那都葉が閉めたドアから視線を再びテーブルのほうへと戻すと、母さんが凪未ちゃんと琉未ちゃんにオレンジジュースを持ってきたところだった。凪未ちゃんは目の前に出されたオレンジジュースにすぐさま飛びつき、ストローで、ちうー、と美味しそうに飲んだ。
琉未ちゃんはというと、一度ちらりと杏子ちゃんのほうを見てから飲み始める。杏子ちゃんが頷いたのを見るに、「のんでいい?」と、視線で姉に確認をとったというところだろう。
「杏子ちゃんはあったかい紅茶でいい? それとも、オレンジジュースのほうが好きかな? さすがにコーヒーは、まだ飲めないわよねぇ」
双子が美味しそうにジュースを飲む姿に微笑みつつ、母さんが杏子ちゃんに視線を移した。
「あ、えっと……紅茶で。ありがとうございます」
尋ねられた杏子ちゃんは、なぜか一度僕を見てから、そう答える。
……? なんだろうな。一体。
「じゃあ準備するからちょっと待っててね。あ、ハルも飲む? 紅茶」
「ああ、うん。もらうよ」
少し気になりながらも、僕は母さんに頷いた。
あまり飲む機会はないが、母さんのいれてくれる紅茶は美味しい。飲めるときには飲むべきだからな。
なぜ飲む機会が少ないのかというと、それは、我が家では紅茶は、基本的にお客さんに出すものという扱いだからだ。こういう来客があった際には紅茶かコーヒーを出すというのが定番になっていて、そのために少し良い茶葉が買い置きしてある。
高級ゆえに、なかなか日常的には飲まないのだった。来客があったとき以外で考えると、よそからお菓子やケーキをもらったとき、出てくるくらいかな。
母さんがキッチンへ向かうと、僕は自分も椅子に座ることにした。杏子ちゃんたちがやってきてからというもの、何となく普段通りにリラックスすることもできず、ずっと所在なく立っていたのだが、紅茶を飲むとなれば腰を落ち着けたい。
いつもの僕の席には凪未ちゃんが座っていたので、その対面、いつもは父さんが座っている椅子に座る。
いつもと向いている方向が逆なうえに、目の前には見た目瓜二つの女児が並んでいて、なんだかすごく新鮮な光景だ。
「杏子ちゃんもずっと立ってないで座っていいよ?」
凪未ちゃんと琉未ちゃんの後ろで、世話をしてやりながら立っている杏子ちゃんに気付いて、我ながらどことなくぎこちなさを感じつつもそう呼びかけた。
ぽんぽん、と、いつもは母さんが座っている椅子を叩いて示してやる。自分の隣に女の子を呼ぶのは何となく恥ずかしくはあったが、もう空いている椅子がここしかないのだから仕方ない。
「あ……。は、はい。ありがとうございます」
杏子ちゃんはこんなことにも丁寧にお礼を言うと、遠慮がちにではあるがこちらにやってきた。
そしてまた、なぜか一度僕の顔を見てから、おずおずと椅子に座る。肩のあたりで切りそろえられた髪が揺れ、ふわっと何かの香りがこちらに届いた。
「……」
僕は少し、恥ずかしさが増した。
我ながら、こんな子に照れるというのも妙な話だとは思う。小さいころから知っている従兄妹を、しかもまだ小学生の子を、意識しすぎだ。
現に、こうして並んで座ったときの杏子ちゃんの頭は小柄な那都葉よりもさらに低い位置にあって、幼い感じがした。そう、本当に、まだまだ子どもなのだが……
「あの、はる、君……?」
あっ。
声にならない声が出た。
ついつい杏子ちゃんを見てしまっていた僕と、それが気になったのかこちらを向いた彼女との視線が合う。
杏子ちゃんは、照れたような表情を浮かべていた。
「あ、いや……」
咄嗟に僕は言葉を探す。
この焦りを悟らせてしまったら、僕は人としてなにか駄目になる。危ない人だと認知される。
そんな気がしたので、表情は極めて普通を装った。
そうして考えること一秒くらい。出てきたのは、
「えっと、やっぱ那都葉よりちっちゃいんだなと思って。身長、何センチ?」
そんな、しょうもない問いだった。
