トリビア【リハビリショートショート】

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     私がこれを君に伝えるのは、単にそういう風に気が向いたからに過ぎない。だから、君が選ばれたことそれ自体はなんの意味も持たないということを最初に伝えておこう。その上でこのきまぐれに付き合ってくれるというのであれば、これから私が言うことを素直に実行してみてほしい。いや、心配はいらない。君は指一本動かす必要はない。動かすのは頭だけでいい。

     君の誕生日を教えてほしい。

     いや、たった今伝えたばかりだが、君は指一本動かす必要はないのだから、すなわち口も動かす必要はないし声帯を震わせずともよい。いかんせん、人は無機物に対して言葉を発することに、少なからず抵抗を持つはずだ。これは、君にそんな負担をかけてするような話でもない。だから、ただ、思い浮かべるだけでいい。何年の何月何日に生まれたのだと、思い描いてくれればそれで構わない。

     よろしい。ああ、ありがとう。十分だ。
      
     さて。今、君の頭には、日付と共に、君の歩んできた歴史が浮かんでいる。
     そんなことはないと思うかもしれないが、日付とは単なる数字ではなく「時間」そのものだから、意識せずとも君は過去へと移動する。そういうものなのだ。いつ生まれ、どう思い、どう動き、どう愛し、愛されたか。長いようで短くも感じられる、君自身の時間、人生が脳の中に詰め込まれている。そして人はそれを頼りに、時間旅行をいつでもすることができる。無論、過去限定だが、それでもこれはなかなか素晴らしいことだ。そして、今回私が伝えたいのは、その件に関わる真実だ。ああ、勿体つけてこんなことを言うと少し緊張するだろうか。でも安心してほしい。「真実」という響きこそ大げさだが、知ったところで君の人生には些細な影響しか及ぼさない、まあ、雑学の一種だ。気楽に聞いてほしい。
      
     いや、実はね。
     その君の歴史、すなわち人生というのは、私が君にこの話を始めたその瞬間に、私が作り出したものだ。
      
     よし、これで私の気は済んだ。きまぐれに付き合ってくれてありがとう。また気が向いたら、君を話し相手に選ぶかもしれない。そのときはよろしく頼む。
     ああ、安心してくれ。ここで私がいなくなっても、君が消えることはない。物語とは、最終回がすなわち終わりではないのだから。

     

    あとがき



    どうも僕です。


    文章というものは鍛錬が必要なものでありまして、しばらく書くことをしないでいると途端に鈍っていくものです。筋力やなんかと全く同じ。


    てなわけで、「リハビリショートショート」と題しましてちょっとしたものを勢いで書いてみました。ほぼ何も練ってないので、話の系統が自然と僕の好きな「自己の存在を疑う系」になりました。


    本当は読んで面白いものを書くべきなのでしょうが、今回はその辺も全く考慮していないので面白さは未知数。書いていて楽しかったですし、僕は好きな感じに書けたと感じているので、面白いと感じた方は僕と感性が似ているんだと思ってください(笑)


    これから、もしかするとこういう短文をちょこちょこ書くかもしれません(書かない可能性も十分あります)。今回はショートショートというかたちにまとまりましたが、毎度毎度完成するとも限りませんので、その点はご了承ください。創作の手前、文章を書くという行為を単純に楽しむ遊びだと思っていただけると的確かと。


    それでは今日はこの辺で。
     

    【二次創作】少年の心

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      はじめに――注意事項



      この短い小説は、浜田省吾さんの名曲『少年の心』をもとにして、歌の世界観を僕、ふぁいんなりに文章にしたものです。人により歌の解釈は異なると思いますし、厳密に言うと僕の解釈もこの小説どおりではないのですが、あくまで「詞の内容の再現」を第一目標にして書いたものである点をご了承ください。なお、再現にあたり勝手にキャラクターの設定などを書きやすいように作っております。その点もご了承いただきたく思います。

       

      原曲



      YouTubeの公式チャンネルにてこの曲が公開されておりましたので貼っておきます。よろしければ、一度聴いてから小説のほうを読んでいただければと思います。




       

      二次創作『少年の心』



       錆びた外階段を上がり、ぼろいアパートの部屋のドアを開けたとき、真っ暗で寒いその部屋で何かが光ったような気がした。灯りを点けかけた手を止め、その方向へと目を凝らすと、やはり暗闇の中で一瞬何かの光が見えた。
       
       気のせいではなかった。おれは灯りのスイッチを押すと、部屋が明るくなるのを数秒待って中に入った。
       
       ほとんど何もない部屋をぼんやりとして頼りない白熱灯の光が照らす。すり切れ、色褪せた畳の上を歩き、部屋の真ん中にぽつんと置いてある低い木製のテーブルを横切って、光が点滅していたその場所へと向かう。そこは部屋の隅。あるのは、床にじかに置かれた電話だった。

      「留守電……? 誰だ、いったい」

       一応置いてはあるものの滅多に鳴ることも、また、こちらからかけることもない電話が、メッセージがあることを告げていた。親には番号を教えていないし、相手に心当たりがまったくない。間違い電話、ということもないだろう。わざわざこうしてメッセージを残しているのだから。
       
       ――一瞬過ぎった人の姿を頭を振って掻き消すと、おれはボタンを押した。
       
       キュルキュルとカセットテープが回り出し、やがて記録された音声を流し始める。

       聞こえてきたのは、あまりにも意外で、そして懐かしい声だった。

      「もしもし……健二? あの、明美です。で、電話番号間違ってないよね……? うーんと、――あ、あはは、こういうのあたし、苦手なんだよね。えっと……とにかく、いないなら大丈夫です。気にしないで。――あ、だったら伝言入れなくて良かったか。ごめんね、それじゃ」

       メッセージはそれで終わっていた。一分にも満たないメッセージだった。だが、おれは自分の心が波立つのを感じた。懐かしさからなのか、それとも、声に影を感じたからなのだろうか。あるいは、その両方なのかもしれない。
       
       仕事で溜まっていたはずの疲れも忘れて、おれは半ば衝動的に、履歴に残った電話番号へとかけ直していた。

      「――もしもし?」

       数回のコールの後、出たのはまさしく明美の声だった。間違えようがない。小さいころからずっと……高校までは、毎日のように聞いていた声なのだから。

      「おれだよ、健二だ。どうした、電話なんてよこして」

       長いこと話なんてしていなかったのに、口をついて出たのは至って自然なおれ自身の声だった。コールが鳴る間に感じていた緊張のようなもの、ぎこちなさは、明美のたった四文字の言葉で消えてしまったらしい。

      「健二!」

       電話の向こうで驚く声が響いた。その表情までおれには簡単に想像ができて、ついつい笑ってしまう。明美は全く変わっていないようだった。

      「まさかかけ直してくるとは思わなかった。気にしないでって言ったのに」

      「気にしないでって言われたら気になるだろ?」

      「うん……まあ、そうかもしれない。ごめんね、変な伝言残しちゃってさ」

      「別にいいさ。ちょっとびっくりしたけどな」

       まるで昔に戻ったかのような感覚がじわじわとおれのなかにこみ上げてきていた。学生だったあの頃の、馬鹿やってたあの頃の、楽しかった感覚だ。男友達以外でこんなに少しも気負うことなく話せる奴はこいつしかいなくて、それが心地よかった。
       
       そしてそれは、どうやら向こうも同じだったらしい。

      「なんか、こうやって話してると昔みたいで楽しいね。あの頃は、ほんとに楽しかった。ほんとに……」

       ちょうどおれが思っていたことをそのまま明美がそんなふうに言葉にした。それは本当に俺の思いそのものでもあって、だからこそ俺は、そこに闇が含まれていることに気付いた。

      「……お前、なんかあったのか?」

       すると明美は、少しの沈黙のあとで、やたらと声を張り上げて言った。

      「ねえ、今良いこと思いついた! ドライブしない? 高校のときみたいにさ、海まで。それで朝日を見るの」

       それに俺は顔をしかめる。声の音量が大きくてうるさかったのと、もうひとつの理由からだ。

      「急にうるせえな。それにおれ、もう運転は……」

       率直に文句を口にすると、

      「運転はあたしがする。だからお願い! ね?」

       それを遮るようにして、明美が強引に言った。

      「……仕方ないな」

       そんな強引さも昔のままで、だからおれも昔のまま、折れてやることにした。仕事後に海へのドライブ。しかも明日も仕事がある。正直きつかった。だが、今日ばかりはそうしたかったのだ。
       
       今すぐ迎えに行くという明美に住所を教え、電話を切ってから、おれはとにかく着替えぐらいはすることにした。まさかこの油まみれの作業着のままというわけにはいかない。上等な服なんてなかったが、数少ないもののなかから幾分かマシなのを選んだ。それから飯を食い、することもないのでぼーっとしていると、そのうちに部屋のドアがノックされた。

