迷ってへたれて抱きしめて #7

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 ――結局告白はできなかった。
  
 しかし断じて! 僕のせいではない。そう、僕は悪くない。
  
 ただ、想定外の事態が起こっただけである。
  
 昨日、あのまま僕達は昇降口に向かった。兎束さんがよく話を振ってくれたおかげというのは情けない話だが、わりと会話もできて、結構良い感じだった。と、思う。
  
 昇降口にて、思わぬ伏兵とでくわしたのだ。
「あ、お兄ちゃん!」
「な、那都葉?」
 それは我が妹。僕を愛してやまない妹が、なんと僕を待っていた。忠犬のごとく。
「桜さんが一人でいたから聞いたらね、お兄ちゃんは居残ってるって言うから。可愛い妹が待っててくれて嬉しいでしょ?」
「あ、ああ……」
 そのときはそう答えたが、正直全く嬉しくなかった。ありがた迷惑とはこのことだ。そんなことを言うとこいつはマジで泣くから言わなかったけど。
  
 代わりにそれとなく、迷惑だとは言わずにそれとなく、那都葉に言った。
「結構遅くなっちゃったし先に帰っていてくれても良かったのに」
 しかし妹にはこれっぽっちも通じなかった。
「何で待ってたのか、とでも言いたいの? この私に? それは愚問というものだよお兄ちゃん。お兄ちゃんと一緒に帰るためなら、一時間でも一日でも、一週間でも一ヶ月でも、一年でも十年でも、お兄ちゃんが来るまで待つよ私は」
 ふふふっ、と笑う妹は得意げだった。冗談でもなく、多分僕が来なければ、こいつは本当に待つんだろう。
  
 そして我が妹の真骨頂は、次の言葉にうかがえた。
「それとね、あと、今日はいつもと違ってお兄ちゃんの自転車で来たじゃない? だから、帰りも乗せてもらわないと帰るのもったいないもん。別に歩いてでも帰れないことはないけれど、自転車は幸せなんだよ! チャンスなんだよ! だって、お兄ちゃんの腰に手を回して、思いっきりぎゅーってしながら匂いをすーはーできるんだから! お兄ちゃん堪能たいむだよ! そんなの逃せないよ!」
 このときの那都葉はとにかく幸せそうだったぜ。僕はさすがにどうしようかと思った。いつものこととはいえ、兎束さんの前だったからな。彼女は、苦笑いを浮かべていた。
  
 とにかくそういうわけで、そういう事態になってしまったからこそ告白できなかったというわけだ。
  
 あーあ。しようと思っていたのにな。いやはや残念。
『ちょっとホッとしてるんだろ? 那都葉のせいにするんじゃねぇ。あのとき職員室の前で、先延ばしになんてしなければ、告白だってできてたんだからな』
 ……心のなかでそう告げる声がする。
  
 もちろん、分かっていたさ。そう、僕は悪い。悪くなくなんてない。
  
 結局、いざとなったら踏み出すのが怖かっただけだ。そうして、あんなチャンスをふいにした。もうあんな風に二人きりになれることは、この先ないかもしれない。
  
 那都葉のことも、少し考えれば予想はできることだったしな。不測の事態、想定外だった、なんてのは、言い訳でしかないんだ。
  
 全てはふがいない自分のせい。
  
 岩倉の言葉が改めて身にしみる。ああ本当に、兎束さんの言っていたように、あの言葉は人生の教訓だぜ。
  
 今度から何かに出くわした時には、迷わず行動しよう。神様と岩倉に誓う。
  
 例えば、今からでかけた先で兎束さんとばったりなんていう偶然も有り得るわけだからな。同じ中学に通ってるんだ、行動範囲が似通っていてもおかしくないわけで。実際、学校以外でも何度か見かけることは過去にもあったし。
  
 今日は土曜日。昨日が金曜日なのだから当たり前で、ゆとり教育導入以来土曜日はお休みなのだから今日もお休みだ。暇なので、とらメイトに行くことにしたのだった。
  
 とらメイトは、漫画やライトノベルを中心に、キャラクターCDやアニメ関連グッズなども扱う、僕がたまにお世話になっているお店である。
「あらハル、こんな朝早くに起きてくるなんて珍しいじゃない」
  
 出かける仕度を終えて一階に下りていくと、母さんは洗濯物を干しているところだった。
  
 現在の時刻は九時半。それで「朝早く」というのだから妙な気分だが、振り返ってみれば、休日なんて昼まで寝ていることがほとんどだ。それに比べれば確かに早いな。実際、那都葉の姿はまだなかった、
「母さん、何か朝飯、ある?」
 早く起きればお腹も空く。いつもは昼飯を食べれば良いが、さすがにまだお昼ご飯を作ってはいないだろう。
「んー、普段ハルには朝がないから用意してなかったんだけど……」
 母さんは洗濯物を干す手を一度止め、冷蔵庫やら戸棚やらを物色し始めた。
「あ、食パンがあった。トーストで良い?」
 パンを取り出したので、僕は頷いた。朝だし、それで十分だ。
  
 朝食こそたくさん食べたほうが良い、なんて話も聞くけどな。
「それじゃ、ちょっと待ってねー。一枚? 二枚?」
「んー、二枚」
「はーい」
 食パンが二枚、トースターに入れられた。それが焼きあがるまでの間にフライパンに火がかけられ、冷蔵庫からベーコンと卵が投入される。
  
