姉ちゃんの処方箋

 意識を取り戻してすぐ、違和感に気づいた俺は、はあ、と、ため息をついた。

 目を開けると、「見知った天井」がそこにあった。手術室でよく見る、物々しい無影灯が、しかし光を放つことなく、こちらに向いている。体はベッドに拘束されていて動かせず、起き上がるどころか、身じろぎ一つできない。自分でこんなことができるはずもなく、また、するはずもなく……そもそも俺には、こんなところで眠りについた記憶もなかった。

 昨日は、……まあ色々あって、学校から帰った後、一目散に自分の部屋にこもって寝たはずだ。つまり、明らかに「誰かに連れてこられた」ということ。

 ……これだけ見ると、映画か何かのワンシーンのようだな。

 さしずめ俺は、悪の組織にさらわれてしまった、可哀想な一般人というところか。奴らの目的は、世界征服のための実験で、悲運にもその実験体として選ばれてしまった俺は、これから、無慈悲にも身体からだをいじくり回されてしまうのだ。

 これが主人公なら、色々あって助かるのだろうし、かませ犬であれば、そのまま死ぬのだろう。だがもちろんのこと、これは映画ではないし、俺は主人公でもかませ犬でもない。そして当然、ここは世界征服を企む悪の組織のアジトでもなかった。

 では、ここはどこなのか。その答えをお伝えする前に、そろそろこの拘束を解いてもらうことにしよう。

「おーい。起きたぞー」

 俺は、天井に仕掛けられているマイクに向かって、雑に呼びかけた。すると間もなくして、パタパタと、階段を降りてくるスリッパの音が聞こえてくる。

 どうせまた無駄に勢いよくドアを開けるんだろうな、と思っていたら、

 バァーンッ!

 と、無駄に勢いよくドアが開かれた。案の定である。

 首も動かせないため、ここからだと見えないが、「ヤツ」は今頃、両開きのドアを押し開けた勢いそのままに、白衣を翻しながら、無駄にかっこいい(と思っている)ポーズをキメているはずだ。部屋に入ってきたのに、すぐに話しかけてこないのがその証拠である。

「……気分はどうだ、我が弟よ」

 たっぷり十秒はあっただろうか。ようやくヤツが話しかけてきた。

 よわい三十を目前にして、何かをこじらせ続けている痛々しい大人。白衣が着たいという動機で製薬会社に就職し、自宅でも怪しげな薬品作りにいそしむ危険人物。

 我が姉である。

 ――というわけで、俺をここにさらってきた犯人が分かったところで、先ほどの答え合わせをしよう。改めてだが、ここは、悪の組織のアジトではない。この地下室こそ特殊だが、それを除けば、一般的な木造二階建てで、父親と母親、姉と弟が日常生活を送っている、平凡な建物である。

 すなわち、我が実家だ。

「……ふむ、『気分はどうだ』と聞いたのに、一向に答えるそぶりがない、か。無視しているわけでもなさそうだが、反応が遅い。ということは、少なくともあっちの薬は効いていそうだな」

 俺が脳内で答え合わせをしていると、姉が意味深な呟きを漏らした。そういえば、俺はなぜさっきから、声に出すでもなく、無言で状況描写と説明をし続けているのだろう。これではまるで、小説か何かのモノローグ。これのせいで、俺は確かに姉へのリアクションをとるのが遅れていた。

「……今回は、一体何を飲ませた?」

 俺は、目だけを動かして、ベッドの横へとやってきた姉に視線を向けた。

「ふっ」

 姉が、わざわざ「は行」三番目の音を声に出して、にやりと笑う。いちいち挙動が鬱陶しい。

「その説明は後だ。せっかく目覚めたのだから、効果を確認させてもらうぞ」

 そう言うと、姉は、ばっ、と身を翻し、ついでに白衣も翻して、ダッシュで部屋を出て行った。よくもまあ、スリッパでそんなスピードが出せるものだ。間もなく、階段を駆け上がる音が聞こえたかと思うと、しばらく間があって、駆け下りてくる音に変わる。

 やがてベッドの横へと戻ってきた姉の手には、茶碗があった。

「それは……?」

 俺は思わず尋ねていた。実のところ、尋ねずとも、それが何なのかは分かった。分かったのだが、だからこそ、「なぜ、今それがここに」と思わずにはいられなかったのだ。

 姉はドヤ顔で答えた。

「炊き込みご飯だ」

「炊き込み……ご飯……」

 ……俺の疑問は深まった。未だ両腕を拘束されているので、頭を抱えられないのがもどかしい。そんな俺をよそに、姉は自慢げに説明を続けた。

「それも、ただの炊き込みご飯ではないぞ、弟よ。三吉みよしのおじいちゃん家で収穫したばかりの新米に、うちの畑で採れたさつまいもを混ぜ込み、白石しらいしのおばあちゃん家のかまどで炊き上げた、オータム炊き込みご飯だ! もちろんお姉ちゃん特製! どうだ?」