      「健二、あたし」

      「おう」

       すぐさま靴を履き、外に出る。すると数年ぶりの幼馴染の姿がそこにあった。久々に見た明美はほとんど変わっていなかったが、心なしか化粧は濃くなっている気がした。

      「うわ、あんたなんか匂うよ」

       人の顔を見るなり、明美は顔をしかめて鼻をつまんだ。

      「ほっとけ。こんなぼろいアパートに風呂なんてないんだからしょうがないだろ。仕事終わりに誘ったお前が悪い」

      「くさいなんて聞いてないよ」

      「聞かれなかったから言わなかった」

      「くそー。ま、いっか。そのうち慣れるでしょ」

      「お前、ほんと変わらないな。相変わらず雑というか適当というか……ま、そういうとこ嫌いじゃないけどな」

      「ありがと。さ、いこ。表に車停めてある」

       おれは明美に続いて鉄階段を下り、そのまま彼女の車に乗り込んだ。おれが助手席で明美が運転席というのは少し違和感だが、こればかりは仕方ない。ハンドルは彼女に任せて、俺は流れ出した外の景色に目をやった。
       
       そういえば車に乗るの自体が久しぶりなことに、そのとき気付いた。幸いだったのは意外にも穏やかな気持ちでいられたことだった。まるで、本当に時が過去に戻ったかのように。
        
       

       道中は比較的静かだった。カーラジオを流しながら、静かに夜の街を車は走った。そして、やがて目的地の海辺に着くと、通りのほとんどない道路にそのまま車を止めた。

      「人、誰もいないね」

      「ああ、まあ冬の海だからな。しかも夜の」

      「それもそっか」

       耳をすませば、波の音が聞こえた。それはどこか悲しくて、でも心を鎮めてくれるようでもあった。黙っているとその音に飲み込まれていくような気がして、でも、まだそのときではないような気がして、おれは口を開いた。

      「で、来たは良いけどどうする。しばらく海見て帰るか?」

       すると明美は、体をひねると、後部座席へ手を伸ばし、やがてその手に何かを持っておれに見せた。
       
       それは、ワインボトルだった。

      「高校生のときにはできなかった楽しみ方をしてみようと思って買ってきました! お互い大人になったことだし。ま、安物だけどね」

      「悪くない提案だとは思うが、飲んだらどうやって帰るんだ? 飲酒運転は見過ごせないぞ」

      「ここで寝て朝帰ればいいじゃん」

      「おれは明日も仕事なんだよ」

      「うそ! だって週末だよ? 普通休みじゃないの?」

      「仕事なもんは仕事なんだよ」

      「えー、でも飲みたーい。もう飲む気満々だったんだもん。飲みたい飲みたい!」

      「だだをこねるな! 大人になったんだろ? ……ったく、仕方ないな。明日の朝、仕事に間に合うようには帰るからな? 飲みすぎて泥酔すんなよ?」

      「さっすが健二! 話が分かるぅ!」

       こうして夜の海で酒盛りが始まった。お互いアルコールが入ると気分が高まり、より話が弾んだ。共通の話題である昔話に花が咲き、能天気に騒いでいた頃の自分たちを笑った。それはとても楽しくて、幸せな時間と言えた。
       
       ――だが、ボトルの中身が残り少なくなってきたあたりで、話題は「昔」から「今」になった。きっかけは、ふとした話題の切れ目、沈黙のなかで呟いた、酔った明美の一言だった。

      「……あたしさ、今日、彼氏にふられちゃってさ」

      「え?」

      「五年も付き合ってたんだよ? でも、終わりはあっけなかった。他に好きな人ができたんだ、って。実は一年くらい前からその子と付き合ってたって。そう、言われたの」

       その急な吐露は、おれに言っているのか虚空に呟いているのか分からなかったが、一度話し始めたら止まらなくなったかのように、明美は言葉を続けた。

      「あたしね、彼のこと、ほんとに好きで、結婚もしたいなと思ってた。というか、結婚するんだろうなって思ってたの。だってほら、もう二十五だし、五年も付き合ってたらそう思うでしょ?」

       その言葉は、次第に語気が強まっていくようだった。明美の感情が昂っていくのが感じ取れた。

      「でも……でも! そう思ってたのはあたしのほうだけだったみたいで、だから、あたし、簡単に捨てられて……そう、あたしは捨てられたの! 捨てられたのよ!!」

       ――そして。

      「うっ……ううっ……うわああああああああ…………!」

       やがてその昂りは涙となり、彼女の頬から流れ落ちた。おれはそんな彼女の泣きじゃくる声を、ただただ聞いていたのだった。
        
       

       目を開けると、すっかり朝になっていた。後部座席のシートに転がったワインボトルに朝日が反射している。
       
       あのあとおれは、明美が泣き止むまでただ傍にいた。泣き止んでからは、もう寝ようと声をかけ、お互いに座席のシートを倒して、波の音を聴きながら寄り添うようにして眠った。
       
       寝る前に、小さく明美が、「ありがとう」と言うのが聞こえた。そのときおれはほっとして、それで力が抜けて眠ったような気がする。こんなおれでもまだ、人から感謝されることがあるんだと思えた。何より、明美の役に立てる人間でいられたことが嬉しかった。もちろん、おれが犯した罪を考えれば手放しには喜べない。だが、それでも良かった。最低限友人でいられるなら、傍にいる資格があるなら、それで満足だった。
       
       おれは運転席のほうを見た。明美の顔が朝日に照らされていた。だが、まだ起きそうにはなかった。日が昇りつつあるということはそれなりの時間であるはずで、そろそろ起こして帰らなければ仕事に間に合わないかもしれない。でも、おれはそれをしなかった。
       
       明美の寝顔が、とても安らかだったからだ。少なくとも、昨日よりは心の痛みも和らいだのかもしれない。それならそれで良かったし、彼女が少しでも幸せになったのなら細かいことはどうでも良かった。
       
       おれは自分の胸に手を当てる。そして小さく首を振った。おれではだめなのだ。昔のおれならともかく、今の自分では彼女を幸せにすることはできないのだ。
       
       何しろおれは、この手で幼い命を奪ってしまったのだから。
       
       夫を病気で失った女性の手から、子どもまでもを奪ってしまったのだから。
       
       だからおれは、この先ずっとその罪を背負い、生きていく。それがおれの責任だった。

      「ん……」

       眠りから覚める小さな声が横から漏れた。再び運転席を見ると、明美が目を開けたところだった。

      「起きたか。ちょっと動いて眠気飛ばして、さっさと帰るぞ。ほんとに遅刻しちまう」

       そう告げて、おれは車を降りた。潮風は冷たかったが、その冷たさが寝起きの頭には心地よかった。
       
       寄せては返す波を見つめ、おれは海に感謝する。一晩だけでも昔に戻れて嬉しかった、と。そして振り返り、車から降りてきた明美に改めて告げた。

      「帰るぞ」


       

      最後に



      人との距離感は難しいものだと思います。心地いい距離感は人それぞれで、それぞれが幸せでいられる距離感でいることがベストだと思うんですよ、僕は。小説では、健二は暗い過去を持っているが故に明美と「友人」であることを選んでいますが、それはあくまで納得しやすい理由づけがしたかったからで、何も明確な理由がなくても、「この人とはこれ以上近づかないほうがお互い幸せ」だとなんとなく分かる場合もあると思います。そしておそらく曲としての『少年の心』は、そういうことを歌っているのではないかと僕は思うんですよね。つまり、付き合うとかではなくて、友達のほうがいいと分かっていて、でも少しそれが切ない、みたいな。


      この記事を通じて、初めてこの曲を知ったという方もいると思います。よろしければ、正直小説についてはどうでもいいので、皆様がこの曲をどう捉えたかを教えていただければと思います。


      それでは。

      迷ってへたれて抱きしめて #12

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         翌朝。
         
         アラームが鳴る前に目を覚ました僕は、両腕に違和感があることに気が付いた。
         
         それは、だるいような重いような。
         
         感覚があるようなないような。
         
         そんな、妙な感覚。
         
         試しに手を閉じたり開いたりしようとしてみるが、上手く動かすことができず、動かし方によっては痛みも走った。

        (ああ……そうか)

         そんな症状の正体に、徐々に覚醒を始めた僕の脳は気づく。
         
         過去にも、こんな経験をしたことが何度もあった。
         
         例えば、テスト勉強をしていて、途中でつい寝てしまったとき。
         
         あるいは、横になりながら本を読んでいて、やはり、いつの間にか寝てしまっていたとき。
         
         そんなとき、僕の腕はよくこんな状態になったものだ。
         
         つまり。
         
         意図せず寝てしまったときなど、「腕を体の下敷きにして寝てしまったとき」に、腕がこうなるのである。
         
         ちょうど、長時間正座していると脚の感覚がなくなってくるのと同じように、重みで腕の血流が滞って痺れたようになるのであった。

        (夜の間、ずっと動かなかったんだな。二人とも)

