29歳の僕

さあ、20代の締めくくりだ。

どうもこんばんは、ふぁいんです。

28歳、終わってしまいましたね。私の父が28歳で結婚したというのが頭にあったので、ひとつのボーダーとして捉えていた年齢ではあったのですが、相変わらず続くコロナ禍の中、気づけば自宅に引きこもるばかり(コロナ前からそうだったという説はある)ということで、婚活状況に1mmも進捗はありません。活動できていないので当たり前ですね笑

デルタ株、そしてラムダ株と、変異を続けるコロナウィルスを前に、この状況はまだまだ続きそうですが、そのおかげで一種の諦めとともに冷静になった自分もいて、28歳は、結婚を含めて、今一度、今後の生き方を考える1年にできたように思います。

コロナの一押しで進んだ日本

コロナウィルスの世界的な流行が始まった時点で言われていたことですが、この大流行は、間違いなく歴史の転換点として記録されるだろうと思います。

IT後進国と言われる日本で、世界と比較すると未だ低いとはいえ「テレワーク」が広まったのは間違いなくコロナの影響です。このおかげで、「実際に集まらなくても仕事ができること」を実感した方は多いのではないでしょうか。

誰もが無意識下で、そういうものとして受け入れていた「通勤」の必要性が絶対ではないことに気づき、会議は会議室以外でもできることに気づき、コミュニケーションは対面やメール以外でもできることに気づきました。

これは、いずれコロナが落ち着いたとしても、消え去る事実ではありません。もちろん、業種によっては、「必要に駆られてテレワークを導入したけど、うちの業務形態には合わなかった」という企業もあるでしょうが、テレワークが定着し、問題なく回り始めた企業では、一度不要と判断した以上、「通勤」や「会議」の形態が以前の状態に戻ることはないでしょう。そうした「後戻りしない企業」こそが、コロナが明けた時代でのベーシックになるのではないかと思います。

また、長期的な外出自粛要請は、我々に「外に出る欲求」があることに気づかせてくれました。元々のアウトドア派はもちろんのこと、インドア派を自認する私のような人種ですら、その気づきを得ました。

旅行したい、イベントに参加したいといった気持ちの他、気兼ねなく休日に外に出たい、明確な目的もなくウィンドウショッピングしたい、友人とランチしたい、飲みに行きたいなど、日常の何気ない行為に楽しみを覚えていたことに気づいた方は多いのではないでしょうか。

コロナが落ち着いたらあれしよう、これしよう、と、先の見えない現状においても未来を楽しみにしている人もいますよね。そうした「体験に飢えた人」は、ITで救うのがなかなか難しい分野です。VRが、それこそ「ソードアート・オンライン」の世界レベルにまでリアルな体験をもたらすものになれば話は変わってくるのかもしれませんが、「テレワーク」によって「遠隔でもできること」に気づいたおかげで、「遠隔では得られないこと」=「実体験」の輝きに気づくことができたのは間違いありません。

話が結婚に戻りますが、「婚活」は、実体験したい=実際に人と会って話がしてみたいことのひとつと言えるでしょう。よって、今後はそうした「実体験するからこそ良いこと」と、「家にいながらできる便利なこと」の二分野が伸びていくと思います。逆に言えば、どちらの視点から見ても微妙なサービスは衰退する可能性があると言えそうですね。これからの時代は、「コロナによって変わったこと」を前提に生き抜かないと窮地に陥るような気がしています。

29歳の1年

コロナが変えた世界の情勢をそんな風に捉えながら、私自身がどう振る舞うべきかを模索していくのがラスト20代の在り方になりそうです。

30代に突入すると、社会の中核的年代に入るような気がしているので、社会人としてはピークに向けて昇っていく段階かと思います。あくまで私の中でのイメージに過ぎませんが、20代で得た下積み、基礎が花開き、より重要なポジションで活躍していくイメージです。

20代の中盤で、小売業からITへとシフトしたのは今でも成功だと思っていますので、方向性としては正しいという認識を持っていますが、多様化、複雑化、高度化するこの業界にあって、時代の流れを踏まえて私がどういう30代のスタートを切るか、その、最後の準備が29歳という年齢かなと思っています。

振り返ってみれば、模索し続けてきた10代20代だった気がしますが、その締めくくりもまた模索で終わるということで、あれやこれやと考えながら生き抜こうと思います。

楽しむことは忘れずに。29歳もおもしろく生きていきましょう。

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