が出なかったのは、その目線が僕の向こう側に向いたからだった。僕は二人の女の子の間で、それぞれの様子をただ、窺う。
  
 ふわり、と月野さんの黒髪が風になびいた。
「知り合い?」
 兎束さんが、月野さんを見据えたまま訊ねた。その先はもちろん僕である。月野さんも僕を一瞥して、無言で同じことを訊いてくる。
「あー、うん。えっと……」
 二人をそれぞれ紹介しようと口を開いた僕は、はたと言葉に詰まった。
  
 兎束さんは良い。しかし月野さんのことは、どう説明したら良いのだろうか。
「は、はじめまして……」
 沈黙を破って、月野さんが小さく頭を下げながら言った。顔を上げるとき、ちらりと僕を見る。
  
 助けられてしまったようだ。
「あの、えっと、私、月野琴美といいます。秋本さんには、数日前にあることで助けていただいて……」
 月野さんはおずおずと、自己紹介をしていった。その姿を見ていると、気の弱そうな彼女に無理をさせてしまっているような気がして申し訳なかったが、僕には今さら何もできない。黙ってそれを聞いている他はなかった。
「……それであの、今日はさらに私のわがままに付き合ってもらったというか、この後の買い物に着き合わせていただくことになってまして……」
  
 月野さんは、俯き気味に話を続けていく。多分、兎束さんの足元あたりを見ているな。時折ちらちらと彼女の顔を目だけで窺っているようだ。
  
 兎束さんはというと、よく分からなかった。笑っているでもなく、怒っているでもなく、かといって無表情というわけでもない、そんな顔をしているように見えた。しいて言うならそのいつもより少し見開いた目が、驚いていることを感じさせるような気はした。
  
 しかしその顔にいつもの明るい笑顔が戻るのには、そう時間はかからなかった。
「あ、あはっ! 急にすっごい可愛い子が現れるから、ちょっとびっくりしちゃったよー!」
 それは月野さんが、僕と出会った経緯をあらかた説明し尽して言葉に詰まり始めた頃合いだった。兎束さんの笑顔によって、まるで一瞬止まった時間が再び動き出したかのように、和やかな雰囲気が戻ってきた。
「月野さん、か。うん、本当に可愛いなあ。その髪、長いのにさらさらで、ちょっとふわふわしてるし素敵!」
「あ……これ、こういう髪質っていうか、昔から、少しくるくるしちゃうんです」
「元々そうなんだ、へぇ、良いね!」
「変じゃないですか……?」
「もちろん! とっても可愛い!」
「可愛いなんて……ありがとう、ございます」
 やはり兎束さんの社交性はさすがだった。なんというか、みんなを暖めてくれる太陽のようだとつくづく思う。控えめな月野さんにも、髪を褒められて照れつつも嬉しかったのか、笑顔が浮かんだからな。心なしかリラックスしたように見える。
「私、兎束美海。秋本君とは同じ学校で同じクラスなんだ。よろしくね、月野さん」
「あ、は、はい! こちらこそ」
「まったく秋本君、こんな可愛いお知り合いがいるなんて知らなかったよ? 羨ましいぞこのこのーっ!」
「あ、あはは……」
 結局僕が一言も事情を説明しないままに、女子二人の友情が始まったようだった。なんというか、情けない気分だぜ。
「あの、兎束さん。ひとつだけ、良いですか?」
 月野さんが口を開いた。
「あの、あのですね、その……秋本さんのクラスメート、なんですよね?」
「うん、そうだよ。なんなら秋本君のおもしろエピソードでも聞く?」
「え」
 僕のおもしろエピソード? まったく心当たりがないが何か変なことしたっけ。なんにせよ恥ずかしい思いをしそうなので勘弁していただきたいが……
「それは……あとで教えてください」
 聞くんかい!
「でもあの、それより先に、どうしても聞いておきたいことがあって」
 耳、かしてください。
  
 そう言うなり、月野さんは何やら小声で兎束さんに呟いた。
  
 秘密の話だろうか。月野さんが耳打ちしながらチラチラこちらを見てくるが、注意を払わなくても大丈夫と言うべきか、外なので周りの雑音もあり全くこちらには聞こえてこない。
  