         現状を正確に理解したところで、僕は仰向けのまま、首だけを左右に動かして「腕の麻痺の原因」をそれぞれ見た。
         
         ――すー……すー……
         
         僕の両側の双子は、まるで鏡合わせのように全く同じ姿勢で、僕の腕を枕にしてすやすや眠っていた。
         
         両方とも、見たところ寝入ったときと変わらぬ様子で寝ており、特に布団が荒れた様子もない。
         
         意外にも、双子は両方とも寝相が非常に良いようだった。正直、琉未ちゃんはともかく、凪未ちゃんについては予想外である。
         
         凪未ちゃんは、起きているときと同じように、寝ている間も暴れるのではないかと思っていたんだけど。

         僕は意外なタイミングで、この双子の、容姿以外に似ているポイントを発見したのだった。
         
         ……さて。
         
         そんな考察をしている間にエンジンがかかったのか、脳が通常運転を始めたあたりで、僕は二度寝ではなく起きることを選択した。
         
         双子を起こさないように気を付けつつ、痺れて上手く動かない腕をなんとか引き抜くと、一気に血流が流れ出すじんわりとした感覚がやってきた。僕はしばしの間それに耐え、腕が普通に戻るのを待つ。
         
         血の流れを感じられなくなったところで何度か腕を動かして、問題がなくなったことを確認すると、そこで初めて時計を見た。
         
         ――八時五分、か。
         
         なんだかすごい早朝に目覚めたような気分でいたが、そこまで早く起きたわけではなかったようだ。そもそも九時には起きる気でいたから、一時間くらい早まっただけか。
         
         それならば、と僕は早々に着替えまで済ませてしまうことにした。
         
         Tシャツとズボンを脱ぎ、昨日のうちに決めておいた洋服に着替える。襟付きの薄いブルーのシャツにパーカー、そしてジーパン。久しぶりに月野さんに会うということで、一応持っている服の中から、自分なりにおしゃれな格好を考えたつもりだった。変じゃなくて、清潔感もあって、なおかつ気合を感じさせ過ぎないような格好を。
         
         だが、不安もあった。上手く服を組み合わせることができているかという点に、全く自信がない。ファッションについては人よりも疎い自覚があった。そのため以前にも、もっとファッションに興味を持っておけば良かったと思ったことがあったわけだが……
         
         結局、あれ以来何も進歩していないのでまた同じ後悔をすることになったわけだ。

         まあ、自業自得である。

        (空雅さんに聞いても駄目だったからな……)

         僕は内心で、昨日のことを思い出した。
         
         実は昨日、あまりにも自信がなかったので思い切って人に相談してみようと思い、僕は、僕の知る限り最もイケメンな男性である空雅さんに連絡してみていた。
         
         以前、デートスポット的なところについて相談して以来、何かあったらあの人に聞けばなんとかなるんじゃないかという思いが芽生えていたのだ(なお、あのときの情報は、残念ながらまだ活かせていない)。
         
         が、

        『服に関してはそれぞれの感じ方もあるし、何より着る本人に似合っているかが重要だと思うから、メール越しじゃ俺からは何とも言えないな。悪い』

         事情を話して相談するも、返ってきたのは、考えてみれば至極まっとうな、そんな答えだった。
         
         ――そりゃ、何の情報も与えずに『おしゃれな服のコーディネートを教えてください』なんていきなり聞いたってそう言われるに決まっているよな、と一夜経った今では思う。
         
         我ながら、必死過ぎて頭が回っていなかったのだ。
         
         ただ、そんな無茶ぶりに近いお願いに対しても、さすがは空雅さんと言うべきか、出来る限りのアドバイスをしてくれていた。
         
         それが、

        『言えることがあるとすれば、ファッションの基本中の基本は清潔感だ。清潔感のある格好をすれば、まず変に思われることはない。自分の感性を信じて、違和感のない色の組み合わせで、かつ清潔感のある服装を目指せ』

         だ。
         
         よって僕は今回、自分なりに清潔感のある服装を目指したのである。
         
         自分の感性を信じなきゃいけない時点で、センスに自信がなくて相談した身からするとベストな回答とは言えなかったのだが、とはいえ、あんな答えにくいざっくりとした質問に対して、「清潔感」というひとつの指標を与えてくれたことだけでもありがたいので文句は言えなかった。

        「今度こそ、ファッションの勉強をしておこう……」

         僕は服を着た自分を見下ろしながら、小さくつぶやいて誓ったのだった。



        (#13へ続く)

        ―――――

        この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。

        迷ってへたれて抱きしめて #11

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          「一安心したのだった、じゃないよお兄ちゃん」

           ――が、そんな心の安寧は、一秒も続かないうちに乱された。
           
           耳元で放たれた、心をざわつかせてくる低い囁きによって。
           
           ……なぜ心がざわついたのか。
           
           それは、考えていることを読まれたから。
           
           ……ではない。
           
           耳にかかった吐息とともに、別のものも浴びた気がしたからだ。
           
           それは、日常感じることはまずない気配。
           
           殺気、というやつだ。おそらくはな。

          「……な、那都葉?」

           僕は背中に冷たいものを感じながら、杏子ちゃんとは反対のほうの隣、声を発した主のほうへ顔を向けた。すると、まっすぐこちらを見据える、光を失ったような暗い瞳と目が合ってしまい、ぎくりとする。
           
           妹は、恐ろしく無表情だった。それは、一見して怒っていることが分かる顔であり、なぜなら、那都葉はデフォルトが笑顔みたいな奴だからだ。
           
           いつもにこにこしながら変なことをしでかす。それが我が妹の通常。よって、これは異常にして緊急の事態だった。
           
           そんな、燃えるような怒りと氷のような冷たさをその身に宿した僕の可愛い、もうとってもプリティーな妹は、先ほど僕に囁いたのと同じ低い声で、起伏なくゆっくりと告げた。

          「そんなふうに心の中で褒めても無駄だよお兄ちゃん。私、今、すっごい怒ってるからね」

           くっ……無駄だったか。

           というか当たり前のように読心してくるなこいつ。

          「最初は、ちょっと大事そうな話をしていたから我慢してたんだよ? でもね、後のはいけないよ。あんないちゃいちゃは、私、許しません」

          「い、いちゃいちゃってなあ、お前……」

           予想はしていたが、案の定な理由でお怒りになっていた妹に弁明すべく、僕は口を開く。
           
           だが、

          「『美味しい?』って聞かれて『すごく美味しいよ』って答えるのなんて、そんなの何だか、新婚さんみたいだよね? でもお兄ちゃん、別にその子と結婚してないよね? じゃあおかしいよね? あんなやりとりするのおかしいよね? 変だよね?」

           我が妹は言い訳のチャンスすら与えてはくれず、淡々と、僕を責めたてるように言葉を紡いでいった。最高潮に怒っているせいなのか、自己流のちょっとよく分からない理屈を並べてくる。
           
           新婚さんも確かにそういうやりとりはするだろうけど、別に新婚さんに限った話じゃないだろ、と思った。だって、結婚前のカップルとかだってやるだろうからな。

          「ふーん、そっかあ、カップルかあ。へぇ……、お兄ちゃんは、小学生のいとこを彼女にするつもりなのかな……?」

          「いやそうは言ってねぇよ! というかいい加減、そうやってしれっと思考を読むのをやめろ! 普通の人間はできないんだぞそんなこと」

          「え、妹なら誰でもできるよ? お兄ちゃんへの愛があればね」

          「んなわけあるかっ!」

           僕は暴走著しい妹を止めるべく、いよいよ声を大きめにツッコミを入れていくことにした。
           
           叫ぶように受け答えをしつつ、ちらりと横目で見ると、杏子ちゃんはもう何が何だか分からないといった困惑の表情を浮かべていた。
           
           一方、那都葉の前に座る母さんは、まあいつものことでしょと言わんばかりに、完全にスルーして双子の世話を焼いている。止める気はないらしい。
           
           つまり、やっぱり僕は、僕の力だけでこの妹をどうにかしなければならないということだった。
           
           しかし、依然として妹の怒りは続く。僕の反論など意に介さないと言わんばかりに、相変わらず淡々と言葉を続けていった。

          「そもそもお兄ちゃん、琉未ちゃんに「おにいちゃん」って呼ばせてたよね? あのときは、まさかあんな小さな子に怒られると思ってなかったから動揺してスルーしちゃったけど、あれも駄目だよね。だって、あの子はお兄ちゃんの妹じゃないもん。お兄ちゃんの妹は私だけなんだから」