 しばらくして、テーブルについた僕の前に、ベーコンエッグが乗ったトーストが二枚並んだ。ただのトーストより、なかなかボリュームも見た目も豪勢だ。
「食パンだけだと栄養バランスが良くないからねー。たんぱく質とかも必要でしょ、育ち盛りには!」
「サンキュー」
 ありがたい配慮、母の愛と、若干の食べにくさを感じながら僕はそれらを十分ほどで食べ終えた。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様。ところでハル、こんな時間に起きてきたってことは、どこかに出かけるの?」
 食べている間に洗濯を終えた母さんは、使い終えた食器をキッチンへと持って行きながら僕に訊ねた。
「ああ、ちょっととらメイトにでも行こうと思って。先月末に新刊が出たはずだし。まあ一人で色々見てくるだけだから、昼には帰ってこれると思うけど」
 確かに、出かけるなら一応行き先と帰る時間を告げておくべきだなと思い、そう答えると、
「それ、母さんも行って良いかしら?」
「……母さんが? とらメイトに?」
 思わぬ返答で、母の顔を見返した。
「何? 何か同人でも買うの?」
「ううん、最近行ってないしそれも良いんだけどね。とらメイトに行きたいというか、ちょっとハルと出かけたいなと思ってたのよ」
「僕と? 息子とデートでもする気かよ?」
「そうじゃなくて、そろそろ卒業じゃない? 高校生になるんだし、携帯くらい必要でしょ?」
「僕の携帯……?」
 こうして、僕はいつぶりか、母さんと一緒に出かけることになった。行き先は、近所の携帯ショップだ。
  
 我が家はわりと駅に近い住宅街にあるため、歩いても行けるくらいの距離に、カラオケやボウリングといった遊べる施設から、買い物に便利なショッピングモール、食品などが安く買えるスーパーなどが揃っている。生活するにはありがたい環境で、こんな利便性ある場所に家を買えた父さんは、実は結構稼いできているのではないかと思っている。
  
 十数分歩いて携帯ショップに着くと、店内には数々の携帯が並べられていた。その機種の多さ、多性能ぶりに目を見張る。加えて、この料金プランがお得だのなんだのという宣伝文句が僕を惑わせた。
「母さんこういうの分からないし、ハルが好きなの選んで良いわよ」
「そうは言っても、僕も分からん……」
 テレビでよく携帯のCMをやってはいるが、何が良いのかさっぱり分からなかった。画質が、とかレスポンスが、とか音質が、とか、良いところばかりをおし出してこられても、初めての携帯なんだから自分がどう使うかも予想できないし、何を根拠に選んだら良いのか分からない。
  
 こういうところがこの機種は弱いです、みたいに駄目なところを書いておいてくれよ。その方が選びやすい気がする。
 結果として知識のない僕の選択基準は、色とか持ちやすさになってしまって、とりあえず片っ端から気に入ったデザインの携帯を手にとってみる。色鮮やかとか高音質なんていうものは、もはやよく分からないので関係ない。まあ、性能良いなら良いか、くらいの感覚である。
「よろしければお選びするお手伝いをさせていただきますが」
  
 そんな空気を感じ取ってくれたのだろう、ショップの店員さんが声をかけてきてくれた。
「あー、えっと、初めての携帯なので機能とかよく分からないんですけど……」
 こういう店員さんと話すのは得意じゃないのだが、自分たちだけでは埒が明かない気がしたのでありがたく頼った。
「そうですよねー。今はどんどん便利になっていってますから。では、機能の説明などさせていただきますね……」
 店員のお姉さんは、慣れた様子で説明をしてくれた。僕と母さんが、恥をしのんで気になった素朴な点を訊いても、一つ一つ丁寧に教えてくれた。
「お買い上げ、ありがとうございましたー」
 結局一時間ほどかかって、僕の携帯は決まった。ほぼ百パーセントお姉さんのおかげである。
「今は色々な携帯があるのねぇ」
「そうだな。正直店員さんいなかったらさっぱりだった」
「そうよねぇ。母さんなんて、話を聞いてもよく分からなかったわ」
 今日のことで、僕は一つ感じた。ただやみくもに、ひたすら便利になったところで、ついていけなければ意味がないな、と。
  
 この携帯にも色々な機能がついていて様々なことができるみたいだが、全部使いこなせる気がしないぜ……。
「さて、じゃあ母さんはこれで帰るわね。無事に携帯は買えたし。家にナツを置いてきちゃったしね」
「あ、そう。じゃあまあ、そういうことで。僕はとらメイト行くから」
 僕は母さんと別れると、駅に向かった。
  
 ほとんど何でもある我が家周辺だが、とらメイトは近所にはない。電車移動しなければならないのだ。とはいえ三駅ほどで済むので、全く苦ではない。
  
 電車に乗り込むと、休日だからか、やたら混んでいた。人が詰め込まれた車内は窮屈だが、まあそんなに長く乗っているわけでもない。試しにさっき買った携帯でもいじっていればすぐだろう。
  
 そう思い、ポケットから携帯を取り出したとき、
「…………めて、ください」
 ――丁度僕の後方あたりから、小さく、女の子らしい声が聞こえてきた。
  
 思わず手を止めて耳を澄ます。
「やめ…………さい」
 電車の揺れる音と人の壁、そして声そのものがとてもか細く小さいために聞こえにくかったが、
『やめてください』
 そう言っているように僕には聞こえた。
  
 満員電車。女の子の声。そして、言葉。
  
 まさかという思いと嫌な予感とともに、窮屈な車内で無理矢理体を捻じ曲げて振り向くと、
「うっわ……マジか……」
 外れてほしかった予感の的中。小太りのいかにもなおっさんが、そしらぬ表情を浮かべながら、手は女の子の下半身を撫で回していた。
  
 痴漢である。
(#8へ続く)
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この小説はFINEの作品です。著作権はFINEにありますので、無断転載等なさらぬようお願いいたします。

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