 月野さんから兎束さんへのシークレットクエスチョンが終わると、今度は兎束さんからアンサーがされるようだ。そちらもまた、これっぽっちも聞こえない。
  
 気になる。気になるが、女の子たちが隠したことを詮索するわけにもいかないので、その様子をじっと見ている他はない。
「……ありがとうございました。良かったです」
 小さく呟いた月野さんは、嬉しそうな顔をしている。何を聞いたかは分からないが、彼女にとって嬉しい答えが返ってきたのだろうか。
  
 なぜか一瞬、月野さんが僕を見た。すぐに目をそらされてしまったが、いったい何だったんだろう。
「おー悪いな、買ってきたぞ! ……って、なんか一人増えてるな。美海、友達か?」
「あ、お兄ちゃん。うん、今友達になった。月野琴美ちゃんだよ」
「今? ふーん、琴美ちゃんか。美海をよろしくな。元気しか取り柄のねぇ奴だけど」
「ばか! 余計なことは言わなくていいの!」
「おま、馬鹿はどっちだ! 手に入れたばっかの大事なグッズ殴るんじゃねぇよ! 殴るなら俺を
殴れ!」
「じゃあ屈んでよ。お兄ちゃんおっきいから殴りにくいもん、顔」
「容赦ねぇなお前……」
 空雅さんが戻ってくるなり、愉快な兄妹のやりとりが展開された。その光景に僕は意外さを感じずにはいられなかった。しっかりしてて頭の良い兎束さんが、こんなふうにお兄さんを殴ったりするなんて。そんなことしそうにないのにな。
「……良い兄妹ですね、何か」
 横で月野さんが呟いた。
  
 確かにそれはそう思う。仲は良さそうだよな。
「私、ひとりっこなのでちょっと羨ましいです。楽しそうで」
 そう言う彼女は、静かに微笑んでいた。
「ああそうだ秋本君、買ってきたぜ」
 さすがというかなんというか、妹とのやりとりをかるーく受け流した空雅さんは(そのスキル、見習いたい)、思い出したように袋を手渡してくれた。本当に買ってきてくれたようだ。
「ありがとうございます。じゃあお金を……」
「いらねぇよ。特別に買ってきてやるって言ったろ? その代わり、これからも美海のこと頼むぜ」
「マジですか! じゃあ、はい。分かりました」
「はは! 『分かりました』ときたか。その言葉、責任持てよ?」
「……?」
「じゃあ、俺達は行くよ。こいつに服買ってやらなきゃだからな。……ああ、そうだ」
 空雅さんは、ジャケットから紙を一枚取り出すと、僕にくれた。
「それ、俺の連絡先。あとでメールくれ。面白い奴とは繋がっといて損はないってのが持論でね。ま、強制はしないけどな。良かったら、頼むぜ」
 じゃあな、と告げて、兎束兄妹は行ってしまった。空雅さんは、最後まで颯爽としていた。
  
 後には、僕と月野さんが残された。
「お兄さんから連絡先もらったんですね。私も、もらっちゃいました。兎束さんに」
「え、いつの間に?」
「秋本さんとお兄さんが話してる間です」
「マジか」
 兄妹ってのは、似るのかもしれないな。
「それであの、どうしますか?」
「うん?」
「こんなところで会うとは思ってなかったですし、予定よりまだだいぶ早いですけど」
「ああ、そうか」
 確かに、本来ならこの後駅で待ち合わせの予定だったのだから、時間も早ければ場所も想定と異なることになる。
  
 そもそも、とらメイトに連れていくと色々悪影響がありそうだったからこそこんな回りくどい手を使うことにしたというのに……僕のイメージ下落とか、お嬢様っぽい月野さんの人格形成への影響とか。それがなんたること。今僕たちがいるのはそのとらメイト前ではないか! つまり、計画は根本の根本からめちゃくちゃになっているということである。僕がここで買い物するつもりだったのは、先ほど空雅さんから本を受け取ったことで分かってしまっているだろうしな。
  
 こうなったらもう、全てを正直に言うしかあるまい。
「あの、ですね……」
 僕は事情を全て彼女に話した。
(#14へ続く)
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