           話題は今の出来事から過去の出来事に移行していた。怒っている間に思い出したらしい。これはまずい傾向だった。このままいくと、どんどん昔の話を掘り返されかねない。
           
           厄介なのは、それらの出来事がおそらく全部、那都葉が勝手に怒りを感じた出来事だということだった。
           
           すなわち、ほぼほぼ理不尽な怒りということである。それが始まると、正直とても面倒くさい。
           
           危機感を覚えた僕は、思い切って話題の方向を変えてみることにした。

          「な、なあ那都葉。ところでだな、僕の話聞いてたんだろ? お前はどうだ?」

          「見境なく誰にでもお兄ちゃんと呼ばせるなんてことは…………どうだって、何?」

           物は試しにやってみた話題逸らしだったが、果たしてそれは意外にも功を奏し、話を続けていた那都葉の注意が僕の質問へと向いた。
           
           普段ならこういうのはあっさり見抜かれてしまうものだが、今回は心底怒っていたのが逆に良かったのかもしれない。
           
           このチャンスを逃すわけにはいかなかった。僕は那都葉の性格上釣れてくれるだろうエサを交えて言葉を続ける。

          「だから、ついてきたがるだろう凪未ちゃんを、他の図書館利用者の迷惑にならない方法で楽しませる方法だよ。何か思いつかないか? もし何か案があれば、那都葉にも明日、一緒に来てもらおうと思うんだが」

          「案があれば……一緒に……」

           ――どうやら見事に食いついてくれたようだった。
           
           まあ、来るなと言ったところでこいつはついてきたのかもしれないが、非公認よりは公認してもらえたほうが良いというような思いも、きっと那都葉のなかにもあったのだろう。

          「……ちょっと考えてみても良い?」

           今日の怒りよりも明日堂々と一緒に行けるようになるほうを選んでくれたのか、那都葉の思考はそちらへ移った。
           
           とりあえず、これにて一件落着だな。普段は兄離れしてもらいたいと思っているが、たまにはあのブラコンっぷりを逆に利用するのも手だということか。
           
           さて、あとは僕自身も、明日どうするかを考えないと、だな……。



          (#12へ続く)

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          この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。

          迷ってへたれて抱きしめて #10

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            「……というわけで、明日、琉未ちゃんをこども図書館に連れて行こうと思うんだけど、大丈夫だよね?」

             夕食時。
             
             僕は隣に座る杏子ちゃんに、勝手に決めてしまった明日の予定について話をしていた。
             
             現状、双子姉妹の保護者みたいなポジションに立つ杏子ちゃんには、一応ちゃんと断りを入れておくべきだと思ったのだ。
             
             ちなみに琉未ちゃん本人には、勢いでなでてしまったあの後にきちんと話をして、了承を得ている。もっと喜んでくれるかなと思ったのだが、わずかに一度頷いただけだったのでちょっと拍子抜けしたけどな。

            「図書館ですか……うーん」

             ひととおり僕の話を聞いた杏子ちゃんは、おそらく何の問題もなく快諾してくれるだろうと思っていた僕の予想に反して、あまり芳しくない反応を示した。

            「あれ、何か問題ある?」
             
             不思議に思った僕は、今日のメイン、ハンバーグを口に運びつつ、――あ、このハンバーグ美味い――尋ねてみる。
             
             すると杏子ちゃんは、こう答えた。

            「いえ、あの、琉未はきっと喜ぶと思うので、それ自体には問題はないんですけど……ただ、琉未が行くってなったら、多分凪未も行きたがるだろうなあと思って」

            「ああ……なるほど」

             凪未ちゃんも行きたがる。
             
             その一言だけで、僕も、この計画がはらんでいる重大な問題について理解した。

            「確かに、あの凪未ちゃんに図書館みたいな静かな場所は向かないかもなあ……」

            「そう思います……」

             絶望感に似た思いに、二人して黙る僕と杏子ちゃん。
             
             視線は自然と、目の前に座る凪未ちゃんに向くが……

            「うまい! ハンバーグうまい!」

             食事の感想すら大声で言う凪未ちゃんに、やめておいたほうが良いのではないかという思いがより一層強まった。
             
             いや、元気なのはとても良いことなんだけどね。
             
             最初は静かにできたとしても、長くはもたない気しかしなかった。そもそも、凪未ちゃんは本に興味なさそうだしなあ。すぐ飽きてしまいそうだ。

             どうしたものかな……。
               
             すでに月野さんを誘ってしまっている手前(そして『お誘い嬉しいです』と言われてしまっている手前)、困ってしまった僕は、視線を凪未ちゃんに合わせたまま、とりあえずハンバーグを食べ進めることにした。
             
             もぐもぐ……何か良い案は……もぐもぐ……

            「……」

             要は、凪未ちゃんの気を引けそうなものが図書館の近くにでもあれば良いんだよな……もぐもぐ……

            「……えっと」

             もぐもぐ……まあ後で調べてみるかな……もぐもぐ……

            「……あの、はる君」

            「――えっ?」

             咀嚼とともに思考の世界にどんどん入っていた僕は、しかし呼び声によって意識を戻された。
               
             視線を凪未ちゃんから外し、呼ばれたほうへと向ける。

            「あ、何か良い案思いついた? 他の人に迷惑をかけずに凪未ちゃんも楽しませる方法」

             呼んだのは杏子ちゃんだったので、てっきり名案が浮かんだのかと思って尋ねるが、

            「あ……いや、そうじゃないんですけど……」

             どうやら違うらしかった。
             
             僕はわずかに首をかしげて、じゃあ何なのかと訴える。
             
             すると、何か言いにくいことを抱えているような数秒の間のあと、杏子ちゃんは僕から視線を外したまま、ちょっと恥ずかしそうに言った。

            「その……ハンバーグ、おいしいかな、って……。どう、ですか?」

             ――その瞬間、僕はまた、全てを理解した。
             
             あるいは、思い出した、と言ったほうが良いかもしれない。

             ……そう、このハンバーグ作りには、杏子ちゃんも関わっていたのだ。
             
             明日の予定について話さなければとばかり思っていてすっかり忘れていたぜ。
             
             そして、同時に気付く。
             
             女子の手料理をいただいた際に果たさなければならない男の義務を、僕がまだ果たしておらず、あろうことか、女子のほうから催促させてしまったということに。
             
             ゆえに、

            「あ、ご、ごめんね!」

             最初に口をついて出たのは謝罪だった。
             
             自らの不覚を反省する謝罪だ。
             
             そして、遅ればせながらもきちんと伝える。

            「美味しいよ、すごく。お世辞でも何でもなく、純粋に美味しいと思う」

             聞かれてから答えるかたちになってしまったということで、嘘に聞こえるといけないと思い、念押ししてそう言った。

             その結果、

            「……」

             言葉はなかったが、恥ずかしがりながらも嬉しそうにはにかむ杏子ちゃんが見られたので、僕は一安心したのだった。



            (#11へ続く)

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            迷ってへたれて抱きしめて #9

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              「じゃあ、あの、私、自分の部屋に戻るね」

               その後、何となく部屋に流れる気まずい空気に耐えかねたのか、あの那都葉が自ら進んで僕の部屋から出ていった。
               
               こんなことは僕の記憶にある限り初めての出来事だが、そのことを驚いたり喜んだりする心の余裕はすでに僕にはなく、

              「あ、ああ」

               短くそう返答することしかできなかった。
               
               そして僕は、琉未ちゃんと二人、部屋に残されたわけだが……

              「……」

               さっきの今で二人きりにされると、何を話せばいいのか分からなくて言葉に困った。
               
               琉未ちゃんも、すっかり元の調子に戻ってしまい、俯いてもじもじしている。
               
               ああやって僕を叱ったのは、よっぽど勇気を振り絞っての行動だったのかもしれない。
               
               ……そうだとすれば、本当にあの瞬間は貴重だったことになるな。
               
               変態性を見せない真面目な那都葉と、年上の人に説教する琉未ちゃん。
               
               もう二度と見られないかもしれないぞ、あれは。

              「ん……?」

               などと、しゃべることを放棄して僕が思考にふけっていると、琉未ちゃんが動きを見せた。
               
               肩からずっとかけっぱなしだった凪未ちゃんとおそろいの鞄から、何かを取り出したのだ。
               
               それは、手のひらに収まるサイズの文庫本だった。もちろん、この場合の手のひらは琉未ちゃんのではなく、僕のである。
               
               タイトルから察するに、それは、僕も昔読んだことがあるような児童向けの小説のようだった。
               
               ――だからこそ驚く。

              「え、琉未ちゃん、字、読めるの?」

               その本が、子ども向けとはいえ、小学校高学年くらいの子が読むような本だと分かったからだ。
               
               五歳児にはまだ到底理解できる内容だとは思えないし、そもそも小学校にも上がっていない子どもには読めないだろうと思えた。何しろ、ひらがなどころか漢字も含まれているだろう本なのだ。
               
               だが、琉未ちゃんは僕の問いに、あっさり頷いた。
               
               どうやら、読めてしまうらしい。
               
               覗き込んでみると、なるほど、ルビのない漢字にも手書きできちんとルビが振ってあった。おそらくおばさんが手作業で書いたのだろうが、たとえそうだとしても、やはり驚きである。
               
