肉体死してなお精神は生き続ける

 
こんばんは、ふぁいんです。
またも久しぶりの投稿となりました。
今回の内容は、私以外の人でも今日、書くかもしれません。
今から20年前。
1992年4月25日。
26歳という若さで尾崎豊は亡くなりました。
時刻は午後0時6分だそう。
私は同じ1992年の8月25日に生まれたもので、実際には尾崎豊を知りません。
1秒として彼と同じ時間を生きてはいません。
けれども、いやだからこそ、残念に思います。
私が彼を知ったのは去年です。名前を聞いたことくらいはありましたが、きちんと曲を聴いたのが、去年。
心打たれました。
彼が曲を作ったのは少なくとも19年は前だというのに、今を生きる私が感じるものがありました。
偶然にも父親が買ったCDが家にあって、聴きました。
どんどん好きになりました。
……これってすごいことだと思うんですよ。
たかだか20年。されど20年。
時代は変わったと思います。
それでもなお、彼の歌の中には、今に共通する部分がある。
今なお愛され続け、私のように全くその時代を生きていない人間でも惹き付ける。
――多分「尾崎豊」という人間については賛否両論あるんだと思います。
歌についてもそうです。
でも私は名曲だと言いたい。
私にとってはそうだから。
死後20年。されど完全には死んでいない。
彼が残した歌、彼の存在の証が、生きているから。
今彼は、何を思うだろう。

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