どうやら人間、咄嗟には、考えていたことと全然違うことは口にできないものらしいな。
那都葉よりも小さいと思っていたら、それが口に出てしまった。
「身長……あの、去年測ったときは、142センチでした。多分、それよりは少し、伸びてるかなって……伸びてると良いなって、思ってます」
「そ、そっか。那都葉よりも十センチくらい低いんだな」
唐突な質問でもきちんと答えてくれた杏子ちゃんを改めていい子だと思いつつ、僕はまた、思ったことをそのまま返す。
その内心では、なるほど、と納得していた。
……僕が彼女になぜかドキッとしてしまう理由。
それは、うっすら残る過去の記憶とのギャップのせいかもしれない。
僕のなかにある杏子ちゃんの記憶は、最後にじいちゃん家で見たとき、……おそらくは凪未ちゃんと琉未ちゃんが生まれて間もないあたりで止まっている。
その頃の杏子ちゃんは小学校に入るか入らないかくらい――今の凪未ちゃんや琉未ちゃんとそう変わらない女の子だった。
それが、ここ数年間会わないうちに、背も大きくなり、こんなに礼儀正しい子になった。
その成長ぶりに、多分僕は、戸惑っているのだ。
それでなくても、普通よりも大きく成長した感じがあるからな、杏子ちゃんは。気の遣い方とか、振る舞いとか、口調とかがあまりにも大人びている。
僕に対しても敬語なくらいだしな。
変わってないのは呼び方くらいか。
『はる君』。
さっき、そう呼んだもんな。
「そういえば、なっちゃんはどこに行ったんでしょう?」
「なっちゃん?」
杏子ちゃんは、急に思い出したようにリビングをきょろきょろしだした。
そんな彼女に、
なっちゃんなら、そこに……
と、先ほど凪未ちゃんが自分をそう呼んだことを思い出して言いかけてから、
「ああ、那都葉か」
僕はそれが、那都葉の呼び名だと気づいた。
そうだ、僕がはる君で那都葉がなっちゃん。杏子ちゃんはそう呼んでいた。
こう呼ぶのはおそらく、父さんや母さんが僕と那都葉のことを「ハル」、「ナツ」と呼ぶことに影響を受けたのだと思われる。
『シスコンボーイ』、『ブラコンガール」』のほうに影響を受けなくて心底良かった。
「那都葉なら、さっき拗ねて二階に行っちゃったよ。多分自分の部屋にいるんじゃないかな」
僕は杏子ちゃんの問いに、簡潔に答えた。
「拗ねて?」
すると、杏子ちゃんは不思議そうな顔になってしまう。それから、少し心配の色を浮かべた。
何に拗ねたのだろう。もしかして、自分が何かしたんじゃないか。
そう思ったような顔だな。
……まあ、したといえばしたんだが。
「杏子ちゃんが覚えてるかは分かんないけど、あいつ、昔から僕にべったりだったろ? 実は、それがまだ抜けてないんだ」
むしろ、歳を重ねて余計な知識が増えた分だけ悪化してるくらいだ。
とまでは言わなかったが、僕は簡単に説明してやる。
言いながら、少し恥ずかしくなってきたぜ。
杏子ちゃんはこんなに成長して立派に姉を務めているのに、那都葉は何も変わってないんだからな。
「まあでも、何も気にしないでくれ。那都葉は僕を杏子ちゃんたちにとられたとでも思ってるかもしれないが、それに杏子ちゃんたちが遠慮することはない。この三日間、何かあったら僕も協力するから言ってくれ」
僕はあえてそう告げた。元々よく周りを見て動くタイプみたいだからな。突然来たこともない家に預けられて大変だろうに、そこで過ごす間中、那都葉のわがままにまで気を遣ってたら疲れてしまう。
「他人の家だから完璧には無理だろうけど、なるべくリラックスして楽に過ごしてくれて良いから」
そうも告げると、
「ありがとう、ございます」
やはり丁寧に、杏子ちゃんはお礼を言ってくるのだった。
何か考えるような表情を浮かべながら。
……無理かなあ、気を遣わないでもらうのは。はは。
(#5へ続く)
―――――
この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。
コメント