               なぜなら、

              「面白い?」

               そう尋ねてみると、それにも頷いたからだった。
               
               つまり、琉未ちゃんはきちんと物語を楽しんでいるのだ。通常、十一、二歳の子が楽しむような本を、五歳で。
               
               あまり質問をして邪魔をしては悪いので、しばらく黙って見ていたのだが、琉未ちゃんは黙々と、そしてすらすらと、本を読み進めているようだった。
               
               僕は単純に感心してしまう。
               
               と、感心ついでに、そういえば琉未ちゃんが、床に座って読書をしていることに思い至る。

              「……床は固くない? なんなら、こっち来る?」

               自分は柔らかいベッドに腰掛けているくせに小さな子を床に座らせているのもどうかと思ったので、試しにそう呼びかけてみると、



               とことことこ。ぽふっ。


               
               琉未ちゃんは無言で僕の脚の間に座って、再び読書を始めた。
               
               ……なぜあえてそこに座ったのかは分からない。
               
               が、琉未ちゃんがそこに収まった瞬間、なんというか少しだけ、きゅんとした。
               
               ああ、この子可愛いぞと思ってしまったのである。
               
               心をなかなか開かない子に気をゆるしてもらえた喜びが体を走ったとでも言い換えられるかもしれない。
               
               要は、僕は嬉しかった。懐いてもらえたような気がして。
               
               琉未ちゃんは、まるで人形のように、じっと止まったまま静かに本を読み続けていた。動くのは、ページをめくるときの手くらいだ。
               
               そんなわけで、僕も黙って琉未ちゃんの椅子役に徹しつつ、手持無沙汰なので携帯でネットの記事などを読んで過ごした。誰も何もしゃべらない、無音の時間が続いていく。だがそれが、何となく心地よかった。
               
               それが数十分ほど続いた頃……。
               
               ネットの記事にも飽きた僕は、ぼんやりと琉未ちゃんを見ていて、ふとあることを思いついた。
               
               急なことなので都合がつくかは分からなかったのだが、ものは試しにメールを作ってみることにする。
               
               相手は月野さん。
               
               それこそ、以前出かけたとき以来の連絡になるので少し緊張したが、今回は伝えたい内容がはっきりしているということもあってか、メールの本文はすぐに浮かんだ。
                


              『お久しぶりです。唐突なのですが、明日の予定は開いていますか? 実は、前に行ったこども図書館にまた行きたいなと思っているのですが、良ければ一緒に行きませんか』



               あまり長々とした文章になっては読むのも大変だろうと思い、短く、要点だけをまとめて送信ボタンを押す。
               
               僕が思いついたのは、琉未ちゃんをこども図書館に連れていくことだった。これだけ本が好きなら、きっと喜んでもらえるのではないかと思ったのだ。
               
               特に琉未ちゃんは、凪未ちゃんと違って、この家にいるとなかなかリラックスできなさそうだからな。外に出るのは多分良いことだと思う。
               
               外に出て、好きな本に囲まれた環境へと連れて行ってやれば、人見知りの琉未ちゃんにもきっと楽しんでもらえるに違いない。
               
               月野さんからの返答はとても速かった。
                


              『お誘い嬉しいです。予定は大丈夫なので、明日、楽しみにしています。こども図書館は九時から開いていますが、何時から向かいますか。私は何時でも大丈夫です』



               月野さんらしい、落ち着きと上品さを感じさせる文章だった。まあ、そう感じるのは月野さんのあの育ちの良さそうな美少女っぷりを知っているからかもしれないが、それはともかくとして、大丈夫だったようなので嬉しく思う。
               
               月野さんは司書を目指していると言っていた。それに、よくあの図書館に行っているとのことだったから、あの図書館にある本についても詳しいだろう。そんな彼女なら、きっと琉未ちゃんの良い相手役になってくれると僕は踏んでいた。だからこそ呼んでみたのだ。
               
               僕は早速、お礼とともに時間の指定をして返信した。了承のメールはまたもやすぐに返ってきて、これにて明日の予定が確定する。
               
               十一時にこども図書館。
               
               ……予定が明確になった途端、琉未ちゃんのための企画とはいえ、なんだか僕自身も少しわくわくしてきたな。

              「琉未ちゃん、明日は図書館に行くぞ!」

               ついついテンションが上がった僕が、那都葉にたまにやってやる癖で琉未ちゃんの頭をなでると、

              「ひゃあっ」

               急なことにびっくりしたのか、琉未ちゃんは小さく声を挙げたのだった。
               
               ――これは僕が悪いな。今まで沈黙が続いていたところを、急に声を出して、しかもいきなりなでたのだから。



              (#10へ続く)

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              迷ってへたれて抱きしめて #8

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                「――で、ところで那都葉、お前この部屋で何やってたんだ」

                 ため息も一息には変わりなく、文字通り一息ついた僕は、思い出して那都葉に尋ねた。
                 
                 すると平然とした様子で、

                「何って……お兄ちゃんのスメルを堪能してたよ?」

                 そう返してきたのでチョップした。

                「いたっ! ひ、ひどいよお兄ちゃん。正直に答えたのになんでチョップするの?」

                「お前が正直すぎるからだ。欲望に対してな」

                「私だからね!」

                「威張るな」

                「いたっ!」

                 全く反省というものが見られないのでもう一度お仕置きしてやる。
                 
                 少しだけいつもより力をこめたからか、那都葉は頭を両手で押さえ、座ったまま体を丸めて呻いた。
                 
                 ――と、その頭に、そっと小さな手が添えられた。

                「え……?」

                 那都葉は驚いたように少しだけ顔を上げた。
                 
                 ……いや、驚いたのは那都葉だけではない。僕もだ。
                 
                 行為の主は、琉未ちゃんだった。
                 
                 まさか、人見知りで引っ込み思案なこの子が、自らそんなことをするなんて……!
                 
                 それは、「意外」という一言に尽きる出来事であった。

                「おねえちゃん……あたま、だいじょうぶ……?」

                 琉未ちゃんは心配そうな顔を浮かべて那都葉の頭をさすった。
                 
                 ――一応述べておくと、この「頭大丈夫?」という琉未ちゃんの発言は単に殴られた頭を心配しただけであって、那都葉の頭の中身について言及したわけではない。……と、思う。
                 
                 とにかく僕が見る限りでは、他意のない、純粋な気遣いに満ちた瞳が那都葉に向けられているように思えた。
                 
                 ……まあ、幼女の直感で那都葉が変な奴だと気づき、気遣ったという線もなくはないが。

                「え、あ、えっと……う、うん。大丈夫、だけど……」

                 穢れのない瞳で見つめられた那都葉は、目に見えて動揺しているようだった。
                 
                 それは言うなれば、『あまりにも経験のない対応をされて、どうしたらいいか分からない様子』だと形容するのが的確な気がする。そして、そうなってしまうのは無理もないことだった。
                 
                 何しろ、それは本当に経験したことのないリアクションだろうからな。
                 
                 というのも、僕と那都葉のやりとりを見た人間の反応というのは限られていて、大抵、次に挙げるどちらかの反応になるものなのだ。
                 
                 ひとつは、那都葉の変態ブラコンぶりにびっくりして何も言えなくなるパターン。
                 
                 これは、那都葉の見た目と行動とのギャップに言葉を失うタイプである。
                 
                 那都葉というやつは、見た目に限って言えば、身内の僕から見ても清楚系美少女だと言わざるを得ないルックスをしている。だから、その見た目から勝手に中身を想像していた人は、その実態に呆然とするのだ。
                 
                 もうひとつは、びっくりを通り過ぎて面白くなってしまい、那都葉の変態性を楽しみだすパターンだった。
                 
                 当事者の僕としては、将来が心配で楽しんではいられないのだが、第三者的には、こんな奴はそうはいないし自分には害がないので見ていて面白いらしい。
                 
                 桜とかはこのタイプだな。
                 
                 実はこのふたつには共通性があって、それは、いずれにしても「那都葉の変態性に衝撃を受ける」ということだった。
                 
                 つまりそれは秋本那都葉という人間と接するとき、その変態性は避けて通れず、また無視もできないものだということ。
                 
                 もっと噛み砕いて言えば、那都葉という人物を見るとき、人は皆――この僕も、多分父さんや母さんも含めて――「ブラコン妹」という属性を前提として見るのが普通だということだった。
                 
                 だから今回のように、その「変態ブラコン」という那都葉最大の特徴をスルーして体の心配をされたのは、きっと那都葉にとって初めてのこと。
                 
                 戸惑うのも道理なのだった。
                 
                 僕自身、驚いているしな。

                「よかった……!」

                 那都葉の返答を聞いた琉未ちゃんは、ほっと安心したように呟いた。この家に来て初めての笑顔を見せてまで、那都葉が無事だったことを本当に喜んでいるようだ。

                 と、思いきや今度はその顔が真剣なものに変わって僕のほうに向いた。
                 
                 僕と目が合うと、

                「あ、あう……」

                 ちょっとだけ気弱な表情になったが、それでも意を決したように、琉未ちゃんは僕に言った。

                「あ、あのね、どんなことがあっても、人はたたいちゃだめだって、お母さん言ってたよ。なるべくたたかないで、話しあうのが良い子なんだって。だから、その……おにいちゃん。おねえちゃんに、あやまったほうがいいと、思い、ます……」

