受験を終えて、進路先が無事に決まり、後はただ卒業を待つだけの僕達三年の教室には、どこか腑抜けた雰囲気が漂っている。
それは受験期の不安や緊張から解き放たれた反動によるものなのかもしれないし、何もしなくたって義務教育なんだから卒業できるという安心感からくるものなのかもしれなかった。
すなわち端的に言うと、何をするにもあまりやる気がない。
「ふぁあ……」
卒業式の練習真っ只中だが、あくびだって出てしまうというものである。僕だけではない、大半の奴らがそうだった。飽きているのもあるかもしれない。
すでに三月で、卒業までもう二週間もないので、もう普通の授業は少なくなっている。一時間目と二時間目を受けて、その後は卒業式の練習だ。これがまた退屈で、大半が立ったり座ったりの繰り返し。合唱の練習もあるけれど、予定通りに進むという式の特性上、単調なのだった。しかも体育館が寒い。やる気なんて出るはずもなかった。
気合が入っているのは、しっかり送り出そうと意気込む先生ばかり、ってな。
それでも練習を重ねるごとに、卒業が近づいているという感覚はあった。
そうなってくると、悩むのが告白である。
退屈な卒業式練習の間、僕が考えるのはもっぱらそのことだった。
告白をすべきか、このまま高校へ進学すべきかで、まず葛藤がある。想いを伝えれば、もしかすると一気に高校生活が楽しくなるかもしれない。しかし反対に、気まずくなる可能性もある。
想いを伝えなければ、少なくとも気まずくはないが、はっきり言って自然と仲が進展する可能性なんて無いに等しい。小学校から幾度となく同じクラスになり、この中三の一年間も同じクラスにいたというのに、会話することすらままならないんだから。
そして一番の問題は、兎束さんが可愛いという点である。性格もさることながら見た目も良いという彼女は、必ずモテる。いやすでに、現段階で兎束さんが好きだという男子を何人も知っている。幸いにして誰かと付き合っているという話は聞かず、玉砕したという話ばかりだが、高校に進学後もそうとは限らない。
何しろ希代学園なのだ。頭の良い奴、桜みたいにスポーツ推薦で入ったような運動ができる奴がうじゃうじゃいるに違いない。確実にライバルが、しかも強敵が増えるはずだ。
ああ、悩む……。
僕はちらりと自分の横を見た。卒業式は証書を渡すため、並びは出席番号順となっているのである。真面目な兎束さんだが、静かなためか彼女も小さくあくびをしていた。
そんなあくびすらどこか絵になるのが美少女の恐ろしいところで、
「――っ」
思わずじっと見てしまい、目が合ってびっくりした。反射的に目をそらす。
やばいな、変に思われたかもしれない。
緊張で、膝の上に置いた手に力が入った。
『恥ずかしいところ見られちゃった』
すっ、とその手の上に小さな紙が置かれた。見ると、兎束さんがシャーペンを持ち、照れた様子でこっちを見ている。書かれた字は綺麗に整っていて、紙も可愛らしいキャラクターの絵が入っており、女の子らしさを感じる。
しかし、どうしてそんなものを持っているのか。それも、式の練習の最中だ。兎束さんのイメージからすると意外な気がして、戸惑いつつ受け取った。すると、シャーペンも差し出してくれる。
一瞬考えた後、それを受け取った。
『どうして紙なんて持ってるの?』
そう書いて、先生にバレないよう前を向いたまま、そっと渡す。
『練習って暇じゃない? だから、暇つぶし(笑)』
今度はそう返ってきた。
暇つぶし。その言葉もまた、少し意外だった。兎束さんは何でも真面目に取り組んで、こういうことはしないと思っていたのだが……。
それをそのまま伝えると、少ししてまた渡された紙にはこう書いてあった。
『よく言われるけど、そんなに真面目じゃないんだ、私。こういうのも、スリルがあって好き』
優等生らしからぬ文面に、思わず僕が彼女の顔を見ると、彼女はまるでいたずらっ子のように小さくペロっと舌を出して笑顔を浮かべた。
あ、可愛い。これはやられたわ、マジで。
僕達は、先生の目を盗みつつ筆談を続けた。見つかりそうになって慌てて隠したり、そして笑ったり、何とも言えないドキドキ感に良いながら、他愛ない話を紙がいっぱいになるまでしあった。
驚いたのは、兎束さんが小さい紙を何枚も何枚も用意していたこと。シャーペンもそうだが、本当に暇をつぶそうと思って事前に用意していたようだ。
僕が初めて見る、兎束さんの一面だった。
「最後まで見つからなかったね」
練習終了後、体育館から教室へと戻りながら、兎束さんが嬉しそうに言った。
その顔が本当に楽しそうで、僕もつられて頬が緩んだ。
案外先生も見てないんだな。
――そう言おうとしたときだった。
「見つかってるぞ兎束ぁ。そして秋本ぉ」
生徒指導の岩倉が、後ろから俺の肩を掴んだ。
「げ……」
「残念だったなお前ら。放課後職員室前に来い」
こうして僕は、中学最後にして初の呼び出しをくらったのだった。
(#6へ続く)
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