「いや、どうだと言われても……」

 オータム炊き込みご飯、という響きがどうにも引っかかりはするものの、美味しそうではある。というか、その組み合わせで、その調理法なら、間違いなく美味しいと思う。この料理を紹介されたのが、こんな特殊シチュエーションではなく、普通に食卓の場であったならば、俺もこんなに困惑せずに済んだに違いない。あと、なんで炊き込みご飯なのかは知らんが、お隣さんに迷惑かけんな、と言いたい。

「つべこべ言わずに食って驚け!!」

「むぐぅ!!」

 いやお前が「どうだ?」って聞いてきたんだろ! というツッコミもさせてもらえぬまま、俺の口にスプーンがぶち込まれた。その途端、今までの困惑など置いてきぼりにしてしまう「秋」が口いっぱいに広がり、俺は目を見張る。

 ありきたりだが、それはまさしく、食材が織りなすハーモニーだった。甘さと塩味が、互いをどこまでも高め合うように引き立て合っている。ほくほくとしたさつまいもの食感と、弾力のある新米がかみ合い、無限の咀嚼を促すのだが、その度に甘い香りが鼻に抜け、さらなる食欲を刺激した。いつまでも噛んでいたい、と思う一方で、この美味しさをいち早く体に取り込もうともしてしまい、気づくと寂しくなった口は、さらなる一口を求めていた。

 ああ……。

 腹が、減った……!

 俺の物欲しそうな感情がが伝わったのだろう。姉が、からかうような笑みを浮かべる。

「美味いだろう? 次が欲しいだろう? 味もさることながら、脳内に、次から次へと味の描写が浮かび、それがさらなる渇望を呼び起こしたはずだ。ん? どうだ、我が弟よ。違うか?」

 くっ……!

 俺は悔しさに歯を食いしばった。高校生の弟をベッドに拘束し、嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべる変態アラサー女に、こんな気持ちにさせられるなんて!

「これが私の開発した新薬『秋の味覚』と、『孤独の美食グ●メ』の効果だ! 貴様の味覚は今、秋の味覚になっている! 五割増しで食べ物が美味しく感じられるようになる、この恐るべき新薬の快楽に溺れるがいい! フゥーハハハ!」

 高笑いする姉。自らが尊敬するマッドサイエンティスト風に笑うのに夢中で、『孤独の美食グ●メ』とやらの説明をすっかり忘れているようだが、おそらくそれが、このモノローグ状態の正体なのだろう。強制的に食レポさせる薬とは……確かに、食レポのせいで食欲は余計に刺激されたような気もするが、存在意義が全く分からん。あとネーミングセンスも分からん。どうして薬を作るやつは、意味分からんネーミングセンスをしているんだ。

 だが、何よりも分からんことがあったので、俺はそれを姉にぶつけた。

「……正直、薬の効果があるのか分からん。確かに美味かったけど、そのご飯、そもそも美味いだろうし」

 ――響いていた、姉の高笑いが止まった。

 沈黙する俺たち姉弟の間に、ぴゅ~っと、秋風が吹き込んだ気がした。

「……で、今回はなんでそんな薬を?」

 その後、ようやく拘束から解放された俺は、手首をさすりながら姉に尋ねた。

 姉は変人だが、何の理由もなくこんなことをする人間ではない。これまでも彼女の実験に付き合わされ、拘束されたことは何度かあったが、そのいずれにも理由があった。まあ、「ロマンがあるから」とか「夢が詰まってる」とか、ろくな理由じゃないことも多いので、今回もどうせしょーもない理由なんだろうと思っていた。

 だから、

「たとえ落ち込もうとも、美味いものを食べれば元気が出るだろうと思ってな。どうだ?」

 ……そんな理由を平然と言ってのける姉に、はっきり言って今回は、してやられた気がしたね。

「――変人変態アラサー女に、人を思いやる気持ちがあったなんてな」

「ふっ、なんだそれは。照れ隠しの憎まれ口か? 嬉しかったろう? 美人のお姉ちゃんに『あ~ん』してもらえて」

「スプーンをぶち込むことを『あ~ん』とは言わせねぇ。……が、」

 俺は、足早に出口に向かいつつ、捨て台詞のように言った。

「ありがとな、姉ちゃん……」

 そうして急ぎ、部屋から立ち去る。

 ……まあ、なんというか。

 まごうことなき照れ隠しだが、許して欲しい。

 ――ちなみにこの後、「たかが同級生に振られたところで、お前には姉ちゃんがいるではないか」などと言ってきやがったのでぶん殴った。

 なんで知ってんだこいつ。

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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。

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○クレジット

シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices

シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/sisters-prescription

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