                 徐々に声は小さくなっていったし、視線も僕から外れて、最後にはまた俯いてしまったものの、琉未ちゃんが言ったことは、紛れもなく僕への説教だった。

                「あー……えっと……」

                 今度は僕が上手くしゃべれなくなる番だった。
                 
                 なるほど、あの純粋な瞳で、真剣な顔で訴えかけられると、それはもうダイレクトに心に届いてしまって、言葉が出なくなるらしい。
                 
                 しかも、言っていることは間違いなく正しいことなのだ。
                 
                 おばさん、テキトーそうに見えて良い教育してるんだなあ……。
                 
                 こうなってしまうと、僕がとらなければならない行動はひとつだった。

                「那都葉」

                 僕は、何となく気まずそうな顔をしている我が妹を見た。
                 
                 多分僕も似たような表情をしていると思う。だが、琉未ちゃんの将来を思えば、ここできちんと正しい姿を見せておかねばならないだろう。

                「頭、殴っちゃってごめんな。あと、踏んじゃって、いや、踏ませちゃって……? えっと、うん。とりあえず色々ごめん」

                「う、うん……大丈夫だよ、お兄ちゃん。平気だから。私も色々ごめんね」

                 僕達は互いに謝りあった。今回ばかりは那都葉も全くふざけるそぶりはなく、真面目に応じる。
                 
                 正直、非常にレアな体験をしたような気がした。



                (#9へ続く)

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                この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。

                迷ってへたれて抱きしめて #7

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                   階段を上がりきると、すぐ正面に僕の部屋はある。
                   
                   僕は、万一琉未ちゃんが階段から落ちたりすることのないように、彼女を先に進ませ、後ろからついていく形で二階へと向かった。

                   琉未ちゃんは、ゆっくりと、でも一段一段確実に上がっていった。心配したようなふらつきもなく、五歳にもなると、意外と足取りはしっかりするんだなと僕は感じる。
                   
                   凪未ちゃんの『もうごさい』という発言も、あながち的外れではないのかもしれないな。結構一人でも色々できちゃうみたいだ。

                  「よし、着いたぞ」

                   最後の段を上がりきったところで、僕はそう声をかけ、ドアに手をかけた。

                  「さあ、琉未ちゃんを僕の部屋にご招待だ」

                   そして、ドアを引き、中に彼女を招き入れようとしたのだが……

                  「――あ、おにい……」

                   がちゃん。
                   
                   すぐ閉めた。
                   
                   いや、何というか、気が付いたら体がそう動いていた感じだ。純粋無垢な琉未ちゃんをあの純粋な変態から護らなければならないと、頭で考えるよりも先に体が判断したのかもしれない。
                   
                   琉未ちゃんを見ると、わずかに首をかしげて不思議そうにこちらを見ていた。変に思われたな。まあ、うん。思うよな、変に。
                   
                   僕は、分かってもらえるとは思わなかったが、一応説明しておくことにした。

                  「えーっと、ごめんな。今、ちょっとな、中に、普通じゃないお姉ちゃんがいてな。うーんと……」

                   五歳児にも伝わるように言葉を選びつつ、話す内容を考えながら口にする。
                   
                   つまり何を言いたいのか。何を言わなければならないのか。何を伝えておくべきなのか。
                   
                   考えて、僕はたったひとつ、こう告げた。

                  「……とにかく、びっくりしないでほしい。さすがにあいつも、本気で君に危害を加えたりはしないはずだから」

                   そう、いくら那都葉でも、大丈夫なはずだった。
                   
                   というか、もし何かしようとするなら今回ばかりはぶん殴ってでも止めてやる。兄としてな。
                   
                   僕は再びドアを開けた。

                  「……何やってんだお前」

                   瞬間、僕は眉をひそめた。それは、視界に入ってきた妹の姿が理解の範疇を超えていたからに他ならない。
                   
                   我が妹はなぜか床に寝そべっていた。仰向けで。
                   
                   感心するくらいにいつもいつも、意表を突いてくるなこいつは。

                  「たまにはお兄ちゃんを下から眺めたいなと思って寝ています」
                   
                   那都葉は僕の足元から、問いに答えた。

                  「お前のほうがちっちゃいんだからいつも下から見てるだろうが」

                  「それとはまた違うよお兄ちゃん。この角度のほうが見下ろされてる感が強いもん。私、楽しい気分になってきました」

                  「……。どうでもいいけど、そんなとこに寝てると踏むぞ」

                  「ふふふ、それは願ったり叶ったり」

                  「お前マジで何言ってんだ」

                   この妹がおかしいのはいつものことだが、若干いつもよりさらにおかしくなっている感じがして僕は頭を抱えた。
                   
                   本気で踏んでやろうかとも思ったのだが、こいつなら本当に喜ぶんじゃないかという不安からそれはできない。
                   
                   ――と、そこまで考えて僕は思いついた。
                   
                   僕は踏まずに、那都葉を懲らしめる方法を。

                  「……そんなに踏まれたいなら踏んでやろう」

                  「え。ほ、ほんとに……?」

                  「おりゃ!」

                   僕は掛け声とともに、那都葉めがけて容赦なく琉未ちゃんを投下した。まだ部屋の外で待機していた琉未ちゃんを持ち上げ、琉未ちゃんに那都葉を踏ませたのだ。

                  「ぐええ!」

                   那都葉は、女子が決して発してはならない声を発した。どうやら、琉未ちゃんの小さなあんよがみぞおちに決まったらしい。

                  「けほっ! けほけほっ!」

                   琉未ちゃんをどけるなり、横になったまま背中を丸めて咳き込んだ。
                   
                   しかしそれをあえてスルーし、僕は琉未ちゃんのほうを気遣う。

                  「ごめんな琉未ちゃん、変なことさせて」

                   那都葉とは目も合わせずに、琉未ちゃんの頭をなでてやった。

                  「でもこれで、少しは浄化されてくれると良いんだけどな、琉未ちゃんの無垢さで」

                   そんなことを、あえて少し大きめの声で言う。

                   なでられている琉未ちゃんはといえば、那都葉のほうにちらちらと目をやりながら、困ったような顔を浮かべていた。
                   
                   良いのかな……、と、そんなことを思っていそうな表情だ。
                   
                   僕は、そんな琉未ちゃんのために、無視するのをやめることにする。五歳児に変な気を遣わせるのも悪いからな。
                   
                   那都葉は少し落ち着いてきていた。

                  「少しはまともになったか?」

                   僕は床に寝そべっている妹を立たせて、ベッドに座らせてから声をかけた。
                   
                   那都葉はまだ若干苦しそうにしながら、顔を上げて僕を見た。

                  「ま……まさか本当に踏まれるとは思わなかったよ、お兄ちゃん。けほっ……」

                   その発言から僕は、妹が本気でなかったことを知り、内心で安心する。どうやらまだこいつにも、まともな部分が残っていたらしい。
                   
                   これを機に言動を普通な方向へと修正すべく、腕を組んで少し威圧的な態度をとりながら忠告した。

                  「僕だってやるときはやるんだ。これに懲りたら、むやみに変なことは言わないほうが良いぞ?」

                   だが、次の瞬間、僕は那都葉が那都葉であることを知るのだった。

                  「けほっ……で、でも放置プレイにはドキドキしたから……これはこれでありです」

                   どうやらやっぱり僕の妹は、すでに手遅れだったようである。

                  「本当にしょうがない奴だな……」

                   僕はため息をひとつつきながら、琉未ちゃんがこいつの影響を受けないことを本気で祈るのだった。



                  (#8へ続く)

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                  迷ってへたれて抱きしめて #6

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                    「とりあえず、椅子から降りような。危ないから」

                     凪未ちゃんの目的が分かった僕は、ひとまず凪未ちゃんの両脇を持って少し持ち上げ、床へと降ろしてやった。なかなか重かったのだが、そこは男子のプライドで平静を装う。
                     
                     それと同時に、脚の間から凪未ちゃんがいなくなったことで身動きがとりやすくなった僕は立ち上がった。

                     いざ、このアクティブな幼女と遊ぶことにする。
                     
                     ……とはいえ、五歳児が何をして遊ぶのか分からなかったので素直に尋ねてみることにした。

                    「何して遊ぶ?」

                     すると凪未ちゃんは、僕の問いに答える代わりに、椅子の上に置きっぱなしにしていた自分の鞄から何かを取り出した。

                     その何かは、四角くてピンク色をしており、キラキラな装飾が施され、中央は大きなハート形の鏡になっている。具体的に何なのかは分からなかったが、女の子向けのおもちゃであることは理解できた。ただ、五歳児の小さな手には少々大きく見える。

