異端審問

 緋色ひいろの服をまとった枢機卿すうききょうが目の前に立ち、背後では、甲冑かっちゅうの兵士がこちらをにらみつけている。

 枢機卿の手に握られた羊皮紙には、私の罪が書かれているはずだ。

 こうなる可能性は予期できていた。だからこそ私は、できるだけの準備をしたはずだった。

 なのに、どうして。

 どうして私はふたたび、この場に立たされているのだろう。

 あれはもう十五年以上前の出来事になるのだろうか。あの頃の私は、少しばかり勢いづいていたのだと思う。

 全ては、ネイディア王国で発明されたという「望遠鏡」がはじまりだ。あの画期的な発明品を手に入れてからというもの、私の人生は発見で満ちていた。

 空に輝く月の光が、太陽の恩恵を受けたものだったことも、その角度によって、あの美しい月の満ち欠けが生まれていることも、大きな惑星のまわりを、ぐるぐると回り続ける星々があることも、全ては望遠鏡が私に教えてくれたことだった。

 それらの発見は、私を少しだけ有名にした。私の思想に賛同してくれる者たちも多く現れるようになり、金銭的な支援を名乗り出る者も出始めた。私の研究をまとめた書物は、多くの天文学者の目に留まるようになり、この私、ガストーネ・ガレッティの名は、本国だけでなく、エウロパ中に知れ渡ることになった。

 だからこそ若き日の私は、神に仕える修道士相手にさえ、自分の理論を信じて曲げることをしなかった。賛同者の声と、何よりも、立て続いた数々の発見が、私自身に正当性をもたらしている気がしていた。

 私こそが正しい。私はガストーネ・ガレッティなのだから、と、信じて疑わなかったのだ。

 ……だが、信じることにかけては、相手も負けてはいなかった。そして彼の信じるものは、ちっぽけな自分などではなく、天上の創造主であった。

 私は修道士との言い合いの末に、異端審問を専門とする、教皇庁検邪聖省きょうこうちょうけんじゃせいしょうに召喚を言い渡された。

「被告人、ガストーネ・ガレッティ」

「はい、猊下げいか

 私を裁くのは、我が友でもあるロザーリオ。ロザーリオ・バルトリーニ枢機卿だった。

「これから君にいくつかの質問をする。君は、この場において、神の名のもとに真実を答えなければならない」

「承知しております、猊下」

私は、ロザーリオの友、ガストーネではなく、枢機卿に対する嫌疑者として、恭しく一礼する。彼はまっすぐに私を見据え、頷いた。

「よかろう」

 そうして審問が始まった。

「訴えによれば、君が発言した内容の中に、しゅの教えに背くものがあった、とある。いわく、我々の住むこの星は宇宙の中心ではない、と。天に輝く太陽こそが中心であり、我々の星はそのまわりを回っていると述べた、というのだ。これは事実か?」

 判事たる枢機卿は、まず、朗々と罪状を説明する。その声は部屋の中、全てに轟き、見守る司教たちにも染みていく。この審問の場において、裁かれる者――すなわち私は自由な発言を許されていないため、疑念が彼らの身の内に入り込むのを黙って見守るしかなかった。

 ――だが、逆に言えば、向こうから問われたときのみ、私にも反論の余地があるということだ。

「事実でございます。しかしながら――」

「弁明は後で聞こう」

 そう考え、口を開いたのだが、品行方正たる審判員を前に、そのままつぐむしかなくなった。

「……失礼いたしました、猊下」

「安心しろ、あとできちんと話は聞く。聞くが、まずは質問を続ける」

 私は黙って頷いた。

「さて、『この星が回っている』との主張だが……実はな、ガストーネ・ガレッティ。私は、このような考えが世の中に出回っており、同じような主張をする者が、君以外にもいることを知っている。だが同時に、……これは極めて当然の話であるが、そういった主張を我々教会が正式に否定していることも、当然、知っている。その根拠を知らぬ者はこの場にはおるまい? 主の逸話の中にある、『大地を造り、安定させ、不動となった』との記述がそうだ。――ガストーネ・ガレッティ、主は、この大地を不動にしたのだ。この事実を知っていたか?」

 再び私に発言の機会が回ってきた。ロザーリオは裁判官としての仕事を全うした。私に理解を示し、その上で、神の徒として隙のない主張をした。まわりの司教たちが、ロザーリオに満足そうな笑みを送り、私に対しては、まさに神敵を睨み殺そうという視線を送ってきたのが分かった。こうなれば、私のとれる姿勢はひとつしかない。

 従順だ。

「もちろん存じております、猊下。事実、今、この瞬間も大地の動きは感じられませんので、御業みわざに間違いはないかと」

 私は今一度、頭を下げた。一方で、その表情を一瞬、友のものへと変えたのはロザーリオだ。

「……どうも、君が発言したとされる内容と、今の主張が異なるようだな」

 それは暗に、ここからだぞ、というサイン。私も、視線で了承の意を返す。促されるようにして、弁明を開始した。

「何も違ってはおりません、猊下。確かに私は、この星が動いていると言った。しかしながら主の御業も、疑う余地などないものだと信じております。このふたつは確かに相反するように見えますが、その実、そんなことはございません。主は、『世界を不動にしたまま動かしている』というのが、私の主張です」