                     凪未ちゃんが横についているスイッチを入れると、シャラランラン、と起動音なのか音声が流れ、キャラクターの声らしいものが続いた。



                      『ハピネスキャッチレスキュート!』



                     それで全てが理解できた。あれは十中八九、大人気アニメ『レスキュート』の変身アイテムだろう。
                     
                     『レスキュート』とは、僕が子どもの頃から日曜の朝にやっていた、魔法少女的女の子たちが活躍するアニメである。昔は那都葉が見ているのにつられて一緒になって見ていたが、最近は見ていない。

                     ただ、その人気はすさまじいらしく、近年は大きいお友達、つまり大人のファンも多くいるらしかった。そのおかげもあってかシリーズ化しているようで、僕が見ていたときは『ふたりはレスキュート』だったが、さっきの台詞からして、今は『ハピネスキャッチレスキュート』なんだな。
                     
                     凪未ちゃんはその『レスキュート』の変身アイテムに、何やらカードを差し込むと、

                    「レスキュート! くるくるミラーチェンジ!」

                     そう叫んでくるりと一回転した。手にしている変身アイテムからは音楽が流れ、そして、止む。
                     
                     推測だが、どうやら変身したらしいな、凪未ちゃんは。

                    「出たわね、怪人おにいちゃん!」

                     そして有無を言わさず、僕は怪人にされた。
                     
                     すなわちこれは、『レスキュートごっこ』をやれってことだな。

                    「ふ……ふははは! 出たなレスキュート!」

                     とりあえず僕は悪役っぽい台詞を吐いて凪未ちゃんの前に立ちふさがった。

                    「みんなのしあわせを返しなさい!」

                     凪未ちゃんは身振り手振りと共にそんなことを言って僕に立ち向かってきた。この幼女、ノリノリである。

                     そんな姿に内心微笑ましさを覚えつつ、怪人のふりをすることに若干の恥ずかしさを感じながら、僕は凪未ちゃんの攻撃に応じた。
                     
                     パンチとキックをそのちっこくて短い手足で繰り出してくる凪未ちゃん。
                     
                     当然僕としては反撃するわけにはいかないものの、案外当たり所によっては痛いのでちゃんと防御をする。
                     
                     五歳児は常に全力、というより、加減というものを知らないので、無防備でいると結構危険だった。
                     
                     事実、

                    「とおーっ!」

                     そんな掛け声とともに浴びせられたキックは僕のすねを直撃。

                    「いたっ!」

                     思わず素の声が出てしまう程度にはダメージを受けた。
                     
                     ――そうして僕の体に地味にダメージが蓄積されてきた頃……

                    「とどめよ!」

                     驚異的な体力で攻撃を繰り出し続けてきた凪未ちゃんが、攻撃の終わりを宣言した。すなわち、必殺技を出してくる合図だ。
                     
                     凪未ちゃんは変身したときのようにくるくると回ると、手を突き出すようなポーズをとって叫んだ。

                    「ウルトラスーパーなっちゃんアターック!」

                     ――レスキュート関係ねぇ!

                    「う……ぐ、ぐわあああああ!」

                     僕は内心つっこんでしまいつつ、戸惑いと共にやられたのだった。
                     
                     どこまでも自由だね、凪未ちゃん……。
                      


                     レスキュートごっこの後も、凪未ちゃんは疲れを知らなかった。

                    「おにいちゃんはなっちゃんにやられたから、なっちゃんの家来ね!」

                     そんな、おそらく本家レスキュートにはないだろう「家来システム」を発動し、僕に色々なことを命令してきたのだ。
                     
                     特にお気に入りだったのは、肩車。
                     
                     どうやら、自分の目線が高くなるのが楽しかったらしい。

                    「いけいけー!」

                     僕の頭をぺしぺし叩きながら、頭上ではしゃいでいた。僕の身長と凪未ちゃんの座高を合わせると、普段の凪未ちゃんの目線よりも倍くらい高くなっているはずなんだが、怖がるそぶりが全くないのはさすがだった。
                     
                     むしろ、ひやひやしていたのは僕のほうである。
                     
                     何しろ、慣れていないのでただでさえバランスがとりにくいのに、その上にいる張本人が暴れるものだから、結構ふらふらしたのだ。

                     凪未ちゃんに怪我をさせやしないかと恐ろしかったぜ。
                     
                     ……だが、そんな無限にも思えた凪未ちゃんの体力も、やがて、尽きるときが来た。
                     
                     それは、遊び始めて四時間が経過し、日も暮れた頃。
                     
                     すでに近年稀に見る疲労困憊ぶりを見せていた僕が、凪未ちゃんに頼み込んで休憩をもらっている間の出来事だった。

                    「あら?」

                     とっくに買い物から帰ってきていた母さんがそれに気づいた。

                    「凪未ちゃん、寝ちゃってるわよ」

                    「え?」

                     言われて、飲んでいた麦茶を置き、凪未ちゃんのいるソファーのほうを見ると、

                    「ほんとだ」

                     さっきまで、持参したおもちゃを使ってまだまだ元気に遊んでいたはずの凪未ちゃんは、確かに眠ってしまっていた。ソファーをベッド、レスキュートの変身アイテムを枕のようにして静かに寝息を立てている。あの枕、寝心地悪そうだな。

                    「ハルに遊んでもらって満足したんじゃない?」

                     寝顔を眺めながら微笑みつつ言う母さんに、

                    「……あれで満足してもらえなかったら身がもたないよ」

                     僕は本心からそう答えながら、頭をかくのだった。
                     
                     さて、そんなわけで、我が家に静かな夕方がやってきた。

                    「じゃあそろそろ夕飯の支度でもしようかな」

                     母さんはそう言ってキッチンに向かい、

                    「あっ、お手伝いを……!」

                     夕飯の準備を手伝うと約束していた杏子ちゃんが、あわててそれについていく。

                    「何を作るんですか?」

                    「今日はね、ハンバーグにしたわ」

                     そんな会話を耳にしながら、僕はさすがに疲れたので、一度二階に避難することにした。
                     
                     麦茶のコップをさげて、リビングを出ようとドアに手をかける。
                     
                     すると、

                    「ん?」

                     ふと、ズボンを引っ張られる感覚がした。

                    「琉未ちゃん……?」

                     それは、今の今まで椅子でじっとしていた琉未ちゃんだった。俯いているので表情は見えないが、確かに僕の服をつかんでいる。
                     
                     僕は、この子が突然自分の傍にやってきたことに戸惑った。今まで凪未ちゃんと遊んでいたときも加わってこなかったし、怖がられてでもいるのだろうと思っていたのだ。

                    「えっと……琉未ちゃん?」

                     僕は、凪未ちゃんの意図が分からなかったときもそうしたように、今一度彼女の名を呼んだ。
                     
                     だが、琉未ちゃんは答えない。代わりに、顔を上げて僕の目を見た。
                     
                     じっと、ただ、無言で僕の目を見つめてくる。その顔はありありと、不安げな様子を示していた。
                     
                     僕は理解する。
                     
                     一人にされてしまいそうになって、咄嗟に僕にすがってきたことを。
                     
                     考えてみれば、お姉ちゃんは母さんと料理をしに行ってしまうし、双子の片割れは寝てしまうしで、琉未ちゃんの相手をしてくれる人は僕以外いない状況だった。
                     
                     そんななかで、僕が部屋を出ていこうとしたから、きっとこの子は怖くなったのだ。
                     
                     頼れる人が誰もいなくなってしまう気がして。

                    「ごめんな、気づかなくて」

                     僕は謝罪の意味をこめて、琉未ちゃんの頭をなでてやった。
                     
                     凪未ちゃんが自分でどんどん進んでいける子だから思い至らなかったが、五歳といったら普通、まだまだ大人についていくことが基本な年頃だ。
                     
                     もちろん、それまでに比べたら自分で色々考えるようにはなるだろうが、それでもさすがに、一人放っておくわけにはいかない。
                     
                     大人が見守ってやり、見本になってやりながら、色々教えなければならないのだ。
                     
                     まあ、僕は大人ではないのだが……それでも琉未ちゃんに比べたら、「大きな人」であるのは間違いなかった。
                     
                     ならば、見守ってやる他はない。

                    「一緒に来るか? 僕の部屋」

                     琉未ちゃんは僕の問いに、こくり、と頷いた。



                    (#7へ続く)

                    ―――――

                    この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。

                    迷ってへたれて抱きしめて #5

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                      「じゃあ母さん、ちょっと買い物に行ってくるわね」

                       他愛ない会話などをしながらお茶を飲み終え、家の中全体が少し落ち着いたムードに変わった頃、母さんが僕たちに告げた。

                      「さすがに三人も増えると、夕飯の材料が足りなさそうだしね。――あ、ううん。別に気にしなくてもいいのよ」

                       申し訳なさそうな顔をした杏子ちゃんが謝る前にそっと制して、母さんは彼女に笑顔を向ける。

                      「はい! なっちゃんもおかいものいくー!」

                       と、とっくにジュースを飲み終えてストローで遊んでいた凪未ちゃんが不意に名乗りを挙げた。
                       
                       さっきからそうだが、積極的というかはきはきしてるというか……一切物怖じする様子がないことに僕は感心する。すぐ順応できる、人見知りとかはしないタイプなんだな。

                      「あらあら。言っておくけど、おばさん、お菓子は買わないわよ? 勝手に甘やかすと、凪未ちゃんのお母さんに怒られちゃうから」

                      「じゃあいかない」

                       しかも自分の気持ちにとっても素直だ。母さんの言葉にすぐさま意見を翻す。声のトーンも分かりやすく落ちた。本当にお菓子が目的だったんだな。ちょっと面白くて笑ってしまったよ。
                       
                       正直、こういう子は助かるなあと僕は思う。小さい子の思考回路は僕なんかにはよく分からないが、こうして自分から思ってることを言ってくれる分には、コミュニケーションがとりやすそうだ。
                       
                       それにしても……

                      「しかしよく分かったな、母さん。凪未ちゃんがお菓子目的だって」

                       僕は思ったことを口にした。
                       
                       まだこの三人が我が家にやってきて三十分ほどしか経っていない。よくこの短時間で、考えていることが見抜けるくらいに人を理解できるものだと思ったのだ。
                       
                       僕の記憶では、三人に会ったのは、まだ凪未ちゃんたちが赤ちゃんの頃だったはずだ。だから、普通は性格も思考回路も分からなそうなものなんだけどな。
                       
                       すると母さんは、事もなげに言った。

                      「大体みんなそうなのよ。ハルも、ナツも、買い物に連れていくとお菓子をせがんできたもの」

                      「え、僕も?」

                      「そうよ。ここに家を買う前に住んでたところの話だけど、近くにあったスーパーに行くと、すぐにナツと二人でお菓子コーナーに走っていってね、勝手に持ってきて勝手にかごの中に入れちゃうの。で、何も言わずに棚に戻すと、『おねがいします』ってお願いしてきてね。可愛かったわよー」

                      「マジか……」

                       全然覚えていないのだが、そんなことしてたんだな、僕。何か恥ずかしい。

                      「ま、お願いされても買わなかったけどね」

                      「さすが厳しいな!?」

                       意外なところで自分の昔話と母さんのしつけの厳しさを知った僕であった。

                       そんなやりとりの後、母さんは僕たちを残して買い物に出かけて行った。
                       
                       四人だけになってしまうと、途端に僕は手持無沙汰になった。会話することも思いつかないが、お客さんである三人だけを残して自分の部屋に撤退するというわけにもいかないので、部屋に行ってパソコンをいじったりすることもできない。
                       
                       仕方がないので頬杖などをつきつつ目の前の凪未ちゃんたちを見ていたのだが……
                       
                       顔だけ見てると本当に見分けがつかないな、この二人。
                       
                       アニメや漫画のように、髪を結んでいる位置が違うとか前髪を流している方向が逆になっているとか、そういった分かりやすい特徴は見られなかった。二人とも同じように、前髪を眉のあたりで切りそろえ、後ろは肩にかかる長さにまで伸ばしている。
                       
                       片方にだけほくろがあるとかそういうこともないし、見れば見るほど鏡合わせのようにそっくりで、若干脳が混乱してくるほどだ。
                       
                       もし二人が同じ服装をして、じっと座っていたら、僕にはもうどっちがどっちか分からないだろう。それくらい見た目は似ていた。
                       
                       ――だが、僕はもう、おそらくはこの双子を見分けることができると思う。なぜなら、服装と挙動に明確な違いがあるからだった。
                       
                       まず服装。
                       
                       やはり双子で好きな色は同じなのか色の系統は同じなのだが、凪未ちゃんはズボンをはいていて、琉未ちゃんはスカートだった。
                       
                       そして挙動。
                       
                       凪未ちゃんは、椅子に座っていても足をブラブラさせたり手を動かしたりと、落ち着きのないように見える。対して琉未ちゃんのほうは、基本俯き気味で、時折凪未ちゃんの言うことに反応する以外はじっとしていた。
                       
                       おそらくだが、人見知りもしないでどんどん思うままにいけてしまうタイプな凪未ちゃんとは対照的に、琉未ちゃんは消極的でおとなしいタイプなのだろう。さっきから凪未ちゃんが色々話しかけているが、全て首の動きだけで反応している。頷いたり横に振ったりな。

                      「琉未ちゃんて別に、しゃべれないわけじゃないんだよね?」

                       念のため隣の杏子ちゃんにそう確認してしまうくらい、無口な子だった。ちなみにもちろん、言葉はしゃべれるらしい。

                      「家に入ったとき、琉未も挨拶してたじゃないですか」

                       そう指摘されて、ああそうだったと、彼女が確かに言葉を発していた記憶を思い出しもする。

                       ただ、

                      「でも私もあんまり、琉未の声は聞いたことがないんです。一日数回喋れば多いほうで……まあそれでも大体、視線で分かるか凪未が代わりに言ってくれるので問題はないんですけど……」

                       杏子ちゃんはそうも言っていた。
                       
                       毎日一緒にいる家族すらあまり声を聞くことがない少女、琉未ちゃん。
                       
                       僕はそんな子の姿にふと、昔を思い出してしまって、心のなかで苦笑した。

                      「ん?」

                       その一瞬――僕が過去の記憶を思い返し、視線をつい右上にやってしまった一瞬――の間に、凪未ちゃんが目の前から消えていた。
                       
                       どこ行った? と思っていると、

                      「あっ、凪未! 何やってるの!」

                       隣から急に声がしたのでびっくりする。

                      「あ……ごめんなさい」

                       僕を驚かせてしまったことに気付いた杏子ちゃんが謝ってくるが、そのときにはもう、僕はなぜ彼女が怒ったのか、その理由に気付いていた。
                       
                       気付かないはずはない。なぜなら、

                      「はろー、おにいちゃん」

                       消えたと思った凪未ちゃんが、僕の脚の間から顔を出していたからだ。

                      「……ハロー、なんてよく知ってるね、凪未ちゃん」

                       ただ、突拍子もない行動には、幸か不幸か、普段からあの妹のおかげで慣れている僕は、大して動じずに済み、冷静に言葉を選ぶ余裕すらあった。
                       
                       これくらいの小さい子どもとはどう接して良いやら検討もつかないが、とりあえず褒めておく分には問題ないだろう。

                      「もうごさいだからね!」

                       そしてどうやらそれは正解だったらしく、凪未ちゃんは得意そうな顔になった。いわゆるどや顔だ。
                       
                       ……何というか、まぶしいなあ、この無邪気さ。

                      「ん……しょ」

                       僕が幼女の無垢さにやられていると、その隙に凪未ちゃんは僕の椅子へと上がってきた。

                      「こ、こらっ。凪未ってば」

                       先ほどの僕のびっくりを気遣ってか、杏子ちゃんが今度は少し控えめにそう怒るが、お構いなしに上がってきてしまう。
                       
                       しかも、座る気かと思いきや、僕の股の間にあるわずかなスペースにその小さい足を乗せて立った。
                       
                       僕は、幼女と言えども万一踏まれればダメージを負う急所が存在するのでひそかに恐れつつ、また、不安定な場所に立つ凪未ちゃんが落ちてしまわないかということも危惧しつつで二重の危険を感じながら、手で彼女を支えてやった。

                      「ふふん」

                       椅子の上に立つことで、そこに座る僕よりも目線が上になった凪未ちゃんは、何かに満足したような表情になった。

                      「どうしたの、凪未ちゃん」

                       何がしたいのか分からなかった僕が声をかけると、答える代わりに手が伸びて、僕の髪を触った。

                      「髪さらさらだ!」

                       そうして、どうやらテンションが上がったらしく、髪を両手でわしゃわしゃしてくる。
                       
                       僕はちょうど、犬か何かにでもなったような、そんな気がした。それと共に、普段は頭を触られることがないので何か不思議な気持ちになる。
                       
                       それは別に不快というわけではなかったが、

                      「あー、凪未ちゃん?」

                       結局何がしたいのかよく分からなかったので再度凪未ちゃんに声をかけた。意味も分からず髪をぐしゃぐしゃにされるのもなんだしな。
                       
                       すると手が止まり、そしてようやく、僕は彼女の行動理由を知るのだった。

                      「なっちゃんは、おにいちゃんをなっちゃんたちの遊び相手にえらびました」

                       つまりは、暇だからちょっかいをかけてきたと、そういうことだったのである。



                      (#6へ続く)

                      ―――――

                      この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。


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