「不動にしたまま動かしている?」

「はい。つまり主は、我々の感覚の上では不動になるようにこの星を造り、実際には、太陽のまわりを回るように造りたもうた、ということです」

「いまいち要領を得ぬな。なぜそうした。わざわざそんな回りくどいことをせずとも、この星を動かさず、太陽にまわりを回らせればそれで済むではないか」

「主がなぜそうされたのか、その真意は、わたくしごときにはわかりませぬ。しかしながら、一見すると回りくどいその手法こそが、効率的だったのではないかと愚考いたします」

「効率だと?」

「猊下。猊下も研究者であらせられますので、この世がいかに合理的に造られているかを感じたことがあるのではないですか? その最たるものは数学です。この世の法則を解き明かし、数式に当てはめると、奇妙なほど美しくなる。この世は美しく、合理的に創られていることが分かります。まさしく神の御業だ。そんな主が、太陽のほうを動かすなどという非合理的なことをするのだろうか、と、私は考えているのです」

「私には、この星を不動にし、太陽を動かすほうが、単純で合理的に思えるが、なぜそれが非合理だと言える」

「太陽のほうが遥かに大きいからです、猊下。大きい石と小さい石、どちらを動かすほうが簡単でしょう?」

「……大きい太陽を止め、小さい地球を回すほうが簡単、ということか」

「ええ。主は、最小限の力でもって、昼と夜をもたらしてくれたのではないでしょうか。ちっぽけな我々に、恵みの昼と、眠りの夜を」

「なるほど、よく分かった」

 ――そうして我が友、ロザーリオは、私に無罪を言い渡した。

 ガストーネ・ガレッティに背信の心はなく、信じることを信じたままに発言しただけだ、とされたのだ。信じることを、主は咎めはしない、と。

 だが最後に、ついに彼は友の顔に戻って、言った。

「これは君の友、ロザーリオとしての言葉だが、君の考えは他人を刺激することを覚えておいたほうがよいだろう」

 ……彼のその言葉が、十五年以上経った今になって、頭の中を反響するようだ。

 今、私の目の前には、彼ではない枢機卿が立ち、かつて司祭たちが私に向けたのと同じ視線でもって、私と、手に持った羊皮紙を見つめている。

 対する私は、あの頃と同じように法廷に立たされ、けれども、十五年が経ち、しわの増えた己の手を見つめていた。

 ――ああ、分かった。

 彼の言葉の、本当の意味が今、ようやく分かった。

「罪状を読み上げる。被告人、ガストーネ・ガレッティは、主の御業についての解釈をねじ曲げ、利用し、この世の根本を覆す考えを説いた書物を、不当な手段を用いて出版した」

 私の考えは、他人を刺激・・する。

「被告人は、出版にあたり、書物の序文と跋文ばつぶんのみを教皇庁に送り、あたかも無害な書物であると装って、無理矢理に出版許可を取った」

 それは、良くも悪くも、人の心を動かすということ。人の心をささくれ立たせてしまうということ。

 それが事実であろうとなかろうと、主の教えに背いていようといなかろうと、目立つ声は注目されてしまうのだ。

「それは教皇庁、ひいては主をあざむく行為であり、すなわち、これは主と、教会に対しての叛意はんいである」

 そして、目立つ声は、徐々に耳障りになっていく。

 無視していようとも、耳をふさいでいようとも、嫌が応にも耳に入り、やがて、放っておけなくなる。

 それが限界になれば、

 「被告人、ガストーネ・ガレッティは異端である!」

 ……こうして、排除されるのだ。たとえ私がどんな策を用いようとも、どんな根回しをしようとも、より大きな力の前では意味もない。

 ――私は、枢機卿の有罪判決を耳にして、なぜだかふっと肩の力が抜けるのを感じた。力が抜けて初めて、余計な力を入れていたことに気づいた。

 怖かった。そう、私は恐怖していた。十五年経った今、この場に我が友はおらず、どうなるか分からない。それが私の体を緊張させていた。……だが、もうそれも終わりだ。

「異端者、ガストーネ・ガレッティ。最後に申し開きはあるか?」

 こうなってしまった以上、もうどうにもならない。ならば、

「……私は異端なのかもしれない。だが――」

 例えこの身が罰されようとも、私、ガストーネ・ガレッティは、研究者として、事実を主張する。

「――それでもこの星は回っている」

 この事実が事実である限り、いずれ、認められる日が来るだろう。

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本作は、朗読、ラジオドラマにご活用いただけるシナリオとして、「HEARシナリオ部」の活動内で作成いたしました。

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○クレジット

シナリオ作者:柚坂明都(ふぁいん) https://hear.jp/finevoices

シナリオ引用元:それはまるで大空のような https://fineblogs213.com/inquisition

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